(北村 淳:軍事社会学者)

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 米海軍空母「セオドア・ルーズベルト」に新型コロナウイルス感染者が発生したことにより、南シナ海や東シナ海での優勢を手にしようとしている中国海軍に大いなるチャンスが到来している。

空母セオドア・ルーズベルトで感染者発生

 サンディエゴを母港とするアメリカ海軍航空空母セオドア・ルーズベルトが率いる艦隊(セオドア・ルーズベルト空母打撃群)は、本年(2020年)2月10日グアム島のアプラハーバー海軍基地を出航し、南シナ海に入った。

 同空母打撃群は、南シナ海での軍事的優勢を強化しつつある中国に対して警鐘を鳴らすため、同海域で作戦行動を展開した。作戦行動が一段落し、いったんグアムに引き上げようとしていたところ、セオドア・ルーズベルトの乗組員の中に体調不良者が出た。そして3月24日、3名の乗組員が新型コロナウイルスに感染していることが確認された。その3名はただちにグアムに航空機で後送された。

 セオドア・ルーズベルトをはじめ、空母打撃群や第3艦隊司令部、太平洋艦隊司令部などでは、空母打撃群の作戦を停止しグアムに引き上げさせて、セオドア・ルーズベルトから乗組員を上陸させ検疫隔離すべきかどうか、深刻な決断を要する事態に直面した。

クロージャー艦長が解任された理由

 その間にも、乗り組み将兵の間に感染疑いのある者が出てきた。そのためセオドア・ルーズベルト艦長であるブレットクロージャー大佐は、ダイアモンド・プリンセス号のように艦内で乗り組み将兵の間に感染者が蔓延してしまうことを恐れ、「全乗組員の生命を守るために、可及的速やかに乗組員を汚染されている空母からグアムに上陸させるように」という要請を、直接の指揮系統(chain of command)以外にも幅広く散布(電子メール)した。

 米海軍当局はセオドア・ルーズベルト乗組員のグアム上陸を許可した。ところが、クロージャー大佐の要請書が米国メディアによって公開されると、米海軍当局は、クロージャー艦長の行為は「指揮系統を混乱させ、米海軍、米政府を辱める許しがたい行為である」として、即座にクロージャー大佐を艦長職から解任した。

 海軍関係者たちからは、クロージャー大佐が指揮系統を乱した行為に関しては、批判せざるを得ないという声が大勢を占めている。なぜなら「艦隊や海軍に限らずあらゆる軍事組織にとって、指揮系統は万難を排しても守り抜かねばならないバックボーンである」という原則は曲げられないからである。

 また、クロージャー艦長が自ら騒ぎを引き起こしたことにより、南シナ海域におけるセオドア・ルーズベルト空母打撃群の位置を中国海軍に対して明らかにしてしまった情報管理に対しても、批判がなされている(この点、海自駆逐艦と中国漁船の衝突位置を克明にツイッターに公表した日本の防衛副大臣などは話にならない。米軍側から見れば、相手にしてはならない“軍事のど素人”ということになる)。

 さらに「戦争中ではない現在、乗艦している将兵が新型コロナウイルスに感染して命を失う危険を冒す必要はない」というクロージャー艦長の「戦争中ではない」というフレーズに対しても批判がある。すなわち、「アメリカ海軍は潜在的敵勢力、とりわけ中国海軍とは実質的に戦争中である。艦長にはその意識が欠けているのではないか」という疑念の声である(現在、中国海軍とアメリカ海軍は戦闘を交えていなくとも、広い意味における戦争状態にあると考えている海軍関係者は少なくない)。

解任を批判する声も

 しかしながら、以上のようにクロージャー大佐を批判する人々といえども、この時点で艦長職を解任するのはあまりに拙速すぎはしないかという意見も多い。

 実際に、この解任人事を強行したトーマス・モドリー海軍長官代理(海軍長官はトランプ大統領によって解任されてしまっているため、現在はモドリー長官代理が海軍省のトップ)に対して、海軍作戦部長(海軍軍人の最高位)ミッチェル・ギルディ海軍大将は、「現時点での艦長解任は性急すぎである。少なくとも海軍内における調査が完了してからクロージャー艦長の処分を下すべきである」と反対したとのことである。

 このような軍事的論理とは別に、連邦議会議員やメディアからも、トランプ大統領の軽はずみな反応に政治的に同調して艦長解任を即決したモドリー海軍長官代理の決断こそが強く非難されるべきであるとの声が寄せられている。今回の感染症という緊急事態において軍隊内の指揮系統に固執していては5000名もの部下の命を救うには時間がかかりすぎると考えて非常の手段に訴えたクロージャー艦長の行為は賞賛されるべきである、というわけだ。

 これに対してモドリー海軍長官代理は、いかなる事態においても指揮系統を乱すことは許されないし、リークされ公開されたクロージャー大佐の要請書は空母セオドア・ルーズベルト乗り組み将兵の士気を著しく低下させてしまった、と反論している。

 ところが、モドリー海軍長官代理が反論演説の中でクロージャー大佐を「あまりに浅はか、あまりに馬鹿な」評価したことに対して、セオドア・ルーズベルト乗り組み将兵の多くが怒りの言葉を寄せている。「クロージャー艦長の要請書によって士気低下などは全く起きていない」とモドリー海軍長官代理に対する憤りの声が上がっているのだ。

 今後、海軍内外でクロージャー艦長の行為に対する調査が進められるとともに、連邦議会ではモドリー海軍長官代理をはじめとする海軍首脳に対する公聴会などが開かれ、この問題でアメリカ海軍ががたつくことは避けられそうにもない。

クロージャー艦長に対して「馬鹿」という言葉を使ったことに対して、海軍内部やメディアそして連邦議会からの強い辞任要求の声が上がったため、モドリー海軍長官代理は辞表を提出し、4月7日、国防長官は辞職を承認した。)

空母が足りない!

 さらに大きな問題がある。それは、現在、東アジア海域で作戦活動を展開できる唯一の航空母艦が戦列を離れてしまったことだ。

 万が一にも中国軍が台湾に攻撃を仕掛けたり、尖閣諸島を占領してしまったとしても、空母を中心とした艦隊(空母打撃群と呼ばれている)を主軸として戦闘を遂行する現在のアメリカ海軍には効果的に反撃することが不可能である、という深刻な事態に米海軍は直面してしまったのだ。

 現在アメリカ海軍は下の表のように11隻の空母を運用中である。

 このうち最新鋭のジェラルドフォードはいまだに各種の最終テスト中で実戦配備はまだ先である。そして、作戦行動中である3隻のうち2隻(ドワイトアイゼンハワーとハリー・S・トルーマン)は北アラビア海での作戦に従事している。セオドア・ルーズベルト新型コロナウイルスに感染してしまった現在、東アジア方面海域に緊急出動可能な空母は見当たらなくなってしまったのだ。中国海軍としては、まさにチャンスが到来したと笑みを浮かべていることであろう。

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米海軍のセオドア・ルーズベルト空母打撃群(写真:米海軍)