(福島 香織:ジャーナリスト)

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 4月8日、日本は緊急事態宣言を発動し、中国は武漢の都市封鎖を76日ぶりに解除した。日中逆方向に矢印を向けたメルクマールといえる。

 日本はこれからニューヨークのような阿鼻叫喚医療崩壊と感染蔓延に向かうのか、それとも何とか持ちこたえて、1カ月後に封鎖解除となるのか。中国は一足先に感染制圧勝利宣言をして、経済のV字回復を狙うのか、それとも再び感染爆発に見舞われるのか。

 日本の状況の見通しも難しいが、中国も、ポジティブ報道と、リスクは去っていないという警告が混線して広がっている。

封鎖解除の途端に脱出する人が続出

 4月8日午前零時に武漢封鎖が解除され、市内外の移動の自由が解禁された。零時を回ると、武漢のランドマークの江漢関ビルの周辺では人々が「鐘や太鼓を打ち鳴らし」歓声の声が響きわたったとか。ビルはライトアップされ、「英雄の都市」「英雄の人民」「白衣の天使」といった文字が映し出された。人々は通りに出て、武漢長江大橋からこの光景を眺め、都市の解放を祝いあったという。封鎖が始まったのはまだ真冬であったのに、もう武漢名物の桜の季節も過ぎ、春も終わりに近い。ようやく、日常を取り戻せる市民の喜びや、いかばかりだろう。

 だが、少なからぬ市民のとった行動は、すぐさまの武漢脱出であった。中国誌「財新」などが報じていたのだが、4月7日午後11時半には武鄂高速道路の料金所にはすでに長蛇の車列ができ、零時に料金所の封鎖が説かれて市外に出られるのを今か今かと待っていた。武漢から外に出る道路の75カ所に、封鎖のための「関所」が設けられていたが、これが零時に一斉に撤去される。それと同時に、市民たちは武漢を脱出しようとしている様子がSNSでも流れていた。鉄道駅にも空港にも多くの市民が武漢を離れるべく、詰めかけていた。

 4月8日から10日までに武漢を離れる予定の市民は少なくとも10万人と推計されている。8日の武漢発の列車の予約状況をみると、少なくとも5.5万人が武漢を離れる。行先は広東の珠江デルタ方面が多く、その方面だけで2.2万人の武漢市民が脱出するという。

 飛行場からも4月8日発の200便あまりで、約1万人が武漢を離れる。もちろん1100万人の都市の規模からすれば、「大脱出」というほどの数ではないが、封鎖解除されたとたん、明日にまた封鎖されるかもしれない、という懸念は多くの市民に共有されていた。

懸念される感染の“再爆発”

 懸念の理由の1つが、毎日のように発表される無症状感染者の多さだ。

 3月20日発行の英国の科学誌「ネイチャー」に寄稿された論文によれば、新型コロナ肺炎の軽症者および無症状感染者は全体の感染者の60%と推計されている。中国の新型コロナ肺炎患者数は8万人余りとされているが、無症状感染者を公式統計に含めていない。よって単純に計算しても12万人の無症状感染者がいるということになる。

 武漢大学中南医院呼吸器重症医学科主席専門家の楊炯教授が4月5日の段階で、メディアを通じて呼びかけていたことは、武漢の状況はまだ少し危険であり、8日以降に人口流動が大きくなれば、さらに慎重さが必要だということだ。「この3日にわたる調査の結果、武漢市の無症状感染者は0.15~0.3%ほどで、人数にして1~2万人いる。無症状感染者の感染性が比較的低いとしても、警戒が必要だ」と重ねて呼びかけ、「集会を少なくし、マスクをつける」ことは非常に重要で、買い物、通勤も感染予防措置と規定を順守しなくてはならない、としている。

 WHO(世界保健機関)は、無症状感染者は咳やくしゃみなどをしないので感染性が低いとしているが、ウイルスの保有量は症状の有無と関係ない、という研究もある。寧波市の感染例についての研究「寧波市新型コロナウイルス肺炎濃厚接触者感染疫学特徴分析」という論文によれば、新型コロナ肺炎確診例による濃厚接触者感染率は6.3%、無症状感染者濃厚接触感染率は4.11%であり、感染者の症状の有無に関係なく、感染力に大きな差はない、という結論を導いている。

 無症状者はくしゃみやせきが少ないから感染力が低いとしても、家庭内や施設内で接触時間が長い場合は、相手が感染者だと気づいてない分、予防措置が甘くなり、むしろ感染源になりやすいだろう。

 無症状感染のリスクと中国の感染の“再爆発”への警戒をことさら強く訴えているのは、上海の復旦大学付属華山医院感染科主任の張文宏だ。3月27日の専門家たちによるシンポジウムで「人類史上、見たことのない奇怪なウイルス。感染力が非常に強く、症状も軽くなく、インフルエンザSARSの間ぐらいで、無症状もある。これが大きな問題」「目下、人類史上最も対応の難しいウイルスの1つだ。エボラは凶悪だが、遠くには行かず、アフリカでとどまったままだ。しかしものウイルスの難しさは人類の予測を超える」と強く警告している。

