(鈴木 文彦:大和エナジーインフラ 投資事業第三部副部長)

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 昨晩(4月7日)、緊急事態宣言が発令された。ただ、既に外出の自粛要請は出されており、わが国で新型コロナウイルス感染者が出始めた2月頃からテレワークを本格導入する事業者が増えてきた。コロナ禍は、産業革命以来の「集団で働き、消費すること」を否定し、「個で働き、消費すること」を促している。もっとも、この動きはいわゆるIT(情報技術)が出現した1990年代後半以来、徐々に、しかし確実に進んできた変革の延長線上にある。コロナ禍はIT革命以来の20年続いた生産関係と、その上部構造たる社会慣習の変革の総仕上げとして後世記憶されるようになるのではないか。

(*)本稿で示した見解はすべて筆者個人の見解であり、筆者の所属する組織とは無関係である。

テレワークと時差出勤で変わる社内文化

 平日の外出自粛要請が出され、テレワークが本格導入されるようになった。筆者の属する大和証券グループについて言えば、テレワーク自体は以前から存在していたが、介護やがん治療との両立など条件があった。もともと新年度に全面導入予定だったが、今回のコロナ禍をきっかけに前倒しで全社員に導入されることになった。(ノートパソコンとしてもタブレット端末としても使える)2in1端末が1人1台配布され、筆者もまさに自宅で原稿を執筆している。筆者の場合は自宅の外部モニタに繋いでいるので、丸の内オフィス環境とそれほど違いはない。

 一般的にテレワークの場合、日中の報告、連絡、相談は社内のチャットを使う。テレビ会議も可能だ。営業情報やプロジェクトはCRM(顧客管理)システムで共有できる。会社の誰が取引先の誰とどのようなやりとりをして、どのような結果になったかというレベルで情報を登録し、チーム内で閲覧する。成功事例も失敗事例も記録が残るので蓄積されれば組織のノウハウになる。いわゆるナレッジマネジメントだ。

 先日は、筆者が関わる官民連携事業にかかる定例会をビデオ会議システムで体験した。参加者は地方の現場と東京の数カ所に散らばっており、それぞれのシステム環境の違いからか、話し声が聞きづらい、途中で途切れるなど多少のトラブルはあった。やはり込み入った話をするには課題が残る。とはいえ、東京から会議に参加したのは1人や2人ではなく、その新幹線代や日当を考えれば多少の非効率には目をつむれる。聞いたわけではないが私を含め参加者はみなそう思ったのではないか。

 コロナ禍をきっかけに時差出勤を導入した事業者も多いだろう。想像するに、これによって日本の企業にありがちな「朝礼」ができなくなった。朝礼だけでなく、あらかじめ時間を決めてチームで集まることが難しくなった。部署をテレワーク班とオフィス班に分けて共倒れを防ぐ「スプリット制度」を導入するところも増えた。それまでも働き方改革の一貫で配布資料はなるべく少なく、議題を決めて、少人数でなどの会議運営の工夫を凝らしていたが、テレワーク時差出勤によって人が集まってする会議が物理的に難しくなった。

 仕事帰りの一杯も、コロナ禍をきっかけに原則禁止になったところも多いだろう。もっとも、禁止されないまでも時差出勤テレワークにより日程調整が難しくなる。

進む労働の商品化

 テレワークホワイトカラーの仕事の進め方も変わる。とあるプロジェクトで全国にメンバーが散らばって、月1回東京に集まって進捗を交換する体制で仕事をした経験がある。その経験に照らせば、マネージャーはゴールから逆算して仕事をメンバーに割り振ること、割り振るにあたって各人の成果物と締め切りを明確に定義することが重要だ。その時は、最終目的を意識して日々のマイルストンを決め、夕方に進捗を共有した。

 極端に言えばホワイトカラーの仕事の成果物は「紙」である。どのような紙を作るか、内容はもちろん、ミスや締め切り超過が評価に反映する。営業職なら目標を定義することだ。生保外交員、損保代理店、不動産のフルコミッション社員など歩合制営業職との差が小さくなる。いずれにせよ人事評価に、仕事のやり方や勤務態度などが入る余地が狭くなる。成果がすべてとなり、良くも悪くも同一労働同一賃金に近づく。

