松田聖子を筆頭に、中森明菜や小泉今日子がデビューした「花の82年組」、中山美穂やおニャン子クラブがデビューした「85年デビュー組」など1980年代は空前の女性アイドル全盛の時代でした。代表的なアイドルと代表曲(デビュー曲など)を振り返ってみましょう。

70年代の伝説のアイドル『山口百恵』の芸能界引退 / 1980年10月5日に日本武道館で開催されたファイナルコンサート

伝説のアイドル・山口百恵のファイナルコンサート(198...

伝説のアイドル・山口百恵のファイナルコンサート(1980年10月5日)

伝説から神話へ 日本武道館さよならコンサート・ライブ-完全オリジナル版- [DVD]

伝説のアイドル・山口百恵の、現在も語り継がれる引退コンサートの模様を収録したDVD。「プレイバックPart2」「いい日 旅立ち」「秋桜」などの数々の名曲に加え、これまで収録されなかった「謝肉祭」を追加しコンサートの全曲を網羅した完全版。
出典 www.amazon.co.jp

[高画質] 山口百恵の最後の夜のヒットスタジオ、引退

00:41 和田アキ子 - 青い果実
01:10 アン・ルイス & 太田裕美 - プレイバックPARTⅡ
01:53 岩崎宏美 & 高田みづえ - 乙女座宮
02:13 小柳ルミ子 - しなやかに歌って
02:56 森昌子 - 秋桜
03:30 桜田淳子 - いい日旅立ち
06:05 西城秀樹 & 野口五郎 & 郷ひろみ - マイ・ウェイ

08:40 ●●● 花束贈呈式 ●●●
[沢田研二, 五木ひろし, ジュディ・オング, 研ナオコ 外]

11:25 山口百恵 - さよならの向う側
1980年10月5日のファイナルコンサートの翌日である10月6日には、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)にて引退特集番組が放送された。

司会者の芳村真理・井上順のほか、百恵と同じホリプロ所属の先輩だった和田アキ子、中三トリオの桜田淳子と森昌子、女性歌手仲間として仲が良かったアン・ルイス・岩崎宏美・太田裕美・小柳ルミ子・高田みづえ・ピンク・レディー、男性歌手では「新御三家」の郷ひろみ・西城秀樹・野口五郎などが、百恵の最後の雄姿を見守っていた。

この放送は、後に『山口百恵 in 夜のヒットスタジオ』として2010年6月30日にDVDが発売されている。
出典 山口百恵 - Wikipedia

山口百惠!スペシャル特集!

「女の子の一番大切なものは何だと思いますか?」の質問に、「まごごろ」と答える。

山口百恵!スペシャル特集!/ 抜群の歌唱力を誇る歌姫

とにかく歌が上手い。百恵ちゃん特集は、ぜひ何度も再放送してほしい。

山口百恵 さよならの向う側

1980年8月にリリースされた山口百恵の31枚目のシングル。この曲が事実上のラストソングであり、百恵からファンへのメッセージソングとなっている。

80年代アイドルブームの火付け役である松田聖子のデビュー曲『裸足の季節』(1980年4月28日放送の「夜のヒットスタジオ」)

「裸足の季節」/ 松田聖子の「夜のヒットスタジオ」への初登場(1980年4月28日)

「裸足の季節」(資生堂エクボ洗顔フォームCM曲)は、1980年4月にリリースされた松田聖子のデビュー曲。

オリコンチャートで週間53位に初登場(4月14日のチャート)と出足はそこそこだったが、テレビでの露出が増えるに従って順位も上げていった。

CMでの伸びのある歌声と本人の顔が一致した事で瞬く間に知名度を上げ人気を得ていった。
フジテレビの音楽番組「夜のヒットスタジオ」にもデビューから28日目という早さで初登場している(1980年4月28日)。

この時、“山口百恵引退後のアイドル界を担う逸材”という業界内の評価から、司会の井上順が「郵便受け(=ポストをもじったもの)百恵ちゃん」と彼女を紹介している。
出典 裸足の季節 - Wikipedia
井上順「聖子ちゃんはですね…『郵便受け百恵ちゃん』と言われています。」

松田聖子「(意味が最初は理解できず、きょとんとするが)爆笑する」

芳村真理「どういう意味ですか?」

井上順「『ポスト百恵ちゃん』と期待されている、あの…期待される…あの…新人でございますよ…。」

「郵便受け=ポスト」…あまりにもくだらないおやじギャグに周りも爆笑。

松田聖子 / 80年代を代表するトップアイドル。昭和のアイドルの原点にして頂点。

松田聖子の名を世に広めた初期の代表曲『青い珊瑚礁』(1980年7月)

「おかあさ~ん…!」

伝説の生放送『ザ・ベストテン』

『青い珊瑚礁』が、TBS系『ザ・ベストテン』で初めて1位となった9月18日の放送で、実母が中継に登場した際に「おかあさ~ん…!」と涙声で呼び掛けたシーンは、その後も名場面として繰り返し放送された。

松田聖子 / ノンストップシングルメドレー LIVE

0:00 裸足の季節
2:14 青い珊瑚礁
4:10 風は秋色
6:42 チェリーブラッサム
8:47 夏の扉
10:15 風立ちぬ
12:52 赤いスイートピー
15:08 渚のバルコニー
17:02 小麦色のマーメイド
18:19 野ばらのエチュード
21:08 天国のキッス
26:28 ONLY MY LOVE
82年頃には、人気は絶頂に。聖子カットは大ブームに。世...

82年頃には、人気は絶頂に。聖子カットは大ブームに。世の中は聖子カットだらけに。

「聖子カット」「聖子ちゃんカット」という名称が定着する。

「花の82年組」のアイドルのほとんどが「聖子カット」でデビューしたほど一世を風靡した「聖子カット」。アイドルの定番の髪形に定着した。
出典 twitter.com
84年頃になると、中森明菜のポニーテール(82年当時からしていた)、小泉今日子の大胆な刈り上げスタイル、斉藤由貴などのデビューによって、彼女達を模倣した髪型が流行しだす一方、84年デビューの菊池桃子や松田の後輩である岡田有希子、85年デビューの中山美穂、浅香唯、森口博子、86年デビューの西村知美など、聖子ちゃんカットのスタイルでデビューするアイドル達も根強くいた。
出典 聖子ちゃんカット - Wikipedia

【HD】 松田聖子/チェリーブラッサム (1981年)

松田聖子/河合奈保子/柏原よしえ
田原俊彦/近藤真彦

松田聖子 天国のキッス

河合奈保子

河合奈保子 スマイル・フォー・ミー

1980年6月1日に「大きな森の小さなお家」で「西城秀樹の妹」という触れ込みと共に、アイドル歌手としてデビュー。2枚目のシングル「ヤング・ボーイ」がヒットとなり複数の音楽祭で新人賞を受賞する。

