陸上自衛隊化学科の部隊は、地下鉄サリン事件福島第一原発の事故などにも対処してきた、「目に見えない敵」と戦う部隊です。その恐怖に立ち向かう姿勢は、新型コロナの脅威にさらされるなか、大いに参考になるものでしょう。

敵は放射性物質や細菌、ウイルス、化学物質…陸自の「化学科」とは?

2020年3月28日河野太郎防衛大臣が、埼玉県さいたま市の大宮駐屯地に駐屯する陸上自衛隊の「中央特殊武器防護隊」を視察しました。同隊は、陸上自衛隊の職種のひとつである「化学科」に分類される部隊です。

化学科部隊は、万が一、有事が発生して核兵器が使用された際に生じる放射性物質や、細菌やウイルスなどが作り出す毒素を利用する生物兵器、毒ガスなどの化学兵器が使用された場合、その検知と除去を行なって、被害の拡大を防ぐことを最大の任務としています。

創設から冷戦時代までの化学科部隊は、毒ガスなどの化学兵器と戦術核兵器の使用によって生じる放射性物質への対処に力を入れていいました。しかし冷戦終結後は、旧ソ連の生物、化学兵器の拡散と、冷戦秩序の崩壊によるテロの増加などが懸念され、実際に2001(平成13)年にはアメリカで炭疽菌を使用した生物テロも発生したことから、生物兵器への対処にも力を入れています。

前にも述べたように化学科部隊の最大の任務は、有事の際の核兵器生物兵器化学兵器による被害を最小限に食い止めることですが、部隊の持つ特性から、日本国内で発生した災害や事件の対処も行なってきました。

中央特殊武器防護隊の前身である第101化学防護隊は、1995(平成7)年に発生した地下鉄サリン事件や、1999(平成11)年9月に茨城県東海村の核燃料加工会社JCOで発生した原子炉臨界事故の対処にあたったほか、2008(平成20)年に中央特殊武器防護隊となってからも、2011(平成23)年3月に発生した東京電力福島第1原子力発電所の事故対処にあたっています。

現時点で中央武器特殊防護隊を含む化学科部隊は、新型コロナウイルスの対処を行なっていませんが、中央特殊武器防護隊は有事の際、感染者が多数発生したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の対処にあたった、衛生科部隊の「対特殊武器衛生隊」と連携して活動することとなっています。

陸自化学科に配備される装備は…?

化学科部隊には、放射性物質や生物兵器化学兵器などに汚染された地域へ進出して、どのような物質が存在し、どの程度、汚染されているかを偵察するNBC偵察車や化学防護車のような装甲車のほか、汚染された地域や施設の大規模な除染を行なう「除染車」という車両が配備されています。

除染車は73式大型トラックに、容量2500リットルの水槽と水を加熱する装置、除染剤の散布装置を搭載した車両です。加温装置は摂氏15度の水2500リットルを、1時間で摂氏45度に加温する能力を備えており、車体前面と側面に散布ノズル、後部に約15mのホース付きの放水銃を装備し、これにより温水を散布して、汚染された地域を洗浄します。

除染車は前に述べた地下鉄サリン事件の際、サリンに汚染された地下鉄車両の除染に使用されたほか、1995(平成7)年1月に発生した阪神淡路大震災や、2011(平成23)年3月に発生した東日本大震災、さらには2004(平成16)年12月に発生したインドネシアスマトラ沖地震にともなって発生した津波災害を救援するための自衛隊の海外派遣でも、多数の遺体から伝染病などの発生を防ぐため、被災地域の除染にあたりました。

また中央武器特殊防護隊には自衛隊の基地や駐屯地、さらには外部で発生する、化学物質や油脂などの燃焼をともなう「化学火災」と呼ばれる火災に対処するための、「液体散布車」と「粉末散布車」も配備されています。それぞれ液体化学消火剤、粉末化学消火剤を散布して、水では消火がしにくい化学火災に対処するものです。この両車両は中央特殊武器防護隊の観閲行進にもほとんど参加しないため、部外者はあまり目にする機会は多くないといわれています。

見えない敵への恐怖どう立ち向かう? 陸自化学科の「教え」

このような装備品を保有しているとはいえ、放射性物質や生物、化学兵器のような目に見えない敵を相手にするのは、目に見える敵を相手にするより恐ろしく、化学科の隊員はみな恐怖に対する強い自制心を持っているのではないかと筆者(竹内 修:軍事ジャーナリスト)は思っていました。

筆者は以前、大宮駐屯地に所在する、化学科隊員を教育する「陸上自衛隊化学学校」を取材したことがあります。その際に話を聞いた同校副校長の1等陸佐(当時)は、化学科の隊員はほかの職種の隊員に比べて「飛びぬけて恐怖に対する強い自制心を備えているわけではない」とした上で、目に見えないものは怖いと思うのは当然なので、対象がどれだけ怖いのかをきちんと理解して「正しく恐れること」と、防護マスクや防護衣を正しく着用していれば生命に危険はないことを隊員に徹底し、正しい対処法を教えることが、化学学校の役割であると語りました。

2020年5月上旬現在、日本を含めた世界は、新型コロナウイルスの脅威に包まれています。このような状況下では情報量が急増し、その情報に流されて不安になりがちですが、化学学校の隊員教育で徹底されている「正しく恐れる」という姿勢は、われわれがこの状況下で自分自身を失わず、生き抜いていく上で、大いに参考にすべきなのではないかと、筆者は思います。

陸上自衛隊の化学科に配備されているNBC偵察車。NBC(核、生物、化学)兵器対処用の装甲車両(画像:陸上自衛隊)。