今年は新型コロナウイルスの感染拡大にともない、卒業式や入学式を中止か延期するところも多いとはいえ、学校はひとまず新年度を迎えた。著名人からも子供がこの春、学校を卒業あるいは入学したという話がちらほら聞こえる。ファッションブランド「UNDERCOVER」のデザイナーの高橋盾は、娘がこの3月に和光高校を卒業したとSNSで報告していた。高橋の娘である高橋ららはモデルとして昨年9月、パリコレデビューを果たしている。なお、和光高校というと、埼玉県和光市にも同名の県立高校があるが、高橋ららが卒業したのは私立和光学園の運営する高校のほうで、東京都町田市に所在する。

 和光学園は幼稚園から大学院までを運営する学校法人だ。多数の芸能人・文化人が子供を通わせていることでも一部では知られ、作曲家の宮川泰の息子で同じく作曲家の宮川彬良ダウンタウン浜田雅功の息子でミュージシャンのハマ・オカモト(本稿執筆中の現時点で、新型コロナウイルス感染の疑いで2度目のPCR検査の結果待ちというが、無事を祈りたい)、草刈正雄の娘でタレントの紅蘭など、親子そろって表舞台で活躍するケースも目立つ。二世俳優も多く、宇野重吉の息子の寺尾聰(法政二高から転入後さらに転校)、緒形拳の息子の緒形直人(高校中退)、唐十郎・李麗仙の息子の大鶴義丹(玉川学園高から転入)、柄本明・角替和枝の息子の柄本佑・時生兄弟、渡辺徹・榊原郁恵の息子の渡辺裕太がやはり和光学園出身である。

 セレブがこぞって子供を通わせる慶應義塾などとくらべても、和光学園の父兄の顔ぶれは遜色なく、巣立っていった著名人も個性派ぞろいだ。芸能人のあいだでは和光の評判はすこぶる高いようである。渡辺裕太は、母親の榊原郁恵が歌手の太田裕美に薦められたのをきっかけに和光学園に入学したという。その後、榊原からもほかの人に薦めるようになったとか(※1)。柄本佑・時生兄弟も、両親と同じ芸能事務所に所属する内田春菊(マンガ家・女優)から紹介され、和光学園に入ったらしい(※2)。内田も子供を和光に通わせていた。ちなみに柄本時生の同級生には、とんねるず石橋貴明の娘で女優の石橋穂乃香がいる。

なぜ、芸能人は和光を薦め合うのか?

 なぜ、芸能人は和光を薦め合うのか? 理由のひとつには、「芸能人の子供に対してさまざまな配慮をしてくれる」というのもあるらしい(※3)。だが、和光学園を卒業した著名人の証言を読むと、どうもそれだけではないようだ。

 たとえば、先述の宮川彬良は、和光に中学・高校と通ったが、なかでも中学の3年間は《人生の節目であり、あの3年間が今の僕を作りだしていると言っても過言ではないんです》とまで語っている(※4)。和光中学には全校を挙げて学級演劇祭という行事があり、宮川のクラスの担任はとくに熱を入れていたという。3年のときにはロシアの作家ゴーゴリの喜劇『検察官』をクラスメイトたちが脚色し、劇中の音楽を宮川が作曲した。このほか、生徒がおのおの自分の仕事を見つけて、それぞれの得意なことを活かしながら、ひとつの舞台をつくっていった。宮川はその準備をしているときから、《僕は演劇をする人の音楽をつくる人になる!》と決め、実際、プロになってからは、舞台音楽家としても活躍している(※4)。

 宮川が和光に入るきっかけには、当時習っていたピアノの先生の知り合いに、和光OBの作曲家・三枝成彰がいたこともあったという(※4)。三枝は、NHK職員だった父から自分のなれなかった作曲家の夢を託され、幼くしてピアノを習わされた。だが、最初に入学した公立小学校の担任教師から「男の子ピアノなどやると結核になる」と言われ、父が激怒。三枝をもっと自由に育てられる場所はないかと探した末、和光学園を見つけ、編入させる。毎朝ピアノの練習があった三枝は、登校は1時間目が終わってからでいいと学校側から快諾を得ていたという(※5)

 三枝もまた、在学中は演劇に熱中した。高校時代は演劇部をつくり、自分たちで作・演出した芝居を学校だけでなく老人ホームや病院などもまわって年に何回も上演した。公演が近づくたび学校に夜まで残って稽古を続ける彼らに、教師の丸木政臣が「帰れ」と言いながらも、稽古が終わるまで手伝ってくれたという。丸木は三枝が中学に進学した1955年に和光に赴任し、のちには学園校長を務めた人物だ。

和光で音楽教育、演劇教育が盛んになった理由

 和光学園はもともと1933年に成城学園から分家する形でスタートし、翌年、小学校が開校、戦後の1947年に中学、50年に高校、53年に幼稚園を設け、66年には大学が開学した。このあとさらに和光鶴川幼稚園1969年)、和光鶴川小学校1992年)が新設されている。

 和光では発足当初から戦後にかけて、成城学園の教師だった作曲家の岡本敏明、児童劇作家で学校劇運動に携わっていた斎田喬が教えに来ていた(※6)。これがのちにいたるまで音楽教育、演劇教育が盛んに行なわれる下地となる。