1981年12月31日の第32回NHK紅白歌合戦に「スマイル・フォー・ミー」で初出場しトップバッターを務めた。
『NHK紅白歌合戦』には1981年から1986年まで、6回連続で出場していた。
出典 河合奈保子 - Wikipedia

河合奈保子 けんかをやめて

『8時だョ!全員集合』のゲストと共に歌うコーナー「少年少女合唱隊」は、1976年、志村が「東村山音頭」を披露して以来、志村がトリを務めるようになった。

河合奈保子 ハーフムーン・セレナーデ "月半小夜曲" (Half Moon Serenade)

柏原芳恵

ハロー☆グッバイ 柏原よしえ('81)

1981年10月15日、7枚目のシングル「ハロー・グッバイ」(アグネス・チャンのシングル・B面のカバー曲)が約40万枚を売上げてブレイクを果たし、同年末の「第23回日本レコード大賞」ゴールデン・アイドル賞を獲得。
1980年代後半は歌手としての活動よりも女優としての活動が多くなり、2時間ドラマに多数主演の他、映画にも出演している。

また、グラマラスな肢体を魅せるグラビアアイドルの活動も目立つようになる。
出典 柏原芳恵 - Wikipedia
月刊平凡/1982年3月号
表紙=田原俊彦、柏原よしえ、松本伊代
浩宮徳仁親王(現・天皇陛下)は「柏原のファン」と発言し、1986年10月19日に行われたリサイタル『おんな飛翔』を観賞。

その際、出迎えた柏原にバラ「プリンセスサヤコ」を一輪贈呈した。柏原は返礼としてサイン入り写真集を贈った。バラは後日、特殊な処理を施され、真空状態のガラスケースに収められた。
出典 柏原芳恵 - Wikipedia

春なのに/柏原芳恵

昭和の「卒業シーズン」の定番

三原じゅん子

三原順子/セクシーナイト/番組中に恋人宣言

1979年(昭和54年)、『3年B組金八先生』に「山田麗子」役で出演。役柄の「ツッパリ(=不良、非行生徒)」イメージで、人気が急上昇した。中でも同級生へのリンチシーンで仲間を仕切りながら発した、「顔はやばいよ、ボディやんな、ボディを」のセリフは、三原を表す代名詞になった。

1980年(昭和55年)、明治大学付属中野高等学校定時制へ入学も、2日ほどで退学。同年に歌手デビューや宮脇康之(現・宮脇健)との熱愛報道。以降、1986年(昭和61年)までコンスタントにシングルを発表した。長戸大幸が作曲したデビューシングル「セクシー・ナイト」は売り上げ30万枚を超えた。
三原 じゅん子(みはら じゅんこ、本名:中根 順子、旧姓三原、1964年〈昭和39年〉9月13日 - )は、日本の政治家、元女優・歌手、元介護施設経営者、元レーシングドライバー。以前は出生名の三原 順子で活動。血液型はB型。芸能活動期間の所属事務所は東京宝映テレビ。

自由民主党所属の参議院議員(2期)、自民党女性局長(2013-2015年・2018年-)、参議院厚生労働委員長(2016年)。東京都板橋区出身。
出典 三原じゅん子 - Wikipedia

70年代の伝説のアイドルグループ『ピンク・レディー』の解散 / 1981年3月31日、後楽園球場で解散コンサートを開催

70年代の伝説のアイドルグループ『ピンク・レディー』

70年代の伝説のアイドルグループ『ピンク・レディー』

1976年シングル「ペッパー警部」で歌手デビュー。1978年、「UFO」で日本レコード大賞受賞、「サウスポー」で日本歌謡大賞受賞。
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ピンク・レディー『サウスポー』   

当時の子供向けテレビ雑誌「テレビマガジン」(講談社)、「テレビランド」(徳間書店)、「てれびくん」(小学館)誌上における短期グラビア連載を展開した他、女児の間ではピンク・レディーの振り付けの真似が大流行した。
出典 ピンク・レディー - Wikipedia

ピンク・レディー シングル全22曲メドレー

ペッパー警部(1976年8月25日)
S・O・S(1976年11月25日)
カルメン'77(1977年3月10日)
渚のシンドバッド(1977年6月10日)
ウォンテッド(指名手配)(1977年9月5日)
UFO(1977年12月5日)
サウスポー(1978年3月25日)
モンスター(1978年6月25日)
透明人間(1978年9月9日)
カメレオン・アーミー(1978年12月5日)
ジパング(1979年3月9日)
ピンク・タイフーン (In The Navy)(1979年5月1日)
波乗りパイレーツ(1979年7月5日)
Kiss In The Dark(1979年9月5日)
マンデー・モナリザ・クラブ(1979年9月9日)
DO YOUR BEST(1979年12月5日)
愛・GIRI GIRI(1980年3月5日)
世界英雄史(1980年5月21日)
うたかた(1980年9月21日)
リメンバー (フェーム)(1980年12月5日)
Last Pretender(1981年1月21日)
OH!(1981年3月5日)

松本伊代

松本伊代のデビュー曲『センチメンタルジャーニー』

「伊代はまだ16だから」

中学3年生の時に原宿でスカウトされる。翌1981年に第5回長崎歌謡祭でグランプリを受賞。同年、TBS系『たのきん全力投球!』の田原俊彦の妹役オーディションに合格しデビュー。同年10月21日、「センチメンタル・ジャーニー」でアイドル歌手としてもデビューした。

伊藤つかさ

伊藤つかさ 少女人形

1981年9月1日に徳間ジャパンより「少女人形」でアイドル歌手としてデビュー。1980年代に一世を風靡した。八重歯がトレードマークであった。

中森明菜は1982年(昭和57年)にデビュー / 松田聖子と並ぶ80年代アイドルの双璧・歌謡界の女王

中森明菜のデビュー曲『スローモーション』 / 中森明菜は1980年代のアイドルとしては松田聖子と2強を競った。

中森がデビューした1982年はアイドルの当たり年で、この時期(1981年10月から1982年9月)にデビューしたアイドル達を総称して「花の82年組」または「花の57年組」と呼んだ。

同時期には、新井薫子、石川秀美、小泉今日子、嶋大輔、シブがき隊、原田知世、早見優、堀ちえみ、松本伊代、三田寛子、薬師丸ひろ子、渡辺徹(五十音順)らがデビューしている。
出典 中森明菜 - Wikipedia