 中国共産党は無症状感染を感染者数にカウントしてこなかったが、張文宏のこうした強い警告を受けて、無症状感染者4月1日からカウントするようになった。

張文宏と鐘南山、2人の専門家の対立

 ちなみに張文宏の強い危機感は、中国の新型コロナ対策の専門家チームリーダーである鐘南山とは真っ向から対立する。鐘南山は、中国国内にはさほど無症状感染者がいない、という立場を人民日報のインタビューで答えており、4月中に基本的に感染を制圧できるという見通しを主張し、「2回目の感染爆発はあり得ない」との見方を示している。目下、市民がどちらの専門家を支持しているかというと、圧倒的に張文宏の方が人気である。

 張文宏が最近、中国のネット民にやたら評判がよいのは、自分の年収をネットで公開したからだ。党の幹部、公務員の個人財産の公開は、実は政治的に敏感なテーマである。ネットで、誰かが習近平の収入や資産の公開を求めると、削除されたり、アカウントが凍結されたり、ひどい場合、意味不明の理由で身柄を拘束される例もある。中国で、率先して個人の収入額を公開したことは、他の党員や公務員たちに対する暗黙の批判とも受け取られるわけだ。張文宏は、収入の内訳を示すことで、自分が「政治ウイルス」に侵されていないことを示そうとした、とみられているが、これは鐘南山への当てつけ、とも受け取られている。

 中国で新型コロナウイルス以上に警戒すべきは、この「政治ウイルス」だといわれている。政治ウイルスとは、ありとあらゆる場面で、共産党員としての立場を優先させてしまう、一度感染するとほとんと不治の病といえる。感染源は金や利権。症状は隠蔽と楽観論の吹聴による権威の失墜だ。たとえば、WHOはすでにチャイナ政治ウイルスに感染して重篤である、といえるだろう。

 鐘南山は2003年のSARS対策で専門家としての陣頭指揮をとった中国呼吸器感染症の最高権威である。今回の新型コロナ肺炎対策においても中央専門家チームのリーダーを務める。だが中国のネットユーザーたちは2月下旬ごろから、鐘南山の言動に疑問を持ち始め、政治ウイルスにやれているのではないか、と噂し始めた。

 鐘南山は2月下旬に、ウイルスが中国の外から持ち込まれた可能性を言い出し、3月12日には、4月末に中国がウイルスを基本的に制圧できるとの見通しを話し、4月になってからは中国に無症状感染者がほとんどいないという見方や、再感染爆発がありえない、という見通しを公言していた。

 おりしも、鐘南山が実は3つの医薬科学技術関連企業の会長職にあり、そのうち、広州呼吸器研究所医薬科学技術有限公司は傘下に90もの関連企業を従え、かなり大きな利権に関わっていることが、一部メディアで報じられていた。そうした報道から、鐘南山はもう昔の良心的医師ではなく、党員としての立場を優先させるようになってきているのではないか、という疑いを中国人民たちも持ち始めていたのだ。そのタイミングで張文宏が、自分の収入の内訳を公開したものだから、張文宏の人気が一気に上がったのだ。

 張文宏の年収は184万元。中国庶民の感覚からいえば並外れた高所得者であるが、内訳は華山医院からの給料・ボーナス50万元、国家重点プロジェクトメンバーとしての収入120万元、ランセットなど論文の印税2万元、その他で、あくまで専門医としての仕事によるものだとして透明性があった。だから、彼は習近平が指導するポジティブ報道、楽観論に反して危機感を訴え続け、専門家チームのトップであり国家的感染症権威の鐘南山と真逆のことを言えるのだ、と考える人が多かった。

 ちなみに張文宏は1月29日に上海市医療チームの組長として国内外メディアに対してビデオ会見したとき、感染症の最前線の医師を全部党員に替えたことを明らかにした。病院内では権力も権勢もない非党員の医師が前線に立たされ、党員の幹部が安全なところで命令する悪弊があったが、それをひっくり返したのだ。「これで、現場の最前線医師をいじめる人はいなくなる」と発言したときから、彼の人気は上がり始め、「政治ウイルス」に侵されて権威失墜ぎみの鐘南山に代わる「国民医師」と目されるようになった。

中国が真に感染症を克服する日

 いじわるな見方をすれば、張文宏が処世術にたけているだけともいえる。だが中国共産党体制内で、新型コロナ肺炎に対する見通しも、対策の方針も、そして今後の体制の在り方自体にも意見が割れているからこそ、専門家たちの対立が表沙汰になるのかもしれない。

 中国は4月7日新型コロナ肺炎感染による死者がゼロになったと発表し、国内では新型コロナ制圧間近というムードが盛り上がっている。だが、新型コロナ対策指導チームのリーダーである李克強は3月23日の会議で「ゼロ報告を追求するために、隠蔽するようなことは絶対ないように」と釘をさしている。

 党内では、早くウイルスとの戦の勝利宣言を上げて、世界でいち早く経済回復をアピールしたい習近平と、まだ潜在的な感染者があり、勝利には程遠いと警戒する李克強の対立があり、おそらくその結果が、誰が中央で感染拡大の責任を主に引き受けるかという責任論の動きにも影響しそうだ。

 感染症の真の制圧は「チャイナ政治ウイルス」の克服とセットになって、初めて中国の健全な発展の回復となるとすれば、勝利宣言はまだ遠い先のことかもしれない。

 真に感染症を克服して、生まれ変わったようなチャイナの生還を私は期待するのだが、その前に、日本は日本で、専門家の間にもメディアも妙な「政治ウイルス」がはびこって、感染をこじらせないか心配でもある。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  「コロナから解放」の中国と韓国で進行していること

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