新型コロナウイルスCOVID-19)の感染によって急に具合が悪くなり、家族と話し合うことも、看取られることもないまま亡くなるケースが増えているという。自分や誰かの「もしもの時」を考えて今こそ「人生会議」を・・・と思っても、健康に生活している状態では難しいと感じてしまう。どうやって健康なうちに話を始めたらいいのか、話し合いで行き詰ったら誰に、あるいはどこに助言を求めたらいいのだろうか。前回に引き続き、多くの終末期患者の診療に携わってきた緩和ケア医の大津秀一氏に、訊ねてみた。(聞き手・構成:坂元希美)

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(前編はこちら)自分の人生の閉じ方、何をどう決めておけばよいのか
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/59990

身近な人の最期をロールモデルに

――健康な時に「延命措置はいらない」「死ぬときは自宅で」という意思表示も病状や環境によって変わりますが、家族内だからこそ難しいこともあります。

大津秀一(以下、大津) 終末期について本人や家族、医療者らによる話し合いが「アドバンス・ケア・プランニング」(ACP)ですが、“プラン”が進行形になっているように、これはプロセス重視です。つまり、身近な人が病気になったり、世間で話題になったりした時など「折に触れて」話し合う工夫も必要になるでしょうね。

 それが「いざという時、どうするの?」といきなり切り出すようなやり方だと、「そんな話はしたくない」という方もいるでしょうし、「延命は嫌だ」で終了になったりします。

 そんな時には祖父母の最期などを思い出して、「おじいちゃんの最期は立派だったね」とか、「ああいう治療は嫌だな」という思いを口にして、家族のメンバーそれぞれの希望や価値観を引き出し、話し合いに移していくといいかもしれません。身近な人の最期がロールモデルになりうると思います。

 残された側としての経験や感情をシェアできると、自分の価値観によりはっきり気づけるでしょう。終活のセミナーや勉強会などに家族で参加して、考えや感想を話し合うのも一つのやり方かもしれません。

 現代は「みんなと同じように」といったお仕着せの人生ではなくて、一人ひとりが最期まで自分の希望に沿った人生を歩みたいという時代になりました。だからこそ、コミュニケーションを重ねていくことが、本人や周りの人にも悔いを残さないことになるのではないでしょうか。インターネットの中では若い世代を中心に「最期は安楽死したい」とか「人生の終わりは自分で決めたい」という声が多くなってきたように感じます。このように「死に方」ばかりがフォーカスされがちですが、ACPは話し合いを通して生き方を考える、希望や価値観を問い直すもので、「死に至るまでの生き方」として考えてもらいたいですね。

選択するのがつらい時には「緩和ケア」を

――病院などで急に「最期をどうするか」という問題に直面すると、医師から数字や確率を並べて説明されることが多く、患者や家族は混乱することもあります。

大津 確かに医療側が提示するのは「Aさんの場合、胃ろうをすると10%くらいは食事ができるようになるかもしれないが、90%は食べられないままと想定されます。どうしますか?」といった、数字で表す問いになってしまいます。

 医師としては、医療に100%が存在しないため、いずれの可能性も説明するしかなく、また判断の基準にはその方の価値観にも左右されるので、どちらがいいと決めつけるわけにもいきません。

 なので最終的には患者さん本人が決めないといけないですし、患者さんの意思表示がなければ家族が決めなければならくなります。どちらも当事者で、その負担はとても大きいものです。

――選択するのがつらい時のサポートはあるのでしょうか。

大津 「早期からの緩和ケア」が相当すると思います。がんの場合であれば末期だけでなく、診断されたその時から緩和ケアを受けることを厚労省が第2期「がん対策推進基本計画」から推奨しています。

 患者さんやご家族は診断されただけでも精神的・心理的な苦痛を抱えることになりますし、心の負担でQOL(生活の質)は大きく下がってしまい、治療の選択もうまくできないかもしれません。それで、がんのステージに関わらず治療の早い段階で心の苦痛を和らげ、患者さんやご家族が病気にうまく対応するために様々な支援を行う「早期からの緩和ケア」が必要になります。そこでACP、意思決定支援、病気に対する理解を深めるサポートができます。

 直面する当事者は「早く決めないと死んでしまうのでは」と焦りますし、どの順番で決めていけばいいのか混乱します。「早期からの緩和ケア」で相談してもらえれば、状況の補足説明、心身の問題のマネジメント法や考え方の情報提供、早く決めるべきものや多少は保留してもいいものなど医学的な助言もできます。それらを通して十分考える時間を持てたら、もし残念な結果になったとしても悔いが違ってくると思います。

(参考:がん対策推進基本計画
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000183313.html

――本人や関係者が納得感を得ることができるわけですね。主治医を信頼していないわけじゃないけれど、医者-患者という関係性ではない「専門家の意見」を聞きたかったという話も聞きます。

大津 おそらく負担を分かちあってほしいという気持ちの一つで、選択するプロセスを共有してほしいということではないでしょうか。実際に私のクリニックでもその目的で受診される方がいらっしゃいますし、意思決定支援をするのは緩和ケアの役割のひとつです。私が診ている患者さんは、たいてい正しく合った判断をされていることが多いのですが、それでも一人で決めることが苦しいのですね。その時に専門家として「ばっちりですよ」と助言すると、自分の決断に自信をもって治療を受けるなど、安心して生きていくことができるのだろうと思います。

 緩和ケア自体が終末期のものというイメージが強いですし、辛い症状を和らげるだけの治療だと思われていますが、実際は治療の情報提供、病気の理解、選択することへの支援なども幅の広いケアで、患者さんをあらゆる手段でサポートするものですから、決められないで苦しい時にも利用していただきたいです。

最期まで幸せに生きるために「人生会議」を

――健康なうちから「人生の最期」を自分ごととしてバリエーションを増やすには、どのようにすればいいでしょうか。

大津 人生の最期に携わる緩和ケア医としては、どこか「ポックリ死ねる」と考えている人が多いという印象があります。でも、実際にポックリ死は少なくて、【A】意思表示はできる状態だけれどもがんや慢性疾患をしばらく患ってから、【B】老衰や認知症などだんだん意思表示ができなくなって亡くなるというようなパターンがほとんどです。まったく健康な状態で考えられる未来のパターンは無限にありますけれども、まず【A】【B】の2パターンに絞って考えると想定しやすいかもしれません。

――在宅で過ごすか施設(病院)に入るかという選択でも、認知症とがんでは大きく違いますね。

大津 在宅ケアの中身や期間を考えても【A】と【B】は長期で先の見えない介護か、短期で緊張感が多い介護かの差がありますから、より本人の希望を叶えられるのはどちらか、介護する側の適性はどちらなのかと考えることができると思います。ですから、ご本人と身近な人たち、ケアを提供する医療者たちと互いに会話を重ねていってほしいと思います。

 自分が望むように最期を迎えられるということは幸せなことだと思いますし、周りの人の幸せにもつながります。幸せに生きていくための手段として、ACPが広まってほしいと思います。

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