「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」 / 80年代の歌姫として大人気に。

1985年の「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」と1986年の「DESIRE -情熱-」で2年連続となる日本レコード大賞を受賞。
中森は『ザ・ベストテン』で、さまざまなアイデアやこだわりを持った美術や照明・セットに対抗し、勝負するかのように懸命に表現してきたが、番組や出演するタレントに対する愛情の深さと熱意を番組スタッフから強く感じていたという。

さらに、今のテレビでは熱意を感じられる番組は限られており、この時代を過ごせたことは幸せであったと出演当時を振り返っている。
出典 中森明菜 - Wikipedia
熱意を感じられるテレビ番組が減ったことが現代の問題。

中森 明菜 DESIRE - 情熱 -

音楽番組で披露したこの楽曲の衣裳は、ボブのウィッグとハイヒールに、批評家から「斬新・奇抜」と評された着物を洋風にアレンジしたもので、これに加えて、中森オリジナルの振り付けによるパフォーマンスも披露された。

後年のコンサート・ツアーでも複数回選曲される人気の高い曲。
1986年、2月に14枚目のシングル「DESIRE -情熱-」をリリース。この楽曲は1986年のオリコン年間チャートで2位を記録し、第28回日本レコード大賞で前年に続き日本レコード大賞を受賞した。

これにより中森は、女性ソロ歌手として史上初の2年連続となる日本レコード大賞受賞を果たした。

【中森明菜】 難破船 (cut version from 夜hit)

すごい歌唱力、ものすごい演技力

小泉今日子 / アイドルとしては松田聖子と中森明菜の2強に続いた存在

小泉今日子「なんてったってアイドル」 1985年12月25日

1985年11月、17枚目のシングル「なんてったってアイドル」をリリース。オリコンチャートでは1位を獲得しつつ、約30万枚のヒットになり、歌詞のなかで「私はアイドル」と堂々と歌い上げて話題になった。

親交のあった秋元康が、「アイドル・小泉今日子」をイメージして作詞をし、アイドルであることを楽しむ、あるいは遊ぶ、新時代のアイドルの形が創り出された。
髪をショートカットにイメージチェンジした5作目のシングル「まっ赤な女の子」でブレイクし、月曜ドラマランドで主演ドラマに抜擢された『あんみつ姫』が放送され一気に女優としても話題となり、高視聴率を獲得しながら多忙ながらに続編シリーズが放送された。

なお、月曜ドラマランドの人気が出たのも『あんみつ姫』が放送されてからである。人気絶頂期時の1984年にリリースした9作目の「渚のはいから人魚」で初のオリコン週間チャート1位を獲得、33万枚を越える売上となった。

このヒットにより、第35回NHK紅白歌合戦に初出場を果たし、後半戦のトップバッターに抜擢された。第39回NHK紅白歌合戦まで5年連続出場を果たす。

明るくキュートな容姿が広く支持され、天真爛漫な明るさと新しいアイドル像を作り上げ、その人気は不動のものとなり、歌手活動以外にも、ドラマや映画に出演して一躍トップアイドルに躍り出た。
出典 小泉今日子 - Wikipedia

小泉今日子 迷宮のアンドローラ PV

「迷宮のアンドローラ」は、小泉今日子が1984年6月にリリースした10枚目のシングル。

売上は37.7万枚のセールスを記録して『ザ・ベストテン』などで1位を獲得し、有線チャートでもトップとなる。1991年の「あなたに会えてよかった」でミリオンセラーを達成するまでは、シングルの最多売上であった。
アイドルとしては松田聖子と中森明菜の2強に続いた存在であり、歌手としては筒美京平や馬飼野康二の作曲した作品でヒットを連発した。

小泉今日子 The Stardust Memory

堀ちえみ

堀ちえみ / 「花の82年組」としてアイドル歌手デビュ...

堀ちえみ / 「花の82年組」としてアイドル歌手デビュー。大映ドラマのヒロイン役でも活躍。

1983年にTBS系列で放送されたドラマ『スチュワーデス物語』(原作:深田祐介)で大映ドラマ初主演。

劇中での「教官!」「ドジでノロマな亀」の台詞は流行語になり、翌1984年に新語・流行語大賞に指名され、大衆賞を受賞した。

この『スチュワーデス物語』以外にも、『スタア誕生』や『花嫁衣裳は誰が着る』でも主演し、「少女がいじめや冷酷な仕打ちに耐えながら、終いに幸運を手に入れる」という、1980年代の大映ドラマを象徴するキャラクターを演じた。
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潮風の少女 堀ちえみ

1981年に開かれた第6回ホリプロタレントスカウトキャラバンの優勝をきっかけとして芸能界入り。

1982年3月に『潮風の少女/メルシ・ボク』で、アイドル歌手としてデビューする。

風間杜夫 × 堀ちえみ (2013)

【スチュワーデス物語】松本千秋の奇行

早見優

早見優 夏色のナンシー 1983/5/2

1982年4月、シングル「急いで!初恋」でアイドル歌手としてデビュー。

1983年には本人自身も出演したコカ・コーラのCMに使われたシングル、「夏色のナンシー」がオリコンチャート7位にランクイン。この年12月の「第34回NHK紅白歌合戦」にも初出場した。
上智大学比較文化学部日本文化学科卒業。英語堪能な才色兼備アイドルとして注目される。

薬師丸ひろ子 / 角川映画の中心的存在として人気の頂点を極める

薬師丸ひろ子 セーラー服と機関銃

角川映画時代にリリースしたシングル「セーラー服と機関銃」(1981年)・「探偵物語」(1983年)・「メイン・テーマ」(1984年)・「Woman "Wの悲劇"より」(1984年)は、すべて主演映画の主題歌である。
出典 薬師丸ひろ子 - Wikipedia
1978年のデビュー以来、角川映画の中心的存在として人気の頂点を極める。

薬師丸ひろ子 探偵物語

あなたを・もっと・知りたくて 薬師丸ひろ子

原田知世

時をかける少女 原田知世

スクリーンデビュー作の『時をかける少女』(1983年)では日本アカデミー賞ほか各映画賞の新人賞を受賞。

薬師丸ひろ子に次ぐ大型新人として話題になり、「角川三人娘(薬師丸ひろ子・渡辺典子・原田知世)」の末っ娘としてアイドル的な人気を得る。
『時をかける少女』は、1983年7月16日に公開された大林宣彦監督、原田知世初主演の日本映画。

主演の原田知世は、第7回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した。

石川秀美

石川秀美 「ゆ・れ・て湘南 」PV 1982年

1982年4月21日、「妖精時代」でデビュー。各音楽祭で新人賞を獲得する。

2枚目のシングル『ゆ・れ・て湘南』は青春の閉塞感と疾走感が充満した楽曲に仕上がっている。
元気で明るい、スポーツ万能な石川秀美さん。中学時代はバスケットボール部に所属し、県大会で活躍する。