 これを課題と言ってよいのか即断できないが、いずれテレワークはインフォーマルな付き合いを減らす。これはどう影響するだろうか。チャットはやりとりが文字に残るので機微に触れる情報を避けようとする。いずれ、インフォーマルな情報を得られる人と得られない人の間で何らかの差が生じるかもしれない。テレワークが進むほど対面コミュニケーションの価値が高まるとすれば皮肉な話だ。これがあらたなコア/ノンコア業務の違いにつながらないとも限らない。マネジメントにおける人間系の能力が重要になる。他方、成果で評価される在宅勤務者はフリーランスへの業務委託と置き換え可能になる。企画、事務あるいは営業にせよ腕一本で稼ぐ才覚と実力があれば心配ないが。

消費のスタイルも集団から個へ

 コロナ禍でとくに経済的な被害を被っているのは直前までインバウンドで盛り上がっていた観光業界、具体的にはホテル旅館、飲食店などだ。クラスターの発生源として指摘されたライブハウス、スポーツジムも深刻だ。スタジアムやアリーナ、劇場での大規模イベントも自粛を余儀なくされている。大相撲春場所は無観客で開催した。

 飲食店や商店の客入りが激減する一方、「巣ごもり消費」が活況を呈している。ネット通販関連では宅配ドライバーはじめ運送業の人手不足感が増している。テレワーク関連の業種も忙しい。マスクも手指消毒薬も24時間フル操業だがそれでも需要に追いつかない。先日、家電量販店を訪れたら外付けディスプレイが軒並み完売していた。みんな考えることは同じのようだ。スーパーマーケットやドラックストアの棚がときどき空になるように、食料品や医薬品も分野によって飛ぶように売れている。

 この数カ月で見れば大打撃には違いないが、長い目で見れば人がいて生活している以上、消費水準がコロナ禍の前後で大きく変わるはずがない。変わるのは商品やサービスが消費者に行きわたる経路と消費スタイルである。テレワーク時差出勤と同じように、コロナ禍が長引くほど人々の消費スタイルも集団から個に変化し、次第に慣れてゆく。スタジアムやアリーナ、劇場に出向いてライブ感を楽しむスタイルから、個々人が自宅でネット配信を通じて楽しむようになる。ライブハウスの一部では貸スタジオを始め、バンドのネット配信を支援するビジネスも現れた。

 考えてみれば、スタジアムや劇場でライブ感を楽しむスタイルは大都市特有のものだった。ネット社会になればなるほどライブ感の価値が高まり、ひいては大都市生活の価値が高まり人口がますます集中するという矛盾があった。ネット社会は空間的な距離を克服するためのものだったのにもかかわらず。ネット社会の本来の姿に回帰するとすれば、ネット配信を通じて見るものが実物と遜色なくなり、バーチャルなものの価値が相対的に高まる。5Gの普及がこの流れに拍車をかけるのではなかろうか。

コロナ収束後の環境変化に備えよ

 コロナ禍で急速な業績悪化が進んでいる。自動車産業の操業停止、総合商社や航空業界の業績下方修正の報道を耳にするようになった。それ以上に中小企業は深刻でまさに死活問題だ。政府は制度融資の拡充や雇用調整助成金など、矢継ぎ早の資金繰り対策を打ち出している。中小企業庁ではこれら施策をとりまとめた小冊子「新型コロナウイルス感染症で影響を受ける事業者の皆様へ」を作成。SNS等も駆使して周知を図っている。

 もっとも、資金繰り対策は一過性の嵐をやりすごす策だ。仮に金利がかからないとしても返済負担は生じる。身の丈に比して過大な借り入れは経営体力を奪う。あくまでもセーフティネットであり、コロナ収束後に収縮した分の需要を取り戻すことが前提だ。3月29日、菅内閣官房長官は訪問先の沖縄で、収束後のV字回復を促す大規模な支援策を講じる考えを示したところだ。4月6日に安部首相が表明した緊急経済対策の事業規模はGDPの5分の1にも相当する108兆円だ。

