東京の実効再生産数は「1.7」

 4月1日に公表された新型コロナウィルス感染症対策専門家会議による「新型コロナウィルス感染症対策の状況分析・提言」によれば、3月21日から30日までの、東京の実効再生産数(感染症の流行が進行中の集団のある時刻における、1人の感染者が生み出した二次感染者数の平均値)は「1.7」である。つまり、感染者が10人いれば、その人たちが移す人数が17人になるということだ。

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 不安を煽るつもりは決してないものの、拙稿「守るべきは人の命、東京は都市封鎖を」(2020年3月30日https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/59943)を書いた時に50人程度だった東京の新規感染者数が4月4日には100人を超えたのは、この実効再生産数が正しいことを意味している。

 この1.7の数値が小さくならない限り、東京の感染者数は、今後も増え続けるということになる。当然、医療現場でのベッド数や医師数、呼吸器数もこれに対応することが必要になる。

 前稿の繰り返しになるが、小池都知事がその後も記者会見をしているのは、このような事態の下で、感染を終息に向かわせるためと考えるべきだろう。

根拠法の強制力自体は重要ではない

 日本政府は3月14日新型インフルエンザ等対策特別措置法を改正した。この特措法の執行により、政府対策本部長は、期間、対象区域、緊急事態の概要を示して、緊急事態を宣言することができるようになった。基本的には安倍首相の決断にかかっている。

 また、都道府県知事は、住民への外出自粛や学校や老人福祉施設の使用停止、イベントの開催制限などを要請、指示することができるようになった。

 日本における都市封鎖の効果に対して懐疑的な意見を持つ人々は、条文自体が強い強制力を持つような書き方ではない、法律の強制力を担保する罰則の規定がない、ということを根拠にしている。

 同時に、懐疑的な意見を持つ人の中には、「都市封鎖」から受ける語感もあって、軍隊的に強制されるのは嫌だという人たちも入っているだろう。特措法を担当する西村康稔経済再生担当相が「海外のような強い強制力での抑止は法律上は難しい」と語ったことを、法的有効性のない根拠とする向きもあるらしい。

 ここで重要なことは、都市封鎖の根拠法の強制力自体が海外と同じかどうかではない。

 スペインは国鉄を止めているし、イタリアでも家の中にいろと首相が武器の使用まで示唆しているほど。英国も違反者には30ポンドの罰金を科すとしている。

 米国では、罰金の問題もさることながら、最初は500人以上の集会を禁止、次いで100人以上、10人以上、最後に2人の場合でも「social distance(物理的な人との距離)を6フィート」とするように、と対応を強化してきた。

 なぜか。それは1つには国民が政府の要請を黙って聞くような文化ではないからである。

都市封鎖初期の効果は既に出ている

 米国の例をあげれば、10人以上の集会を禁止、レストランやカフェなどへ行くのも禁止とされた若者は海岸や公園に行って9人でパーティーをやった。サウスカロライナ州のビーチリゾートなどは、季節違いの若者の集まりでごった返した。もう少し年齢層が高い「アウトドア派」は、自然を楽しむためナショナルパークへ向かった。

 本稿執筆の4月4日現在、ニューヨークではマンハッタンのタイムズスクエアには人がいないかもしれないものの、老舗百貨店メーシーズがある界隈は、結構な人数が繰り出している。

 一方、日本人は民度が高いというべきか、利己主義的ではないというべきか、政府や自分が所属する組織からの要請があれば、かなりの人がそれに従う。東京でも、小池都知事が自粛を要請して以来、既に6割以上の人が自粛を始めたとか、都心の電車の利用が7割減となったなど、欧米での都市封鎖初期の効果は既に出ていると感じられる。

 筆者が日米で働いてきた経験からすると、日本の法律はどこか曖昧さがあるものの、それを省庁や国民が上手く使うことで、社会規範として十分な機能を果たしてきたと言える。一方、米国では、問題となるものは限定列挙主義。つまり、列挙されていないことは法律で罰することはない、というのが基本である。

 日本の法律は、それ自体では罰則規定などを持たないものの、仮にそれに違反した場合には役所の対応が厳しくなるなどにより、実質的な罰を受ける。また、世間による社会的制裁、というのも日本ではよく聞く言葉だ。逆を言えば、だからこそ「忖度」という言葉が生まれたのだろう。江戸時代には村八分という制度的なものまで生まれた。

 国ごとの法律や犯罪への対応の歴史を見ると、このような現状の違いが、国による慣習や歴史、文化によるものであることがわかる。

ニューヨーク州知事に見る「道義的勧告」の重要性

 その米国でも、毎日午前10時半からの記者会見で世界的に有名になったクォモ知事は、3月初頭にニューヨーク州の第1号感染者が発見されてから、都市封鎖ニューヨーク州では "Stay at Home" と呼ぶ。詳細は前稿を参照されたい)をする3月20日まで、毎日、自粛を要請してきた。

 FOXニュースによれば、民主党の中からでさえ、「ジョー大統領選挙予備選でトップを走るバイデン候補)とクォモを交換したほうがいい」という意見が出ていると言っていた。冗談まじりとは言え、トランプ大統領が "sleepy Joe" と呼ぶ候補者より、クォモ知事のほうが頼もしいと感じているのだろう。前稿で述べたように、政治家は決断力と情報発信力なのだ。