伊藤さやか

【珍品堂】伊藤さやか - 天使と悪魔

モデルとしてデビュー。資生堂「シャワーコロン」のイメージガールとしてCMに出演。日本テレビのドラマ『陽あたり良好!』のヒロイン・岸本かすみ役に抜擢され注目を集める。

1982年5月「天使と悪魔〜ナンパされたい編」でビクターより歌手としてデビュー。テレビアニメ『さすがの猿飛』の主題歌・挿入歌も担当した。

猿飛

オープニングテーマ
「恋の呪文はスキトキメキトキス」
歌 - 伊藤さやか / 作詞 - 康珍化 / 作曲・編曲 - 小林泉美

新井薫子

新井薫子「虹いろの瞳」昭和57年

新井薫子のデビュー曲「虹いろの瞳/風のジェラシー」(1982年3月21日)。

後発のTDKコアが手掛けた初の新人だったが、1年程活動しただけで療養のため休業し、趣味だった日本画や絵本を学ぶ傍ら、快復後には端役出演などこなした。
突如メディアから姿を消したため、『やめてクレ…ROCK'N'ROLL!』のミッキーと共に死亡説が都市伝説として囁かれるようになり、『夕やけニャンニャン』に本人が出演して健在を証明する羽目になった。
出典 新井薫子 - Wikipedia

菊池桃子

菊池桃子 【卒業 GRADUATION】

1984年3月17日 - 映画『パンツの穴』でヒロインを演じて注目される。同年4月21日 - 『青春のいじわる』でアイドル歌手デビュー(VAP)。

清純派アイドルとして人気を博し、1984年に出した3枚のシングルを大ヒットさせ、初アルバム『OCEAN SIDE』はヒットチャート1位になった。

4枚目のシングル「卒業-GRADUATION-」から「アイドルを探せ」まで7枚連続オリコン1位の売り上げを記録した。
『テラ戦士Ψ BOY』(テラせんし サイ ボーイ)は、1985年7月6日より全国東映系で公開された映画。主演は菊池桃子。

伊藤麻衣子(いとうまい子)/ 現在もタレント業などと並行してロボットの研究開発を行っている。

伊藤麻衣子のデビュー曲『微熱かナ』(1983年)

1982年、ミスマガジンコンテストの初代グランプリを受賞。1983年、シングル「微熱かナ」でアイドル歌手としてデビュー。
1983年デビューの歌手には大沢逸美、森尾由美、松本明子、小林千絵、THE GOOD-BYE、岩井小百合、桑田靖子、原真祐美、小出広美、武田久美子などがいたが、目立って売れたアイドルが存在しなかったために「不作の83年組」と言われた。
出典 いとうまい子 - Wikipedia

原真祐美

原真祐美 - 決心

1983年3月21日に「妹みたいじゃだめですか?」のキャッチフレーズで、日本コロムビアから『決心』でアイドル歌手としてデビューする。

3rdシングル『Bye,Bye,September』は、FNS歌謡祭で優秀新人賞、あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭で銀賞、ヤング歌謡大賞でアイドル賞、銀座音楽祭で銀賞、新宿音楽祭で銀賞、日本歌謡大賞放送音楽新人賞など多くを受賞した。

荻野目洋子

荻野目洋子

荻野目洋子

アイドル歌手として1980年代中盤ころよりユーロビート調の楽曲を歌い、1986年(昭和61年)から1989年(平成元年)まで、「日本レコード大賞」の金賞を4年連続で受賞。また『NHK紅白歌合戦』に計5回の出場歴がある。
出典 www.amazon.co.jp

荻野目洋子 【ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)】

デビュー30周年、「バブリー・ダンス」で再ブレイク

2014年、2013年末より音楽番組などに頻繁に出演するようになり、TV番組で久々に披露された自身のヒット曲「ダンシング・ヒーロー」が番組出演直後に音楽配信サイトにて1位を記録し、月間ランキングでも1位を獲得した。2014年7月にはデビュー30周年を迎え本格的活動を開始することが発表された。そのデビュー30周年の始動第一弾と位置付けられたアルバム『ディア・ポップシンガー』に新曲を収録し、8月20日リリース。アルバムとしては約5年ぶり、オリジナルの新曲としては約15年ぶりの発表となる。
出典 荻野目洋子 - Wikipedia

岡田有希子

岡田有希子 くちびるNet work

1984年(昭和59年)4月21日、シングル『ファースト・デイト』でメジャーデビュー。

1986年(昭和61年)1月29日、シングル『くちびるNetwork』が発売され、オリコンチャートで初登場1位となった。
1980年代中期に活動したアイドル歌手のひとりであり、「ポスト松田聖子」としても期待されていたが、1986年(昭和61年)に飛び降り自殺した。

この報道に端を発した若者の相次ぐ自殺は、大きな社会問題となった。当時のこの現象を「ユッコ・シンドローム」と呼ぶこともある。
出典 岡田有希子 - Wikipedia

渡辺典子

渡辺典子 晴れ、ときどき殺人(キルミー)

1984年
1月、『探偵物語』でテレビドラマ初主演。また「花の色/少年ケニヤ」で歌手デビュー。(18歳)
2月、『積木くずし』での演技が評価され、第7回日本アカデミー賞 新人俳優賞を受賞。(18歳)
5月、角川映画からの初の主演映画『晴れ、ときどき殺人』が公開。さらに当映画の主題歌「晴れ、ときどき殺人」も担当しヒット。(18歳)

工藤夕貴

工藤夕貴「野生時代」

歌手の井沢八郎の長女として八王子市に生まれる。1983年に渋谷でスカウトされて芸能界デビュー。堀越高等学校卒業。TBS『ザ・ヒットステージ』で小堺一機相手にアイドルをメッタ斬りする毒舌中学生で話題になり、その後ハウス食品の、チキンラーメンタイプの袋麺「303」(さんじさんぷん〈3時3分〉、サンマルサンとも)のコマーシャルで「お湯をかける少女」として人気者となる。

1984年、石井聰亙監督の『逆噴射家族』に出演し、女子プロレスラーとアイドル歌手を目指すミーハー娘を演じた。また、この映画の挿入歌「野生時代」で歌手デビューも果たす。

少女隊

『少女隊Complete Singles Forever 1984-1999』ダイジェスト映像

一心同体・少女隊

1983年にオーディションでミホ、レイコ、チーコの3人が選ばれ、結成された。翌年の1984年8月28日にシングル『FOREVER〜ギンガムチェックstory〜』、アルバム『少女隊Phoon』、12インチシングル『ESCAPE』、ビデオ『少女隊Phoon』を同時にリリースしてデビューする。キャッチコピーは「胸騒ぎ、ザワ、ザワ、ザワ」。

