1986年アルバイト先のホストクラブのメンバーで誕生したお笑いトリオ「B21スペシャル」。そんなB21スペシャルの誕生から活躍した90年代まとめてみました。

B21スペシャルとは?

メンバーヒロミ・デビット伊東・ミスターちんからなるお笑いトリオの事。

3人はアルバイト先のホストクラブで出会い、ルックスの良いアイドル志望のデビットさんと、ミュージカル役者&ダンサー志望だったちんさんにそれぞれヒロミさんが声を掛け、お笑いでの芸能界入りを誘ったとされています。

ヒロミさんは「自分1人では無理だが、ルックスのいい2人と一緒なら…」と考え、必死で彼らを口説き落としてB21結成にまでこぎつけたといいます。

結成当初のグループ名

B21スペシャルは、結成当初のグループ名は「ヒロミズだぁ」。でした。
「だぁ」は『お笑いスター誕生』での山田康雄さんの呼び込みから引用したといいます。

また当初のヒロミの芸名は、父親の職業からカーペンターヒロであったとか・・・。

オシャレを売りに

DC ブランドのNICOLEのバブル期に流行ったスーツ

DC ブランドのNICOLEのバブル期に流行ったスーツ

オシャレ感のない当時の若手芸人らとの差別化を図るため、衣装はDCブランドにしようというのもヒロミさんの発案によるものであったそうです。

B21スペシャルの由来

B-29 スーパーフォートレス

B-29 スーパーフォートレス

トリオ名は、アメリカの第2次大戦中の重爆撃機B-29」と、ヒロミが21歳直前の時期に結成した事に由来する(師匠である星セントが命名)。
しかし、一部の年配視聴者層からはそのまま「B-29スペシャル」と間違えられることも多かったらしく、また、「D-51スペシャル」と言われたこともあったらしい(ヒロミ談)。
出典 B21スペシャル - Wikipedia
アルバイト先の新宿のショーパブの客から、ビートたけしさんと星セントさんを紹介された。敢えて尊敬するビートたけしさんではなく星セントさんを選び、師事。その理由は「3人で勝負したかったから」だという。

ジュクからギロッポンへ

当初、B21スペシャルは新宿のショーパブで活動していましたが、当時最も人気が高かった六本木ショーパブ「バナナパワー」に移籍後に評判になったと言われています。

店での待遇も店のスタッフグッズを製作するなど、他の出演芸人が羨むほどのバックアップを受けていたそうです(浅草キッド談)
また新人ライブで勝ち抜いて名を馳せて行ったとか・・・。

メディアへ

その後、テレビ界へ進出すべく、横山やすしさんが司会を担当していた番組『ザ・テレビ演芸』に出演されました。
「飛び出せ笑いのニュースター10週勝ち抜きシリーズ」にて見事に10週勝ち抜き、第4代目チャンピオンを獲得。

最終週で披露したネタ「六本木ステーション」は、審査員を担当していた糸井重里さんをして「ネタだけなら今売れている芸人の誰にも負けない」と言わしめています。

1990年には

B-21 SPECIAL の お世話になりました

B-21 SPECIAL の お世話になりました

当時、ダウンタウンウンナン・B21の3組の持ち回りでレギュラーの入れ替えが行われる番組が多くあり、
1990年ゴールデンアロー賞芸能新人賞を受賞。
同年、歌手としてテイチクレコードから『お世話になりました』(井上順のカバー)をリリース1991年『ふざけろ!』(ビデオ発売済)で映画主演デビューも果たしています。
  映画 ふざけろ! (1991)

映画 ふざけろ! (1991)

ヒロミ大やけど!
フジテレビの番組『1or8』出演の際に、大量のロケット花火を背負って空中に飛び上がるのを目指す企画。
題して、「ヒロミ宇宙へ」。耐火性の優れたカーレーサー用のスーツを着用し、約6000発ものロケット花火を背負って発射台に、花火に点火。
その瞬間、わずかに浮き上がるヒロミの体。しかし、強風にあおられ火炎が一瞬でヒロミを包む衝撃の事態に! 撮影スタッフが避難してしまうほどの火の勢いとなり、現場は大混乱。
響くヒロミさんの絶叫!
見物人によると、「熱い!熱い!」と叫んで倒れ、そのまま起き上がれない状態だったという。

貴重な瞬間映像!ヒロミがロケット花火で3度の大やけどを負う 番組は打ち切りに

ピンの活動が増えた原因

画像は結婚会見
B21スペシャルデビュー時から所属してきた人力舎から独立し、ヒロミさんを代表取締役とした個人事務所「ビィーカンパニー」を設立。

そこで、ヒロミさんが、メンバーと社員の給与を払うため、断ってきたピンの仕事も引き受けるようになったことから、グループでのテレビ出演が激減。
そのころからメンバーがピンでの活動となってきたと言われています。

ネタ披露ライブ

3人でのテレビ番組共演がなかった時期にも、1990年から1997年までは年に一度は『ONE OR EIGHT』というB21のネタ披露ライブを継続していた。『ONE OR EIGHT』は第1回から第5回まではフジテレビにて『B21スペシャル急降下爆撃』というタイトルで放送されており、1に関してはビデオも発売されています。

しかし、デビットさんが役者に専念すると宣言したことにより、ライブ開催は中断。2004年、7年間のブランクを経た後にライブは再開されたが、再度沈黙の状態に入る。

因みに、「B21スペシャル」は解散はしていません。
一応は活動休止中となっています。

最後に・・・。

2015年8月23日の「24時間テレビ38」において、生コントを披露した。
放送時のテロップでは17年ぶりの復活とされているが前述の通り、2004年の「FNS27時間テレビ」において、とんねるず木梨憲武の要望で復活して生コントを行っているため誤りである。

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