学校の「9月入学」をめぐって、賛否両論が飛び交っています。
まず5月12日、文部科学大臣は、すでに発生し始めている学力低下、学年間学力格差などの現状を認めました。政府が、日本の子供たちの学習が異常な状態の中で低下し始めていると認めた意味は大きい。
そのうえで、この状況は「9月入学によって克服できる」とする見通しを述べています。呼応するように自民党のワーキンググループは5月中にも提言を取りまとめるとの報道もありました。
これに対して慎重論として、5月11日、日本教育学会は文部科学省内で記者会見を開き、慎重な社会的議論をとの声明文を発表。
政府内にも非常に慎重な議員があることを私自身認識していますが、もっとも分かりやすいのは大村秀章・愛知県知事の「無理です、できません」という反対の意向表明でしょう。
大村知事の議論は非常に明解です。
まず、単に制度を導入するだけで、1兆円単位のコストが発生するのみならず、現場は短時間での対応を迫られ、混乱を極めること。
さらに来年4月、企業や医療現場に新年度の人材供給が滞り、社会経済に甚大な影響、もっといえば被害(額)が発生することなどから、現実的な根拠をもって明確に反対している。全く正論と思います。
しかし、以下では学校再開の時期という問題から距離を置いて、日本の教育崩壊や学力低下が中長期的に日本経済に及ぼす影響をOECD(経済開発協力機構)調査の解析結果に基づいて検討してみましょう。
以下のグラフをご覧ください。仮に数学の成績が2%低下すると、日本のGDP(国内総生産)は1年あたり8000億ドル(85兆円)程度、低下する可能性が示されています。
教育インフラストラクチャーを前提とする学力崩壊とGDP減少の相関
教育の転落=日本の没落
グラフの大意を説明しましょう。世界各国の15歳生徒を対象とする数学、読解力、科学力の学力を測定する「OECD のPISA」という調査が3年に1回実施されています。
前回調査は2018年、その際のデータから、G7(先進7か国)の成績を取り出し、比較的直線性よく分布する日本、ドイツ、英国、フランス、イタリアについて、学力成績と名目GDPの相関を線形回帰分析で検討した中から、成績について結果を示しています。
先進7か国のうち、残る二つである米国とカナダについては、アメリカが低学力なのに高GDP、カナダは低GDPであるのに高学力であり、国の教育システムと経済構造の関係が大きく異なっていると考えられますが、英国、フランス、イタリア、ドイツの欧州圏4か国と日本の5つは、比較的類似した構造を持つことが考えられ、そこから相関を取っているものです。
このような相関解析は米ジョージア工科大学などの先行研究があり、有為な成果が出ていることから、今回の新型コロナウイルス肺炎パンデミックに伴うOECD調査についても、同様の解析が進められているものです。
「本当のこと」は、善くも悪しくも来年、2021年のPISA学力測定を実施し、結果を解析すれば判明してしまいます。
しかし2021年のPISAの結果はまる1年をかけて解析され、2022年末に発表されるので、2023年以降にならないと、長期的対策の参考にはなりません。
しかし、私たちが知りたいのは今年2020年、日本の教育をどうするべきか、また2021年以降、どのように対処し、立て直していくべきか、指針作成の参考となる推測です。
ここで示した試算は、仮に数学の学力が「2ポイント」落ちただけで、名目GDPで0.8兆ドル、日本円にして85兆6000億円ほどの「蒸発」に等しい「教育蓄積の喪失」が発生することを示唆しています。
ただ単に85兆円、GDPが「下がる」と言っているだけではない。
日本という国の基幹競争力である「知の蓄積」が、ざっくりと言えば100兆円分程度「消えてなくなってしまう」。かつては回転していたGDPが雨霧消散、失せてしまうことを警告している。
これは一過性の赤字と全く意味が違う。痛みは永続し、その人たちが定年で社会を去るまで、消えることがない可能性がある。
内容を吟味してみましょう。
国民が「バカ」になってしまったら・・・
やや極端な例を考えてみます。理解を促進するため平易に書いているもので、特段の他意はありません。
ある会社が順調に伸びていたとします。ところが突然の「災難」があり、新年度人事などにしばらく差し障りがあったとします。
「災難」はパンデミックでも、あるいは自然災害でも、戦争でも、さらには「文化大革命」でも、何でもいい。
ともかく、供給される人材の質が低下してしまう。非常に端的な表現をあえて取るとして、仮に「バカ」になってしまったら、いったい何が起きるのか?