デビュー1周年の1985年8月、メンバーの一人であるチーコが椎間板ヘルニアにより脱退し、新メンバー・トモが加入した。

デビュー(1984年)から、1999年の再集結までの全15シングルのAB面(30曲)、12インチシングル3タイトルのAB面(8曲)、「Korea」の12インチシングル韓国盤(3曲)、これまでCD化されていなかったアルバム収録曲1曲、カセット企画のみに収録されていたオリジナル・カラオケ6曲という豪華な全48曲入り3枚組CD。(うち初CD化は13トラック)
ブックレットに全シングルジャケ写掲載、およびメンバーインタビュー、そしてメンバー直筆コメントを収録。

セイントフォー

セイントフォー / 太陽を抱きしめろ

セイントフォー(Saint Four)とは、加瀬邦彦が音楽プロデュースをしていた1980年代のアイドルグループ。

デビュー時の元メンバーは、岩間沙織、浜田範子、鈴木幸恵、板谷祐三子。

1982年「あなたもスターに!」というプロダクションのダイレクトメールに応募して、約3万人の中から選ばれた4人。

結成当初は岩間、鈴木、他2名(幻のメンバー)による通称「四人組」としてレッスンをスタートしたが、他2名がグループ活動を辞退したため、浜田、板谷が加入しオリジナルメンバーとしてデビューを果たした。

宇沙美ゆかり

宇沙美ゆかりのデビュー曲『蒼い多感期』 当時15歳 

麻生真美子&キャプテン

『恋の免許証(ライセンス)』 麻生真美子&キャプテン (1984)

1984年、当時19歳の麻生真美子(後に「麻生真宮子」に改名し女優業に転身)と2人組アイドルグループ「キャプテン」は、トリオを結成。

1984年6月21日、ビクターから「恋の免許証(ライセンス)」(作詞:荒木とよひさ、作曲:三木たかし、編曲:萩田光雄)でデビュー。その後「恋の低空飛行」「愛した男よ蝶になれ」などシングル合計6枚、アルバム1枚をリリースした後、1987年に解散。

1984年の名曲:『雨音はショパンの調べ』、夏の最大ヒット曲『ふたりの愛ランド』

雨音はショパンの調べ - 小林麻美

石川優子とチャゲ(現:Chage)のコラボレーション・シングル『ふたりの愛ランド』

中山美穂 / 80年代後半に最も活躍した女性アイドルのひとり。ビジュアルでは昭和の歴代アイドルの中でもトップクラス。

中山美穂 / 歌手と女優を両立し続けたトップアイドル。

中山美穂 / 歌手と女優を両立し続けたトップアイドル。

1982年、小金井市立緑中学校1年生の時に原宿でスカウトされる。モデルクラブ・ボックスコーポレーションに所属。雑誌『花とゆめ』の懸賞ページの写真モデルが初仕事。
オリーブ1984年 9/3 号
14歳 中山美穂

中山美穂のデビュー曲『C』(1985年6月)/ ビジュアルでは昭和の歴代アイドルの中でもトップクラスという評価

1985年1月、TBS系ドラマ『毎度おさわがせします』のツッパリ少女・のどか役で女優デビュー。

思春期の性をテーマにしたホームコメディードラマで、刺激的なシーンやセリフが多く、今までにないその鮮烈な内容が大いに注目されて大ヒットした。
(1985年にアイドルデビューした)同期には当時ドラマ共演がきっかけで親友だった網浜直子、森川美穂、本田美奈子、南野陽子、井森美幸、森口博子、斉藤由貴、浅香唯、おニャン子クラブ、中村繁之、芳本美代子、森下恵理、大西結花、いしのようこなど、のちにトップアイドルになる華々しい顔ぶれと並んでのデビューだった。

それぞれ歌手、役者、タレント、モデルなどの道を進み活躍している。
出典 中山美穂 - Wikipedia

中山美穂の7枚目のシングル「ツイてるねノッてるね」(1986年8月21日)

第28回日本レコード大賞金賞受賞曲。各音楽ランキングで初めてトップ3入りを果たした。
80年代後半に最も活躍した女性アイドル四人(中山美穂、工藤静香、南野陽子、浅香唯)は当時女性アイドル四天王と呼ばれていた。
出典 中山美穂 - Wikipedia

斉藤由貴

斉藤由貴のデビュー曲『卒業』 / スケバン刑事が一世を風靡し、トップアイドルへと上り詰める。

1984年、『少年マガジン』(講談社)第3回ミスマガジンでグランプリに選ばれる。10月、明星食品「青春という名のラーメン・胸騒ぎチャーシュー」のCMが話題を呼び、テレビ初登場。

1985年2月、『時代だって、由貴に染まる。』というキャッチフレーズのもと、ポニーキャニオンより『卒業』で歌手デビュー。

おニャン子クラブ

おニャン子クラブ

おニャン子クラブ

おニャン子クラブは、1985年にフジテレビのテレビ番組『夕やけニャンニャン』から誕生した女性アイドルグループ。
出典 www.amazon.co.jp

会員番号の唄(おニャン子クラブ)

メンバーの自己紹介ソングとなっており、おニャン子クラブのメンバーが一人ひとり自己紹介していく形で曲は展開する。『夕やけニャンニャン』やコンサートにおいて度々歌われたため知名度は高い。

会員数が数十名に達していた当時のおニャン子クラブにおいて、一人ひとりのメンバーの顔や個性を印象づける役割を担った。

おニャン子クラブ セーラー服を脱がさないで

1985年7月5日に発表したデビューシングル「セーラー服を脱がさないで」がヒットしてブレイク。

以降、おニャン子クラブとしてのグループ名義、メンバーのソロ名義、グループ内で作ったユニット名義などで、シングル、アルバム、ビデオソフト、写真集を絶え間なくリリースし続けてヒットさせ、1980年代のアイドルシーンを席捲していった。

おニャン子クラブ 【真赤な自転車】

デビューシングル「セーラー服を脱がさないで」(1985.7.5)を含む、初のオリジナルアルバム『KICK OFF』(キック・オフ)に収録された。

おニャン子クラブ 【早すぎる世代】

新田恵利

新田恵利

1985年におニャン子クラブの会員番号4番としてデビューした。ソロデビューしたときに歌った「冬のオペラグラス」がヒットした。
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国生さゆり

国生さゆり

1985年(昭和60年)4月に、おニャン子クラブの会員番号8番としてデビューした。翌年の1986年(昭和61年)に、シングル曲の「バレンタイン・キッス」でソロデビューした。
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うしろゆびさされ組(高井麻巳子、岩井由紀子)