 戦前より生徒の自主性を重んじてきた自由な校風は、戦後、丸木政臣らの指導もあり、さらにユニークな展開を見た。三枝成彰は後年、和光時代について、《クラスの顔ぶれもユニークで、家の事情で他校から移ってきた子や、公立の学校になじめないで転校したという子もいた。国籍すらバラバラだった。障害を持つ生徒も他の生徒と一緒に学んでいた。そういう環境で暮らしていると、「世の中にはいろいろな人間がいるのが当たり前。みな平等なんだ」という意識が自然に育ってくる。何でも自分たちで決めさせてくれたし、学校もそれを尊重してくれた》と振り返っている(※6)。

 1970年代に国が障害児の養護学校就学の義務化や、普通学校のなかに障害児学級の設置を推進するようになってからも、和光では「共同教育」を標榜し、障害を持つ生徒も普通学級で一緒に学ぶ姿勢が貫かれた。芸能人や文化人が子供を和光に通わせたがるのも、ユニークな才能が輩出されるのも、こうした自由で多様性を認める校風ゆえなのだろう。

オザケン小山田圭吾オリジナル・ラブ田島貴男も……

 いまから25年ほど前、1990年代半ばにも和光学園が注目されたことがある。それというのも、このころ音楽シーンで脚光を浴びていた元フリッパーズ・ギター小沢健二小山田圭吾、元L⇔Rの嶺川貴子、オリジナル・ラブ田島貴男などといったミュージシャンが和光出身だったからだ。小山田小学校から高校まで和光ですごし、中学時代に小沢と一緒になっている(小沢は中学卒業後、神奈川県立多摩高校に進学)。田島と嶺川は大学が和光である。

 当時、和光学園をとりあげた雑誌記事では、和光学園出身の著名人30人がリストアップされていた。

 リストアップされた出身者にはやはりミュージシャンが多く、先にあげた4人以外にも、1950年代のロカビリーブームの立役者のひとりミッキー・カーチスをはじめ、元ジャックスの早川義夫、元・休みの国のリーダー高橋照幸(2016年死去)、元たま(記事掲載当時はまだ解散前)の石川浩司、リトルクリーチャーズ鈴木正人・栗原務・青柳拓次、女性ミュージシャンでは元MANNAの梶原もと子、コシミハル、さねよしいさ子の名前があがっていた。和光大中退の石川浩司は、同記事中、「和光っぽい人間とはどんなタイプか?」との質問に対し、《飛び道具的な人間が多いよね。そうとしか、表現のしようがない。まちがっても王道なんかを歩く人はいません》と答えている(※7)。その言葉どおり、クセ者ぞろいというか、オルタナティブ色の強い顔ぶれである。

星野源SAKEROCKを結成した“あの俳優”も

 こうした和光のミュージシャンの系譜は現在にいたるまで続いている。OKAMOTO'Sも先述のハマ・オカモトを含むメンバー4人は和光中学で出会った。姉妹による2人組ユニットチャラン・ポ・ランタンも鶴川小・中学・高校と和光学園で学んでいる。俳優としても活躍する元SAKEROCKメンバー在日ファンクの浜野謙太、元Goose houseシンガーソングライターの竹澤汀は和光大学卒業だ。

 和光高校の文化祭では、審査を通ったバンドだけが出場できる“オン・ステージ”というコンサートがあり、さらにそこでの投票で1位となったバンド文化祭の閉会式で全校生徒の前で演奏できる。小山田圭吾OKAMOTO'Sはこのオン・ステージの常連だった。小山田バンドは当時より人気で、他校からギャラリーが押し寄せるほどだったとか(※7)。OKAMOTO'Sは高校3年の文化祭で優勝し、閉会式ではメンバー全員が女装してガールズバンドSCANDALの楽曲をカバーして、会場を沸かせたという(※8)。

 浜野謙太は大学時代に、自由の森学園高校で一緒だった星野源らとSAKEROCKを結成し、プロへの一歩を踏み出している。和光大学の人間関係学科で学んだ浜野の卒論は、トイレテーマにしたユニークなものだったとか。一昨年のインタビューでは、子供を和光幼稚園に入れ、自身も園児の親たちの集まる勉強会やサークルに参加していると語っていた。

《僕は読み聞かせサークルに入っていて、絵本を読んで聞かせるんですよ。まだちょっとしか出来ていないんですけど、サークルに入っていると、勉強会・座談会をやりますとか、小学校図書館の先生をお呼びして、話を聞いてみるとか、それがすっごい面白くて、うちの妻も結構燃えて色んなサークルに顔を出しているんですけれど。みんな学びたいんだなぁって思いますね》(※9)

 子供だけでなく、親もともに勉強に熱中する。そんなところも和光学園の魅力なのかもしれない。

※1 「卒業生インタビューvol.30 渡辺裕太さん」(和光学園HP)
※2 「卒業生インタビューvol.34 柄本時生さん」(和光学園HP)
※3 「公立校にはない自由な校風が個性を生む? “変わった学校”に通っていた売れっ子芸能人たち!」(「日刊サイゾー」2018年2月23日
※4 「卒業生インタビューvol.31 宮川彬良さん」(和光学園HP)
※5 三枝成彰「理想の学校」(『文藝春秋2006年11月臨時増刊号)
※6 「インタビュー 戦後教育史のなかの和光学園01 繁下和雄『新学校の音楽教育と私の仕事』」(『和光大学総合文化研究所年報「東西南北」2011』)
※7 「小沢健二小山田圭吾田島貴男を生んだ『和光学園』=インディーズ文化の不思議なパワー」(『Views』1996年2月号)
※8 オカモトレイジOKAMOTO'Sヒストリー」(OKAMOTO'S HP)
※9 「卒業生インタビューvol.42 浜野謙太さん」(和光学園HP)

(近藤 正高)

草刈正雄の娘でタレントの紅蘭も和光学園出身だ ©文藝春秋