かつてなら、請け負えたはずの仕事が、処理できなくなって、全く不思議ではない。そもそも仕事ができなくなる。
さらに企業としての価値が下がりますから、株価なども急落して不思議ではない。バカな企業の株を高く買う人はいないでしょう。
つまり構成員の品位が下がることで、未来の希望が縮小し、そのことによって資産価値が目減りし、実際の商いも委縮して、しわしわの梅干しのようになってしまう。
教育の「喪失」が未来を「消失」させるというのは、何も大げさでもなく、脅しでも何でもない、冷徹な事実にほかなりません。
以前の記事でも触れましたが、1966~76年の文化大革命で、中国の教育が破壊されました。その結果、数の計算や文字の読み書き、サイエンス・リテラシーなどのまともな教育を受け損ねた世代が10年規模で発生しました。
この克服には最終的に31年ほどの時間を要した。もっとはっきり言えば、その31年間で現役の世代を終えた人々がいるわけで、彼らが現役でいる間中、中国経済は一貫して伸び悩み続けた。
中国が本格的に世界を追い抜いて行くのは21世紀以降、2006年には英国を凌駕し、2010年には日本も追い抜かれてしまい、21世紀第2ディケードの10年間で、すでに2.5倍近くの差がついてしまいました。
この間、単に抜かされたというだけでなく2011年、東日本大震災・福島第一原子力発電所事故以降の日本は、いかに統計を操作しようとも経済規模の実質的縮小は否みようがありません。
ざっくり言って6兆ドルを超えていたGDPは、4兆ドル代前半まで落ち込み、回復傾向を見せるようにみえながら、5兆の壁は破れなくなっています。この10年間で大まかにピークの7割方まで経済全体が委縮を見せている。
そこに来襲した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)で、いま日本の教育が根こそぎになりかねない状態に直面しています。
「遠隔教育確立」がなければ日本は落日
私は、学校始業のシフト、9月入学に明確に疑問を持っています。
また、そのようにマニフェストすることはないけれど、私がここ20余年在籍して教えている東京大学では、2020年4月以降、1日のズレもなく、学事日程をすべてカレンダー通りに進めています。1日の遅れもありません。
東大が予定を一切ずらさないのは、来年度に向けての人材育成に、1日の停滞があってもならないことに加え、全面遠隔教育化に、移行のバリアが実質ゼロだったことによります。
また私自身、一切の修学カレンダーを変えることなく、教養課程から大学院生まで、つつがなく学生指導しています。
別の学校教育機関、例えば他の高校や大学で仮にシフトがあったとしても、いま学んでいる学生たちが半年足踏み、といったことはさせられませんし、させません。
「備え」があったから、「憂い」が限定的で済んでいる。そういうことにほかなりません。
私が「9月入学」に「反対」する最大の理由は、それが現在の遅れて停滞した「日本だけ」「日本独自」の特殊な教育の現状を追認し、それを温存する前提で議論されていることが一番大きいのです。
最大のガンは「対面指導の原則」。つまり、学校では子供たちが皆一緒に教室に集まり、同一の内容を対面指導で先生から習い、学力達成度とは無関係に、出席日数をクリアしていたらトンネル状態で小学校も中学も卒業できる・・・。
こういう教育の空洞化をそのまま引きずって行く前提の議論です。
後進国に劣る日本の
「テレ・エデュケーション」準備
日本の遠隔教育化が、あらゆる発展途上国を下回って世界最低レベルにあるのは、ショッキングなOECD報告が示す通りの厳然たる事実です。
そして、善し悪しではなく、いま現在進行形で起きている現実として、諸外国は今回の新型コロナウイルス感染症蔓延に伴って、グローバルに「テレ・エデュケーション」へと急速にシフトしています。
コンピューターを駆使するテレ・エデュケーションでは、必然的に個別指導がシステマティックに可能になります。
すると、みな同じ教室で、理解してもしなくても、時間数さえ消化していれば先に行く、などという話は一切成立しなくなります(日本だけはそういう状況を温存したがっています)。
世界標準では、AI、ビッグデータ解析をフル活用し、達成学力の程度によって、きめ細かな指導が当たり前にになります。
ところが、日本では最もよく整った学校でも、全校生徒数ではなく、1学年の1クラス分だけ程度しか、遠隔教育システムが完備していないのが大まかな現状です。