おニャン子クラブに所属していた高井麻巳子と岩井由紀子(ゆうゆ)の2人で結成されたアイドルユニット。

高井のおニャン子卒業とともに解散。
城之内 早苗は、日本の演歌歌手。

1985年5月、スタッフの勧めでフジテレビ『夕やけニャンニャン』のオーディションコーナー、「ザ・スカウト アイドルを探せ!」に出場。105点を獲得して見事合格を果たし、おニャン子クラブの会員番号17番となる。

在籍中から演歌歌手志向が強く、1986年に「あじさい橋」でソロデビュー。メンバーでは唯一の演歌界進出となった。
吉沢秋絵

吉沢秋絵

フジテレビの『夕やけニャンニャン』の「アイドルを探せ スケバン刑事IIスペシャル」に111点を獲得して合格し、おニャン子クラブ会員番号25番(在籍:1985年8月30日 - 1986年9月26日(在籍393日))として芸能界入りする。

『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』の矢島雪乃役で女優デビューする(当初は2代目麻宮サキ役の予定だったが諸事情で南野陽子に変更)。また、『スケバン刑事II』の主題歌「なぜ?の嵐」でソロ歌手としてデビューする。
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うしろ髪ひかれ隊(工藤静香、生稲晃子、斉藤満喜子)

おニャン子クラブ解散後も活動。しかし工藤静香のソロ充実により、ファーストコンサート後自然消滅した。
渡辺美奈代

渡辺美奈代

1985年11月、フジテレビ『夕やけニャンニャン』のおニャン子クラブのオーディションコーナー「アイドルを探せ!」と、ニッポン放送『三宅裕司のヤングパラダイス』の連動特別企画「ヤンパラ・イメージガール・オーディション」に出場、横田睦美らと共に合格し、おニャン子クラブのメンバーになる。

翌年春加入の渡辺満里奈とともにWワタナベとして人気を獲得。1986年7月に、シングル「瞳に約束」でソロデビュー。
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渡辺満里奈

渡辺満里奈

1986年3月に「夕やけニャンニャン」のオーディション「ザ・スカウト アイドルを探せ」に参加。月曜日の登場時からとんねるずの石橋貴明から「(オーディションに落ちて)ウチの事務所来い!」と言われるなど、大いに気に入られて存在感を示し、金曜日には高得点(120点。合格は100点以上)で合格を果たした。その際、とんねるずの木梨憲武に「おニャン子はお前のものだ!持ってけ!」とまで言われた。

1986年3月27日におニャン子クラブ会員番号36番としてデビュー。デビュー早々より人気を得て、中期から後期にかけてのおニャン子クラブの主力メンバーとなった。

おニャン子クラブ時代は同じ渡辺姓の渡辺美奈代とともに「W渡辺」「Wワタナベーズ」と呼ばれた。

おニャン子クラブ在籍中の1986年10月に発売されたソロデビュー曲『深呼吸して』は、当時のオリコン初登場1位の最年少記録(15歳11ヶ月)となった。
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我妻 佳代(あがつま かよ)

我妻 佳代(あがつま かよ)

1987年1月、フジテレビ『夕やけニャンニャン』の「ザ・スカウト アイドルを探せ!」にて合格を果たし、おニャン子クラブの会員番号48番となる。実姉は元アイドルの芹沢直美。

1987年9月のおニャン子クラブ解散後、11月に「プライベートはデンジャラス」でソロデビュー、オリコンチャート初登場9位。その後、4枚のシングルと2枚のアルバムを発表。
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山崎真由美

山崎真由美

1986年9月25日に『夕やけニャンニャン』のオーディションに合格し、おニャン子クラブの中学生版であるB組の会員番号5番となる。他の4人は「ミス・セブンティーン」で合格して入っていた為、B組では唯一、番組内のオーディションで合格したメンバーである。

エブリワン・ミュージックに所属し、1988年4月1日、ポリドールより『瞳をみつめて』でソロデビュー。
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河合その子

河合その子 涙の茉莉花LOVE (1986LIVE)

1985年9月、「涙の茉莉花LOVE」で、おニャン子クラブから最初のソロデビューを果たす。

工藤静香

工藤静香 = 禁断のテレパシー =

1987年8月31日の『夕やけニャンニャン』最終回放映日に発売となったシングル「禁断のテレパシー」でソロデビューし、オリコン1位を記録した。

以後、1980年代後半から1990年代後半に渡りヒット曲を連発した。1980年代後半に最も活躍した女性アイドル4人(工藤静香、中山美穂、南野陽子、浅香唯)は女性アイドル四天王と呼ばれていた。
出典 工藤静香 - Wikipedia

南野陽子

南野陽子 吐息でネット。(1988年3月27日)

フジテレビ系ドラマ『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』で主人公の2代目・麻宮サキ役を演じ、一躍トップアイドルの座を獲得。
80年代後半に最も活躍した女性アイドル四人(中山美穂、工藤静香、南野陽子、浅香唯)は当時アイドル四天王と呼ばれていた。

浅香唯

Yui Asaka 浅香唯 - Believe Again

スケバン刑事シリーズでブレイク

1986年10月、フジテレビ系連続ドラマ『スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇』に、主役の3代目麻宮サキ役で出演を果たした。
各メディアからは「ポスト松田聖子」、さらに中山美穂、工藤静香、南野陽子と共に「アイドル四天王」と称され、日本一忙しいアイドルと言われた。

浅香唯 - C-Girl

本田美奈子. / アイドル界1の歌唱力があったと言われる。

本田美奈子 1986年のマリリン

へそを露出させた衣装や激しく腰を振る振り付けなど当時のアイドル歌手としては異例の演出と相俟って大ヒットとなった。
あどけない顔立ちと華奢な体からは想像できないような実力の持ち主であった。

デビュー当初から歌のうまいアイドルとして評価されており、森川美穂や中森明菜同様、アイドル界1の歌唱力があったと言われる。
出典 本田美奈子. - Wikipedia

本田美奈子. - Oneway Generation

1987年(昭和62年)放送のドラマ『パパはニュースキャスター』には本人役で出演し、主題歌に採用された「Oneway Generation」(同年2月4日発売)はドラマ自体の好評にも支えられ人気を博した。

芳本美代子

芳本美代子 白いバスケットシューズ

1985年3月21日に「白いバスケット・シューズ」でアイドル歌手デビューを果たす。

デビュー当時、レコード売上的にはやや苦戦を強いられた。

おニャン子クラブの台頭で求められるアイドル像が変質していった時期と重なり、彼女が置かれた環境は良好なものとは言えなかった。

石野陽子(現・いしのようこ)