 他方、ボリューム的なV字回復が期待できるとしても、コロナ収束後の環境変化を織り込むほうが無難ではないか。生産も消費も集団から個へスタイルが変わる。在宅勤務が当たり前になればオフィス需要の様相もそれなりに変化する。テレワーク班とオフィス班に分けるスプリット制度が仮にすべての事業所に普及すればオフィス面積は半分で済む計算だ。オフィス街の周りに集積するランチ需要も、飲み屋の需要も同様だ。ランチも、帰りのちょっと一杯も。

 出張頻度も以前のようには戻らないかもしれない。とある役所の入札説明会で、コロナ禍をきっかけに業者を集めて実施する形式を取り止めた。その代わりネットによるビデオ視聴に切り替えた。北海道から沖縄まで数十社が応募した公募案件だったが、交通費と宿泊費の節約額はいかばかりか。

 テレワークなど働き方改革は、声をあげ旗を振れどもこれまで遅々として進まなかった。それが今般のコロナ禍をきっかけに、必要に迫られるかたちで急に進んだ。はじめは高いところから飛び降りるような感覚もあったが、実際始めてみるとそれほど怖いものではないことに気がついた。ビデオ会議もそうだ。出張旅費を考えれば多少の課題には目をつぶれる。コロナ対応とはいえ大枚はたいたシステム投資だ。コロナ禍が収束したからといって元に戻すことはないだろう。

 消費についても同じく集団から個へ変わることを前提に事業転換を進めるのがよいのではないか。飲食店ならテイクアウト事業、ライブハウスならネット配信の支援、店舗販売からネット通販という具合だ。生産にせよ消費にせよ、集団から個への変化で成長が見込まれる業種もあるはずだ。中期的には運送業、IT関連業種がそれにあたるだろう。人材紹介業も成長産業になるかもしれない。構造変化による経営資源の移動が見込まれるからだ。

3.11に匹敵する変化を人心にもたらす

 収束後、コロナ禍で変わった日常を「レガシー」と捉え、前向きに捉えるべきはそのように捉えた上で社会変革を進めることが重要だ。具体的にはテレワークの推進、時差出勤の徹底、そのためのIT追加投資を講じることだ。働き方改革と生産性革命をわが国のすべての事業者に拡大する。 前述のコロナ対策パッケージは資金繰り支援だけではない。サプライチェーンの寸断を受け自社で部品の内製化を図るための設備投資に使える「ものづくり・商業・サービス補助」。インターネット販売を強化する等のビジネスモデル転換に使える「持続化補助」や、業務効率化ツールとともにテレワークを導入するのに活用可能な「IT導入補助」など、構造転換に向けた多彩なメニューが紹介されている。

 良かれと思って進めてきた集団化そのものが、これまで予想しなかったコロナ禍をきっかけにリスクとなり、今後、生産も消費も分散して行うことを考えなければならなくなった。オフィスも店舗もスタジアム・アリーナも今とは別の姿に変わるかもしれない。自宅が生産と消費の拠点となる次の世代にとっては、テレワークで働き、ネット通販でモノを買い、臨場感においてライブと遜色ない大画面テレビでひいきのスポーツチームを応援するのが当たり前になるのかもしれない。

 コロナ禍はおそらく3.11東日本大震災に匹敵する変化を人心にもたらす。ならば収束後の「復旧」ではなく、次代に適した再構築すなわち「復興」に意識を向けるべきだ。オフィスも店舗もスタジアム・アリーナのスタンドも無くなることはないだろうが、今とはだいぶ変わるだろう。自宅で都合のよい時間に必要なだけ働き、気が向いたときにネットで買い物をし、有料配信サービスでスポーツ観戦する。人口が密集した都会の代わりに野山に出かける。夏はキャンプ、冬はスキー。バンド活動を始めてネット配信するのもよい。職場の付き合いは薄くなるかもしれないが、代わりに地域活動で知りあった友人や家族との時間が増える。コロナ収束後に来るのはこんな日常だ。

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