PanAsiaNews;大塚 智彦)

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 新型コロナウイルスの猛威にさらされ、政府がその感染拡大防止に懸命となっているのは東南アジア各国でも例外ではない。フィリピンやタイでは夜間外出禁止令や実質的な非常事態宣言、インドネシアの首都では大規模社会制限、シンガポールでは基幹産業以外の企業活動自粛など、あの手この手でウイルスとの戦いを必死に進めている。

 ところがカンボジアでは、フン・セン首相によって国際社会の流れに逆行するような政策がコロナ対策でも相次いで打ち出されており、野党や人権活動家などの間からは政権への不満とコロナウイルス感染対策への不安が高まっている。

 ただカンボジアは報道の自由や表現の自由が著しく制限された「独裁体制」。そのため実際の状況や国民の生の声がなかなか世界に伝わっていない。

首相の言葉引用しただけで記者逮捕

 カンボジアの首都プノンペンの警察は4月7日夜、Facebook上でTVFBという独自のネットニュースを運営するジャーナリストのソファン・リシー氏を逮捕した。米政府系放送局「ラジオフリーアジアRFA)」が伝えた。

 逮捕容疑は刑法495条の「社会の混乱を招き、社会を危険にさらした」容疑という。リシー氏は、同日フン・セン首相が、コロナウイルスの感染拡大でバイクタクシーの運転手が失業の危機に陥っていることに触れた演説の中で、「生活が厳しく金が必要ならバイクを売ればいいだろう、政府は救済する力などない」と述べたことをそのまま引用し、Facebook上でニュースとして流した。

 ところがこれに対し情報省がクレームをつけ、警察がリシー氏を逮捕に乗り出したのだ。国家警察の報道官はRFAに対し「リシー氏の掲載内容は誇大である。フン・セン首相は単に冗談を言ったに過ぎず、それ公にしたことで社会不安を創出している」と逮捕理由を説明したという。

 さらに情報省はTVFBのメディアとしての免許停止を関係当局に命じた。

 このためフランス・パリに本部のある「国境なき記者団RSF)」は、リシー氏の即時釈放、TVFBの放送免許の復活を求めるとともに「首相の言葉を引用しただけの報道で記者が逮捕されるのは官僚機構、政治体制の危険な兆候であり、ばかげている」とする声明を8日に発表、フン・セン政権に抗議した。

 カンボジアRSFが毎年公表している報道の自由度ランキング2019年は世界180カ国中143位にランクされており、報道の自由が著しく制限されている。

報道・政治活動を制限する「親中独裁政権」

 フン・セン首相と言えば、1月30日に中国湖北省武漢でコロナウイルスによる感染者が急増する中、武漢に滞在していたカンボジア留学生や外交官、ビジネスマンなどに対して「カンボジアに帰国することはまかりならない。現地に留まり、感染防止に動いている中国人に協力しろ」と指示して国際社会を驚かせた人物。

(参考記事)「帰国するな、武漢に残れ」と国民に檄飛ばす媚中国
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/59210

 当時武漢からは中国人外国人による脱出ラッシュが続いていた。その後、2月5日に北京を訪問して習近平国家主席と会談したフン・セン首相は、「コロナウイルスとの戦いでの共同戦線」を内外に強くアピールした。フン・セン首相はさらにその足で単身、武漢に乗り込もうとしたようだが、「さすがにそれは習国家主席が思いとどまらせた」とも報じられている。

 その後、帰国したフン・セン首相はプノンペンで開いた記者会見の席で、集まった報道陣の中にマスク姿の記者を発見するや、「私をはじめとする政府側は誰一人としてマスクなどしていない。会見にでるならマスクを取るように」と要求したという。

 現在、世界中を大混乱に陥れている新型コロナウイルスに対する警戒感が薄いのだ。

 ちょうどこのころ、日本の横浜に寄港した豪華客船「ダイヤモンド・プリンセス」の乗員・乗客の間でのコロナ感染が大きな問題となった影響で、東南アジアを航行中だったクルーズ客船「ウエステルダム号」(2257人乗船)が、最終目的地だった日本をはじめ東南アジア太平洋の各国から寄港を相次いで拒否され、約2週間洋上をさまよう事態が起きていた。

