新型コロナウイルス感染症を巡る報道の仕方が問われている。特にテレビ報道は情報伝達の効果が大きい。「スーパーの棚に食料なし」の映像を流すことの悪影響と実害が憂慮される。

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「一記事一義」になっていないニュース

 新型コロナウイルスの問題が深刻化する中で、テレビの報道・情報番組ではスーパーマーケットの棚からトイレットペーパーや食料がなくなっている映像が流れている。3月25日小池百合子東京都知事が「感染爆発の重大局面」を表明した翌日、複数のテレビ局が「棚に食料なし」の映像を伝えていた。

 民放の夕方の情報番組では、次のような伝え方がされていた。

 キャスターが「私たちもどう報道するか、悩みながら検討を重ねています。みなさんにご安心いただくためにこの情報を伝えています」との旨を口頭で話す。一方で、映像ではスーパーでの「棚に食料なし」を映しだす。その後、中継スタッフがスーパー店員にマイクを向け、「在庫はたっぷりありますので、安心してください」といった話を引き出す・・・。

 報道者は、ニュースや記事を作るとき「一記事一義」を守るべきだろう。つまり、そのニュースや記事で伝えることはひとつに絞るべきであり、伝えたいことと異なる情報をを詰め込むべきではない。上記の報道では「在庫はあるから安心して」というメッセージが伝えたいことだったのだろう。「棚に食料なし」の映像を流すのは伝えたいことに逆行する行為だ。

品不足の情報源、第1位は「テレビ」

「棚に食料なし」を伝える媒体は、なにもテレビばかりではない。だが、テレビ映像の影響力は高いということを考えなければならない。

 調査企業のサーベイリサーチセンターが3月11日に公表した「新型コロナウイルス感染症に関する国民アンケート」では、20歳以上の男女4700人に「『トイレットペーパーが不足する』とのうわさを、最初に知った情報源」を聞いている。最も割合が高かったのが「テレビ」で、46.7%だった。2番目の「人との会話・口コミ」の15.9%、3番目の「インターネット」の13.6%を大きく引き離している。

 さらに「実際にトイレットペーパーの品切れが発生している状況を、最初に知った情報源」の問いでも、最も高かったのが「テレビ」で36.0%だった。2番目の「店頭で見かけて知った」の28.7%をしのいでいるのだ。いかに、いまも多くの人々がテレビから情報を得ているかが分かる。

 放送以外の媒体の多くは、自分で情報を求めていかなければその情報の中身を得られない。だが、放送媒体では、つけっぱなしにしていれば番組側から情報が視覚や聴覚に届けられてしまう。知りたくなくても知ってしまうという側面を放送媒体は多分に持っている。

 加えて五感の中でも視覚による情報入力の効果は大きい。ドイツ心理学者マンフレッド・ツィンマーマン1978年、感覚ごとの受容器の数、脳に向かう神経の数、神経の平均放電頻度などを計算した。そして、視覚は情報入力の8〜9割を占めると結論づけた。これが、いまも根強くいわれている「視覚は入力情報の8割」の根拠となっている。

 8割まであるか筆者には分からない。けれども、映像による視覚情報が少なくとも文字や音声より印象に残りやすいことを、多くの人が経験的に感じるのではないか。

「3つの“密”」を助長させるリスク

 テレビ報道で「棚に品物なし」の映像が流れるとどうなるか。直接的に「大変だ。私も買っておかねば」とスーパーに向かう人がいるだろう。さらに、そういう人たちがいることを見越して「みんながスーパーに行くだろうから、私も買っておかねば」とスーパーに向かう人もいるだろう。

 平時に人びとが話題の品物を求めて店に押し寄せるのであれば、害は少ない。だが、今回は事情が違う。多くの人びとが売り場内を動き回る状況は、「3つの“密”」のうちの「多数が集まる密集場所」の状況と言わざるを得ない。店の環境によっては、「密閉空間」や「密接場所」が当てはまる場合もあるだろう。

 つまり、「棚に品物なし」の映像を流すことは、感染拡大を助長させているおそれがある。対応する店員たちの不安も察するに余りある。

各局が報道の理想を掲げているものの・・・

 テレビ報道者たちにも、映像でものごとを伝えることの大義名分はあるのだろう。買い占めという社会現象が起きていることを伝えることが、問題提起につながるといったことを考える人もいるだろう。映像で間をつながなければならない以上は、少しでもセンセーショナルな映像を流しておこうと考える人もいるだろう。

 テレビ局は、自分たちの報道のあり方をどう定めているのか。各テレビ局の綱領、指針、方針などを見てみる。各局とも社会の人びとのためになるよう務めたり、映像の持つ影響力に自らいましめたりしている文言を並べている。

 果たして「棚に品物なし」の映像を流す行為は、視聴者の要望を踏まえたり、安全な生活につながると考えてのものなのだろうか。

「緊急事態宣言」で、テレビ接触度は高まるだろう

 テレビ報道の仕方はどうあるべきか。

「棚に品物なし」を映像で伝えることが、「本当にいま社会に伝えなければならないことなのだ」と判断するのであれば、その信念をもって報じればいいだろう。ただし、映像がどんな社会的影響をもたらすかをよく考えた末にそうすべきだ。また、映像を流したら、何のために「棚に品物なし」を報じたのか、その意図も伝えることが求められる。

 だが、こうして突き詰めて考えたとき、「棚に品物なし」の映像を流すことを「社会的な意義がある」と言い切れる報道者はどれだけいるだろうか。生活者感覚から離れてしまっているが、仕事の立場上「これは意義があることなんだ」と言い聞かせているだけではないか。

「センセーショナルな映像で間をつなごう」とか「インパクトある絵で視聴率を上げよう」といった意図で取材する人はいるだろう。だが、これらは各局が掲げている「適確な情報」や「的確なニュース」と筋がちがう。

 4月7日、「緊急事態宣言」が発令された。対象都府県の人びとは外出自粛を強く要請されている。人びとがテレビに接する度合いはより高まるだろう。非日常的なこの状況で、多くの人びとはテレビという媒体をいまも頼りにしているのだ。「自分や家族のためになる情報を得たい」「いつもの出演者を見て、安心を得たい」と。

 報道者の熟考と、スポンサーの声と、視聴者の反応とで、テレビ報道が人びとの生活の安定に役立つように向かっていくことを願いたい。

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いまも多くの人びとがテレビ報道を頼りにし、影響を受けている。