石野陽子のデビュー曲『テディーボーイ・ブルース』 (1985年4月25日)

姉は女優・歌手の石野真子。

『セーラー服通り』への主演や『志村けんのだいじょうぶだぁ』での志村けんとの息の合った夫婦コントでバラドルとして人気を博す。

佐野量子

佐野量子のデビュー曲『ファースト・レター』(1985年4月21日)

レッツゴーヤング
1985年6月2日

1995年にJRA騎手・武豊と結婚。西村知美とはアイドル時代から仲がよく、現在も親交がある。

奥田圭子

奥田圭子のデビュー曲『夢ください-知・的・優・遊-』(プロモーションビデオ)

パイロット万年筆のCMソング「夢ください―知・的・優・遊―」(1985年2月21日)でレコードデビュー後、映画『パンツの穴』の第2作『パンツの穴 花柄畑でインプット』で、志村香と共にヒロイン役を務めた。

当時のアイドルとしては異彩を放つルックスで、ショートカットで白目のはっきりした目が特徴。

西村知美

西村知美のデビュー曲『夢色のメッセージ』 (1986年3月)

ほんわかとした天然キャラが売り。

アニメ・漫画・ゲームが好きで、「アニメージュ」でコラム「あにめってらぶりー」を担当していた。特に好きな作品は『うる星やつら』で、そのファンクラブにも入っていた。

島田奈美

島田奈美 ガラスの幻想曲〔ファンタジー〕(1986年8月2日)

1986年4月から7月にかけて、TBS系ドラマ「お坊っチャマにはわかるまい!」にて、とんねるずの木梨憲武演じる平田正美の妹「平田奈美」役でテレビドラマデビュー。

1986年5月21日、コロムビアレコードより『ガラスの幻想曲(ファンタジー)』で歌手デビュー。

西村知美、杉浦幸と大変仲が良く、アイドル時代は頻繁に電話や手紙でのやり取りをしていた。

西村とはザ・ベストテン出演時に一緒に手を繋いで登場し、Momoco Partyでは杉浦と手をつないでエンディングを唄った。また、西村の結婚式にも参列している。

杉浦幸

杉浦幸 【悲しいな】

1985年12月4日、フジテレビ系の大映ドラマ『ヤヌスの鏡』で多重人格のヒロイン役で芸能界デビュー。

1986年(昭和61年)1月には、シングル『悲しいな』でアイドル歌手としてもデビュー。同曲はオリコンのウィークリーチャートで4位となり、15万枚を売り上げた。

ガールズバンドのパイオニア「PRINCESS PRINCESS」 / 商業的に日本で最も成功した女性グループ。ヒット曲を連発。

世界でいちばん熱い夏 - PRINCESS PRINCESS

歌詞を噛んでる箇所が多々あるため、癖がややある映像になっている。

後藤久美子 / 美少女ブーム(1987年)を牽引した

後藤久美子は、1986年、NHKの『テレビの国のアリス』のヒロイン役で女優デビュー。

「国民的美少女」を謳い文句に、世に言う美少女ブームを巻き起こした。
本人曰く「協調性がない分、孤独でも順応性が高い」。

中学生当時はその協調性のなさから、共演者との軋轢や批判を生んだようだが、現在はそれが外国生活に活かされているとのこと。
出典 後藤久美子 - Wikipedia

後藤久美子のデビュー曲「teardrop」(1987年3月18日)

オスカープロモーションが総力をあげて開催しているオーディション「国民的美少女コンテスト」は第二の後藤久美子を探せというコンセプトのもと始まった(後藤本人はこのオーディションの出身では無い)。
出典 後藤久美子 - Wikipedia

立花理佐

立花理佐のデビュー曲『疑問』(1987年4月1日)

デビューシングル「疑問」は、ドラマ『毎度おさわがせしますIII』の後期主題歌に起用され、オリコン週間チャートで初登場2位の快挙。またTBSテレビ「ザ・ベストテン」にも、デビューシングルの「疑問」から4作目の「サヨナラを言わせないで」まで、10位以内にランクインされた。

森高千里

森高千里 - 17才 ('89)

森高 千里は、歌手・シンガーソングライター・マルチプレイヤー。1987年に、歌手としてメジャー・デビューを果たした。

1987年春、東宝映画『あいつに恋して』(同年5月30日公開)にヒロイン・松前千里役で出演、同年5月25日に同映画の主題歌「NEW SEASON」で歌手デビュー。

1989年、南沙織の楽曲のリメイク「17才」がヒットし、一躍人気ミュージシャンとなる。

小川範子

【HD画質】小川範子のデビュー曲『涙をたばねて』(1987年11月25日)

1987年(昭和62年)放送のテレビドラマ『魔夏少女』から、芸名を本名から「小川範子」に変更している。

『3年B組金八先生』の特別編『3年B組金八先生スペシャル6 新・十五歳の母』(TBS 1987年12月25日)にも、妊娠する中学生役で出演。

同年11月には『涙をたばねて』(トーラスレコード)で歌手デビュー。3rdシングル「こわれる」から5作連続でオリコンチャートトップ10入りを果たし、アイドル歌手としても人気を得る。

女性アイドルデュオ『Wink』(ウィンク) / 鈴木早智子と相田翔子の二人組

愛が止まらない ~Turn it Into Love~ / Wink【Official Music Video】

Wink(ウィンク)は、日本の女性アイドルデュオで、鈴木早智子と相田翔子の二人組。1988年4月27日デビュー、1996年3月31日活動停止。

1989年、フジテレビ系ドラマ『追いかけたいの!』(1988年10月26日~12月21日放送)の主題歌に使われた「愛が止まらない 〜Turn it into love〜」が、オリコンチャート年間第5位となる売上62.95万枚のヒット。

2018.8.22 Release Winkオリジナル・リマスターUHQCD【Official Trailer】

Wink 30th Anniversary Specialサイト
http://www.polystar.co.jp/wink30th/

デビュー30周年を迎えるWinkが贈る、スペシャル企画第2弾。4/27EP盤復刻リリースに続き、1988年のデビューアルバムから1995年までに発表した全15タイトルをEP盤同様、オリジナル・マスターからのリマスタリング、更に高音質UHQCDとしてリリースが決まりました。約7年間で15枚のアルバムをハイペースに発表し、デュオ・アイドルとして時代を牽引してきたWink。

酒井法子

酒井法子 【男のコになりたい / Momoco Party 】

1986年(昭和61年)にアイドルとしてデビュー後、自らを「のりピー」と名乗っていた。同時に「ヤッピー」「いただきマンモス」「うれピー」といった独特の言葉の「のりピー語」も流行させた。