 これを見たフン・セン首相は、「人権に配慮するカンボジアが無条件で寄港を認める」とし、2月14日カンボジア南部シアヌークビルへの寄港、乗客の下船が実現した。外国人乗客が下船する際には、フン・セン首相自らが港で出迎えるパフォーマンスも見せた。

 同客船の乗客は下船前にコロナ感染検査を受けていたということで、その後相次いで空路で各国に出国した。しかしタイのバンコクに到着した乗客の一部が「陽性」と判定されたことで、カンボジアの検査に疑念が浮上。これに対してカンボジア側が、「タイ到着後の発症だ」と応酬し、責任を押し付け合う一幕もニュースとなった。

休暇の帰省禁止、工場欠勤も許さず

 カンボジアでは4月13日から16日までが「クメール正月」で、国民は休暇で一斉に故郷などに帰省する。ところが今年はコロナウイルスの感染が地方に拡散することを防止する観点から、「休暇中の帰省自粛」だけでなく、「休暇中の工場などの操業休止の禁止」「休暇そのものの延期」まで打ち出す事態となっているという。

 このため多くの工場労働者は正月休み中の欠勤が認められず、「無断欠勤は給与カットや解雇の対象となる」ことから、実質的に休めない状況に追い込まれている。

 インドネシアやタイ、フィリピンなどでは、密閉空間で労働者が密接に働く環境にある工場などは操業短縮や生産調整、一時操業停止などの措置で感染拡大の防止が図られているのだが、フン・セン政権はこれらとは対照的な措置を講じていることになる。

 政府や軍、救急、消毒作業などの緊急車両などに限定されている国内移動手段の制限だが、例外として工場勤務に向かう労働者の乗車した車両、バスなどは「労働奨励」の政府方針から通行を認められているのだ。

「非常大権」を付与する法案可決

 4月10日カンボジア議会はフン・セン首相と政府にコロナウイルス対策に関連して国政運営でいわゆる「非常大権」を与える内容の「非常事態時の国家支配特別法」を満場一致で可決した。

 国会では法務相が同法の法案内容の趣旨説明を行い、約1時間の審議で採決に入り与党「カンボジア人民党(CPP)」により可決成立した。議場では全員の議員がマスク姿だったが、フン・セン首相はただ一人マスクなしで投票を行ったと地元メディアなどは伝えている。

 この日可決した新法は、非常事態に関連して「政府にテレコミュニケーションを通じたあらゆる情報に対する追跡、監視を許可する」(第10項)、「社会不安を煽り、国家の安定を損ない混乱を招き、国にダメージを与える内容の情報の拡散防止、制限、禁止」(第11項)などという内容が含まれ、これまで以上に言論、報道の自由が厳しく制限されることになる。

 このため実質解散に追い込まれている野党カンボジア救国党(CNRP)関係者や国際的人権団体、メディア組織などからは「コロナウイルス感染拡大阻止に名を借りたフン・セン政権の権限強化、独裁体制強化の法律以外の何ものでもない危険な法である」との批判の声が一斉に上がっている、とRFAは伝えている。

 このようにフン・セン首相のカンボジアコロナ問題では独自の路線を歩んでおり、カンボジア当局が発表しているコロナウイルス感染者119人、死者0人(4月10日現在)という数字も、カンボジア国内の医療水準や検査体制などを勘案すればかなり低い数字で、実数は相当に多いのではないかと見られている。

ASEAN内で突出した「中国寄り」の姿勢

 東南アジア諸国連合ASEAN)加盟国10カ国の中でもカンボジアは、突出した中国寄りの国家である。南シナ海領有権問題や中国が一方的に進める「一帯一路」の経済支援への疑問や反発・批判がASEAN内の議論や協議で噴出していても、「全会一致」が原則であるため、カンボジア1国の反対により、共同宣言や共同声明の中で中国を具体的に名指し批判することができない状況が続いている。

 ASEAN内部では、カンボジアを中国のASEAN内での橋頭保とする見方が支配的になっている。ただし現在は、各国ともに自国のコロナウイルス対策で手一杯で、カンボジアのやりたい放題を黙って見ているしかないという状況になっている。

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寄港先が見つからなかったクルーズ船を自国のシアヌークビルに受け入れ、乗客の下船が始まった2月14日、自ら港まで出迎えに現れ、花束を手渡されたフン・セン首相。もちろんマスクは着けていない(写真:AP/アフロ)