つまり、高等学校が3学年、各4クラスあったとしても、「理科室」の実験設備は1クラス、例えば50人分しかなく、4クラスが入れ替わり立ち代わり、カレンダーに従って順番に利用する。
この場合全校600人に対して50人整っているのが「わりとよく揃っている方」の修学環境というのが、過不足ない、崖っぷちに立つ、今の日本の本当の姿です。
すでに時間数が足りなくなってしまっています。半年後からまた同じようにやればよいという自民党案のような時間稼ぎは最終的に成立しません。
また、その時点でのパンデミックがどうなっているか、誰も責任をもって予測などできません。
一日も早く、教育を再開しつつ、かつ伝染病リスクはゼロに抑える努力が必要でしょう。
当初は「老人が死ぬ」などと言われていましたが、人並外れた体力を持つはずの若い力士やアスリートでも、ほんの少しの持病などが命取りになり死亡するケースも世界各国から伝えられています。
日本全国の小中学校で、アレルギーや小児喘息などを筆頭に、子供の持病傾向を念頭に置くとき、行政としてなまなかな対応が許されるわけがないのは自明のことと言わざるを得ません。
悪平等で足を引っ張り合う日本教育
日本の教育の未来は、遠隔教育へのシフトと、グローバルシステムへのキャッチアップ以外に、本当の意味で通用する選択肢は一切ない。少しでも客観的に状況が読めば、ぶれることのない結論がここにあります。
ここでは、すでに時間数が足りなくなっている現状を確認せねばなりません。
総時間数が減っているのなら、教程を絞らねばならないはずです。
しかし、日本の現状は相当焼きが回っており、各指導学科間の「平等」が謳われ、少しでも疑義を呈すると、とんでもない批判を受けるとも聞いています。
「主要教科」という言葉は、いまの日本では使ってはいけない死語になっているらしい。でも世界各国では、そんな話は一切ありません。
国の産業構造や目的、補強すべき要素に応じて、様々なシミュレーションが行われています。
一例だけを引いておきましょう。
先ほどのG7-2についてですが、1人あたりGDPの現象に伴う教育水準の低下予測と、ダメージからの立ち直りを示しています。
被害の規模によって、強化すべき課目が異なるのがこの解析の重要なポイントで、何にせよ「すべての教科が横並び」などということはありません。
比較的小規模のダメージであれば、数学教育に注力することで、早期の経済復興が期待されますが、ある限界を超えて教育が破綻してしまうと、数学以前の読み書きが崩壊している可能性があり、識字率が落ちないように教育をより初等方向にシフトせねばなりません。
実際、いま小学校1、2、3年生の教育がストップしていますが、小学1年生の識字率は2020年5月時点でかつてない低い水準にとどまっていることは間違いありません。
文字が読めない、一桁の計算もできない、そういう子供を現在、90万人規模で大量生産し続けていることに、日本はもっと恐怖せねばなりません。
15歳時点での数学成績が2ポイント落ちるだけで、日本経済は平成最後の10年と同じ規模の経済縮小、GDPが書き消えてしまう「国富蒸発」に見舞われるリスクがあります。
しかし、先に示したグラフの解析は もっと恐ろしい「産業社会の現実」を冷徹に示しています。
文化大革命がまさに一例でしたが、一定以上、取り返しのつかない教育の崩壊が進んでしまうと、一部の人々については、もう識字率はあきらめて、サイエンスの実科教育に注力した方が、国家経済の崩壊には有用であることを、データは示しています。
これはつまり、富岡製糸場や八幡製鉄所のレベルに近い。
国民は識字などしなくてもいいから、殖産興業・富国強兵で、ともかく労働力になりさえすれば、少しは国家破産対策で役にたちうる、という状況が「ありうる」ことをデータは物語っています。
日本がそんなことになってしまったら、取り返しがつきません。しかし、2~3年、教育が滞れば、それは全く大げさな心配ではない。
文化大革命で10歳頃までに識字できなかった世代が、そのまま以後の40年を、それなりの仕事と生活で終始するしかなかったのは、ほんの30~40年ほど前、つまり日本でいえば「昭和後期」~平成にかけて、中国で起きていた、隣人の現実にほかなりません。
各種の推移に注目し、一切甘えのない、冷徹な分析を継続する必要があります。
[もっと知りたい!続けてお読みください →] 東大式コロナ・サバイバルのファイナンス数理戦略
[関連記事]
コメント