詳細画像はこちら

突然の50年間もの雲隠れ

text:Greg Macleman(グレッグ・マクレマン)
photo:Olgun Kordal(オルガンコーダル)/MECUM(メカム)/GOODYEAR(グッドイヤー)
translationKenji Nakajima(中嶋健治)

 
テレビ出演を果たしたゴールデン・サハラIIは、魔法じかけのように、リモートコントロールでステージ上に登った。ボタンでエンジンを始動させ、マッサージ機能付きのシートと、自動ブレーキシステムが紹介された。

ところがその直後、何の前触れもなくゴールデン・サハラIIは公衆の前から姿を消した。1970年代にかけて色々な噂を呼んだが、オーナーによって破壊されたと多くの人は信じていた。

詳細画像はこちら
ゴールデン・サハラII(1954年

時間の経過とともに、カスタムカー・ファンだけの記憶に残る、幻の存在となった。ダークグリーンのマスタング・ブリッドのように。

2017年、長い沈黙を破ってゴールデン・サハラIIは突然に姿を表す。クルマは数十年に渡って、オーナーが保管していたのだ。俳優ノームグラボウスキーのホットロッド、クーキー・カーと一緒に、ひっそりとオハイオ州のガレージに生きていた。

ゴールデン・サハラIIは、ガレージの売却にあわせて、2018年5月のメカム・オークションへ出品。カーコレクターのラリー・クレアモントが落札する。

50年に及ぶ休眠は、クルマに多くの影響を与えていた。カタチは保っていたが、美しさは損なわれていた。真珠のような白いボディは黄色く変色し、金箔は一部が剥がれていた。ウレタン製のタイヤは、すぐにボロボロになるような状態だった。

「できるだけ保存しようとしましたが、95%はレストアすることになりました。塗装は失われていました。手を施さなければ、特別なクルマには見えなかったでしょう」 レストアを主導した、クレアモント・コレクションを管理するロバート・オルセンが話す。

修復のカギとなった内照式タイヤ

クレアモント・コレクションを定期的に訪れていた、シカゴで小さなガレージを営むグレゴリー・アロンゾが、偶然にもレストアに関心を示した。彼は、修復でカギとなるのが、内照式のタイヤの再現であることを理解していた。

オハイオ州のグッドイヤー社で、キース・バックリーとのミーティングを設定。クレアモントとグッドイヤー社は、ゴールデン・サハラIIを再び世界中の人と共有したいという想いで動いた。2019年のジュネーブ・モーターショーへの出品が目標となった。

詳細画像はこちら
ゴールデン・サハラII(1954年

空気の入る内照式タイヤ、ネオセインの復刻には膨大な費用が必要だと判明。諦めずに検討を重ね、40日後にオハイオ州のテクノロジー・ハウス社が、特注タイヤとして制作する方法を考案した。

「古いタイヤのシリコン型を用いて、復刻しました。空気は入らない、中身が詰まったソリッドなウレタンタイヤです。再現したゴールデン・サハラIIのホイールに組付けてあります」 とバックリーが説明する。このタイヤで自走も可能だ。

コンクリートのように、ウレタンも硬化する時に98度くらいの熱を発生します。光源となっているLEDは、90度までが規格だったので、故障に備えて3セットのLEDを仕込んであります。当時のタイヤより明るく光る理由です」

タイヤ以外の部分も、短いスケジュールに追われるように作業が進められた。「ジュネーブに展示した段階では、リペア止まりといえる内容。表面的に綺麗に装った状態です」 オルセンが打ち明ける。

「インテリアは掃除すれば大丈夫だと考えていました。しかしカビが生えており、完全に仕立て直す必要がありました。当時の素材に合う生地を組み合わせています。塗装は完全に剥がしましたし、配線作業も大変でした」

ショーマンとして誇張気味だった機能

「当時はクルマ向け以外の部品や材料も使っており、配線部材の種類も大幅に異なります。オリジナルの状態に戻すことと、同じ機能を現代でも再現することとの、絶妙なバランスを取る必要がありました」

レストアが進むにつれて、ゴールデン・サハラIIの機能は、プロモーション・ツアーでは誇張気味にアピールされていたと判明する。ジム・ストリートのビジネスセンスを考えれば不思議ではない。

詳細画像はこちら
ゴールデン・サハラII(1954年

「事前にテストしていたのかはわかりませんが、いつくかの機能は本当には付いていませんでした。例えば、アンテナ内蔵のフロントバンパー・コーン。レーダー機能を備えたクルマだとジム・ストリートは話していました。ですが、その機能は実際にはありません」