1987年(昭和62年)2月、『男のコになりたい』でアイドル歌手デビューし、オリコン最高6位と幸先のいいスタートを切る。

畠田理恵

畠田理恵 【ここだけの話~オフレコ~】

人形のような容姿の正統派美少女キャラクターが売りだった。

1987年3月3日、ワーナー・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)のリプリーズレーベルより「ここだけの話 〜オフレコ〜」でアイドル歌手としてもデビュー。当時未成年ながらも大胆な歌詞を歌いこなし話題になった(中森明菜路線の方向性の曲)。

1996年3月28日、将棋棋士の羽生善治と結婚し、芸能活動を引退。

BaBe(ベイブ)

Babe "Give Me Up"

BaBe(ベイブ)は、1980年代後半に活動した日本の女性デュオ、タレントである。

1987年に、当時流行だったユーロビートのカバー曲「Give Me Up」でデビュー。激しいダンスを踊りながら歌うスタイルで人気を得た。

仁藤優子

仁藤優子 おこりんぼの人魚

1987年6月17日、「おこりんぼの人魚」で歌手デビュー。同年の日本歌謡大賞で放送音楽新人賞を受賞。

歌唱力の評価は高かったが、喉の不調等によりその後歌手業を断念し、一時期同事務所の井森美幸とともにバラドルとして活躍した。その後、女優に転向した。

伊藤智恵理

伊藤智恵理 パラダイス・ウォーカー

1987年のテレビドラマ『あぶない刑事』第20話「奪還」のゲスト出演を経て、同年5月『キスより簡単』にレギュラー出演。同ドラマの挿入歌「パラダイス・ウォーカー」でアイドル歌手デビュー。

またテレビタレントとして、『志村けんのだいじょうぶだぁ』、『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』などのコント番組へのレギュラー出演、『オールナイトフジ』『ミックスパイください』などバラエティー番組の司会・アシスタント、そしてCM出演などの活動を行った。

五十嵐いづみ

五十嵐いづみ エスケイプ!(1987年12月7日)

エスケイプ! (1987.11.25) フジテレビ系ドラマ『少女コマンドーIZUMI』挿入歌

1987年『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎行進曲』のヒロイン役で映画デビュー。映画公開とあわせ、同年夏にはシングル曲『スカイバレー』でアイドル歌手としてもデビューした。

同年、テレビの連続ドラマ『少女コマンドーIZUMI』(フジテレビ)に主演し、挿入歌となった『エスケイプ!』もヒットしたが、ドラマは4ヶ月で終了した。

田中美奈子 / 超ミニスカートの美脚で「学園祭の女王」と呼ばれた。

田中美奈子のデビュー曲『涙の太陽』(1989年7月26日)

1989年、当時の所属事務所「ビッグ・ワン」の社長夫人(その後離婚)が元歌手の安西マリアという縁で、安西のカヴァー曲『涙の太陽』で歌手デビュー。

超ミニスカートの美脚で「学園祭の女王」と呼ばれた。

西田ひかる

西田ひかるのデビュー曲『フィフティーン』(1988年4月6日)

明るく元気で運動神経が良い西田ひかるは大活躍していました。

三菱エアコン霧ヶ峰 〜西田ひかる〜

中山忍

中山忍のデビュー曲「小さな決心」(1988年11月2日)

実姉は女優の中山美穂。

1988年、テレビドラマ『オトコだろッ!』で女優デビュー。同時期に歌手活動も行っていたが、本人は歌に自信がなく積極的ではなかった。

CoCo

CoCoのデビュー曲『EQUALロマンス』

CoCo(ココ)は、1989年、フジテレビのテレビ番組『パラダイスGoGo!!』内の乙女塾から誕生した、女性アイドルグループ。

CoCoのメンバー
宮前真樹(みやまえ まき)-乙女塾1期メンバー
羽田惠理香(はねだ えりか)-乙女塾1期メンバー
大野幹代(おおの みきよ)-乙女塾1期メンバー
三浦理恵子(みうら りえこ)-乙女塾2期メンバー
瀬能あづさ(せのう あづさ)-乙女塾2期メンバー、1992年5月17日、日本武道館でのコンサートを最後に脱退。

1989年9月に「EQUALロマンス」でデビューして以降、「横浜Boy Style」まで、11曲連続ベスト10入り、3枚目のシングル「夏の友達」から「Newsな未来」まで、4曲連続ベスト3入りを果たしている。

乙女塾全体としてのレギュラー番組である『パラダイスGoGo!!』と『週刊スタミナ天国』を除くと、テレビレギュラー番組を持たなかった。

本田理沙

Lesson2 本田理沙 (1988)

1988年7月、「Lesson2」でアイドル歌手デビュー。

今でも芸能界の一線で活動する同期デビューには高岡早紀、田中律子、西田ひかる、藤谷美紀などがいる。

田村英里子

【HD】 田村英里子/真剣(ほんき) (1989年)

1989年3月15日、東芝EMIから「ロコモーションドリーム」でアイドル歌手としてメジャーデビュー。オリコン週間チャート9位初登場を記録した。

3枚目のシングル「真剣(ほんき)」(東芝EMI)では、1989年度の新人賞を総なめにした。 そして同曲でザベストテン放送終了一週間前に最後の初出場歌手としてのランキング入りを果たす。

宮沢りえ / 美少女ブーム(1987年)を牽引した

宮沢りえの歌手デビュー曲『ドリームラッシュ』(1989年9月)

1989年4月、フジテレビ系『青春オーロラ・スピン スワンの涙』で連続ドラマ初主演。同年9月には小室哲哉楽曲提供による『ドリームラッシュ』で歌手デビューし、音楽番組『ザ・ベストテン』の最終回にランクインした(出演はなし)。また、カレンダーでは大胆なふんどしルックが話題を呼ぶ。
1987年(昭和62年)、CM『三井のリハウス』の初代リハウスガール“白鳥麗子”役を務めて注目を集め、トップアイドルの一人となった。
出典 宮沢りえ - Wikipedia
宮沢りえのアイドル史に残る「ふんどしルック」

ribbon

ribbon 「そばにいるね」 PV

ribbon(リボン)は、1989年、フジテレビのテレビ番組『パラダイスGoGo!!』内の「乙女塾」から誕生した、女性アイドルグループ。

永作博美(ながさく ひろみ、1970年10月14日(49歳) - )乙女塾1期生
松野有里巳(まつの ありみ、1973年2月13日(47歳) - )乙女塾1期生
佐藤愛子(さとう あいこ、1973年10月22日(46歳) - )乙女塾3期生

アイドル冬の時代において、同じく乙女塾からデビューした、CoCoらとともに人気を博した。
出典 ribbon (アイドルグループ) - Wikipedia

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