 ちなみに、日本のメディアが、最初にタイムズスクエアやグランドセントラル駅ペンシルバニア駅にほとんど人通りがないことを報道したのは、都市封鎖前である。

 欧米では、政府のトップや権限を持つ人々が、その法律の適用や強制的な命令を出すのではなく、人々に真剣に依頼するやり方を「道義的勧告」と呼ぶ。つまり、性善説に立てば、人々は道義的勧告を受ければそれに従うという考え方だ。性悪説に立てば、仮に道義的勧告に従わなかった場合、様々な形でその人に対して実質的な罰を与えるというものである。

 安倍首相や小池都知事がやっているのがこれにあたる。大阪の吉村知事による兵庫県との往来に対する自粛要請も、やや唐突感があったとはいえ、道義的勧告の一種だ。

 読者の中には、この話をすると、国民は道義的勧告で上手くいくのか、と疑問を持つ向きもあるだろう。答えは「Yes」、上手くいくのである。

 これを実際に使っている組織で有名なところは、例えば日本銀行や、米国の連邦準備制度理事会(FRB)だ。

日銀やFRBが実践している道義的勧告

 日本銀行は、1997年の日銀法改正まで、日々の資金繰り指導や考査(銀行の検査)を行う法的根拠は全くなかった。今でも、金融庁の検査と比べれば、日銀法には考査結果に基づく営業停止などの罰則規定はない。

 その意味では、日本銀行は、今回の特措法の下にある国や都道府県と同じである。しかし、恐らく読者の中で日本銀行には法的強制力がないので業務が頓挫したなどという話を聞いた人はいないだろう。日本銀行と各金融機関の間での信頼と、正しいと信じることを、根拠を示して追求していく姿勢が、道義的勧告を有効にしているのだと言える。

 ちなみに、日本銀行の考査の結果などに対して、金融庁長官には閲覧権があるものの、仮に日銀考査の結果が金融庁へも筒抜けだという話になれば金融機関の考査を受ける態度も変わるだろう。「道義的勧告」には、勧告する側にも道義的責任が出てくるのである。

 これはFRBも同じだ。例えば、3月23日に、米国の他の4つの規制当局とともに、米国における全ての金融機関を対象に、個人や中小・零細企業への資金繰りに支障を来さないよう努力することを求めた。道義的勧告である。

 常に法的有効性を争う米国では珍しい類に入る例だが、金融機関もそれを受けて真面目に対応し始めていると、筆者の耳に入ってきている。特措法に罰則規定がないからと言って、また日本の法律として強い強制力がないからと言って、都市封鎖の有効性を問題するのは間違いだと思う。

 さて、特措法に話を戻すと、45条3項には、施設管理者等が正当な理由なく都道府県知事の要請に応じない場合には、条件付ながら、「当該要請にかかる措置を講ずべきことを指示することができる」となっている。

 クォモ知事がやっていたことも、これと同様の指示をするための準備だったということができる。2週間以上にわたる自粛要請の結果、それでも不足だからという理由で都市封鎖(Stay at Home)に移行したのだ。なお、小池都知事は、英語の自粛要請ではStay at Homeを使っていた。

 ただ、米国の場合は、州が都市封鎖をすることによって、連邦政府が宣言した国家非常事態宣言と、その対応のために蓄えてあった340億ドルの資金を使うための法律(スタッフォード法)に基づく、連邦からの支援を受けやすくなるという効果もある。日本にはこのような蓄えはないので、東京都は自分たちが行う医療現場への支援などにつき、全ての予算を支出しなければならない。

経済政策は「速く」「あまねく」「十分に」

 同時に、トランプ政権が3月6日、18日、27日と三度にわたって制定してきた法律と同じく、日本にも経済面での救済法案が必要である。米国では2.2兆ドルの経済政策と、企業に有給休暇を出させる法律などを制定した。これは、英国がロックダウンの代わりに、例えばレストランの労働者の賃金の8割を保証するといったものと同じ発想の法律だ。

 日本もそれを十分な規模で行う必要がある。上述の道義的勧告も、生活の保証があって初めて有効性が強化されるというものだ。今回の経済政策は、感染症対策による負の影響を打ち消すためのものなので、経済効果の試算も重要ながら、より大切なのは、迅速で、影響を受ける全ての人に、十分な措置を講じることである。

 米国が財政と金融の両面からのポリシーミックスをしているように、日本でも、日本銀行は「新型コロナウィルス感染症にかかる企業金融支援特別オペレーション」を開始しており、1回目のオペで3.4兆円の資金を供給している。もちろん、米国のFRBに比べれば規模的には小さいイメージがあるが、既に動き始めているのは事実だ。

 また、日本政府は国が100%株式を保有する日本政策投資銀行を通じて、大企業や中堅企業の財務基盤を支えるため1000億円の融資枠を設定した。本格的な新型コロナ対策に向けた第一弾と言えるだろう。

 仮に、米国が三度にわたって対応してように、日本も1回で足りなければ、米国と同じように2回目を出せば良いのだから、精緻さを求めるよりも、スピード優先とすべきではないだろうか。

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