もしかすると、特許は申請していたもしれない。エンジンも532psのハイオクタン仕様だとジム・ストリートは触れ込んでいたが、実際には通常のリンカーンカプリのものだった。

排気量5200ccのYブロックと呼ばれるV8エンジンで、2バレル・キャブレターを搭載する。「ショーマンとしての気持ちの現われでしょう。80%くらいは本当でも、20%くらいはショーカーとしての誇張です」 とオルセン。

アロンゾは3カ月でなんとかゴールデン・サハラIIを仕上げ、ジュネーブ・モーターショーへの準備が整った。しかし、その後も計画通りだったわけではない。

輸送中にボディはダメージを受け、バンパー・コーンを再現する必要に迫られた。パテでの応急的な2度目の復元を済ませ、何とかイリノイ州からスイスへと飛び立った。

配線図もない電装系を解読し復元

ゴールデン・サハラIIは再塗装されただけでなく、フロントノーズの形状には少し手が加えられている。フロント部分の装飾は、ジム・ストリートが所有していた頃にぶつけられ、凹んでいた。

1950年代にはなかった技術が、復元に重要な役割を果たした。アロンゾは、3Dプリンターを用いて、破損していたハブキャップを新調した。「オリジナルを3Dスキャンして、出力した後にバフで磨いてあります。オリジナルと瓜二つで、見分けられないでしょう」

詳細画像はこちら
ゴールデン・サハラII(1954年

テールレンズの復元には、より複雑な作業が求められた。「同じように見えますが、個々で形状が異なります。スキャニングしてから樹脂で出力し、その部品で型を製作。レンズの色に合うアクリルを、型に流し込んで作りました」 と振り返るオルセン。

最も手を焼いた作業は、複雑な電装系システムを解読し、復元すること。将来の修理も考えずに作られており、そもそも配線図すら存在しない。1番簡単そうだった、テレビから手を付けたそうだ。

「クルマからテレビを取り出すと、子供の頃に見ていた、UHF/VHFのコネクターが用いられていました。アタリ社のビデオゲームをテレビにつないだのを思い出しましたよ」

「テレビに電気を供給するのと一緒に、小型のDVDプレイヤーを動かすこともできました。ジム・ストリートの足跡映像を、ループで映し出せるようにしてあります」 オルセンが笑う。

古びない、夢に描いた「未来のクルマ」

ほかにも油圧ソレノイドを備えたタッチパッド・ステアリング機能や、おびただしい量のハーネスも待ち構えている。「今は接続されていませんが、今後復元するために、すべての部品は揃えてあります」 とバックリー。

彼らの情熱に感服する。当時の最先端だったガジェット類が、再びわれわれを驚かせる日も遠くはないだろう。

詳細画像はこちら
ゴールデン・サハラII(1954年

ゴールデン・サハラIIの放つ魅力は、最も大きな話題をさらっていた時に、突如姿を消したという歴史が強めている。テレビ出演を叶えたその後は、今も謎のままだ。

オルセンは推測する。 「塗装はひどく劣化しており、ジム・ストリートガレージに眠らせた時には、既に修復が必要だったでしょう。光るタイヤを再び入手できなかった、という理由もあるかもしれません」

グッドイヤーによるウレタンタイヤの研究は、1960年代に終了している。惹き込まれるようなタイヤだったが、濡れた路面では滑り、100km/h以上のスピードでは不安定になった。激しいブレーキングでは、接地面が溶けた。

「ジム・ストリートは3・4年間に渡って、アメリカ各地を巡っていました。彼はかなり疲れていた、と人づてに聞いたことがあります」 でも、ジム・ストリートが夢に描いた「未来のクルマ」は、くたびれた過去のクルマにはならなかったようだ。

2020年、自動車技術は彼の発想に追いついたかもしれない。しかし雲隠れの理由は何であっても、ゴールデン・サハラIIはカスタムカーのレガシーとして、輝き続けるだろう。


■グッドイヤーの記事
ゴールデン・サハラII(1954年)
ゴールデン・サハラII(1954年)
【市場は変わるか?】オールシーズン・タイヤの伸びしろ 10%のドライバーを振り向かせるには
【体重まで計るの?】グッドイヤー飛行船、乗船レポート 先客が降りないワケとは

リンカーンの記事
ゴールデン・サハラII(1954年)
ゴールデン・サハラII(1954年)

【光るタイヤに24金レリーフ】リンカーン・ベースの究極のカスタムカー 後編