【歴代名手の“私的”技術論|No.6川口能活(元日本代表GK):2004年ヨルダン戦、大混乱のPK戦で“神セーブ”を連発

 2004年アジアカップ準々決勝、日本代表とヨルダン代表とのゲームは1-1でPK戦に突入。そして史上稀に見る大混乱のPK戦になった。

 日本の一番手、中村俊輔のシュートはバーのはるか上を飛んでいく。二番手の三都主アレサンドロも外す。PKスポット周辺の芝生があまりにも緩かったのだ。中村の軸足が思い切り滑ったのを見ていたので、三都主は踏み固めてから蹴ったが同じだった。

 ここでキャプテンの宮本恒靖は、PK戦を反対側のゴールでやるように主審に提案。ヨルダンは何事かと騒然となるなか、続きは反対側のゴールでやることになった。ここで今度は日本側が猛烈に抗議を開始。ヨルダンの2人目がまだ蹴っていなかったからだ。この2人目は左利きだったので、蹴っていれば中村、三都主と同じことになった可能性は高かった。

 ヨルダン側からすれば、勝手にアピールして場所を変えておいて何を言い出すのかと怒るのは無理もないが、さらに火に油を注ぐ出来事が……。新たなPKスポットに三都主が立っていた。ヨルダンの2人目が新しい場所で蹴るなら、日本の2人目(三都主)から始めなければ条件が揃わないという主張である。

 結局、主審に命じられて三都主は引き下がり、ヨルダンの2人目が左足で問題なく決める。これで0-2。3人目はどちらも成功、4人目の中田浩二は外せば終わりのキックを中央へ決めて2-3とした。しかし、ここまで3人全員成功のヨルダンの4人目が決めれば終わりだ。

 ここで川口能活が右へ跳んで左手でボールに触り、コースを変えた。ボールはバーに当たって外れる。これで流れが変わった。

 日本の5人目、鈴木隆行が決める。そしてヨルダンの5人目のシュートは枠外。左に跳んだ川口の読みも当たっていた。

 サドンデスの6人目、中澤佑二のシュートはGKにストップされる。踊り出すヨルダンの面々。ただ、ヨルダン6人目のシュートを、再び川口が触ってボールはバーに当たる。

 7人目、宮本が決めて初めて日本が先手を打つと、ヨルダンのシュートはポストに当たり、あっけなく決着した。

「スタジアムの空気がそうだったのですが、ぼうっとした感じだった」(川口能活

 確かにモヤが出ていたかもしれないが、フィールドの雰囲気は騒然としていて、むしろトゲトゲしかったはずだ。場所替えの時はヨルダンも日本も抗議しているカオス状態で、反日一色の重慶のスタンドからは怒号を浴びせられる完全アウェー。そのなかで「ぼうっとした感じだった」のは、川口らしいと思った。

俊敏とは何かが違う「フッと動く」不思議な速さ

 川口を初めて見たのは、まだ彼が中学生の時だ。東海大第一中学校の3年生だったと思う。すでにその名は知られていた。試合中、いきなりプレーと無関係のところでイエローカードをもらっていた。たぶん判定異議。割と短気なんだなと思ったのが第一印象だった。

 清水商業高校では1年生から活躍し、高校選手権で優勝の立役者となった。横浜マリノスに入団した頃も、ものすごくギラついていた印象しかない。ただ、短気というイメージはだんだんなくなっていって、04年アジアカップの「ぼうっと」していた川口を“らしい”と感じていた。どのあたりで印象が変わったのかは覚えていないが、周囲の喧噪に全く動じず「無」になれるGKに違和感を持たなくなっていた。

 川口は、フッと動く。

 あの体の動きは本当に不思議だ。力が抜けていてパワーは感じない。そんなに速い感じもない。それでもボールに触れているので結局速いのだが、俊敏というのとは何かが違うのだ。速く動こうとしていないぶん、速い――そんな感じだ。

 1996年アトランタ五輪のブラジル戦(1-0)で28本のシュートを雨あられと浴びながら防ぎまくり、98年フランスワールドカップでも再三ピンチを救った。2006年ドイツ大会のクロアチア戦(0-0)では、名手ダリヨ・スルナのPKを止めている。

 絶体絶命の瞬間、いつも川口はしなやかだった。あれはおそらく天性のものだが、心理的にも余分なものをどんどん削いでいった結果が、あのヨルダンとのPK戦に表れていたのではないだろうか。(西部謙司 / Kenji Nishibe)

日本代表として長年ゴールを守ってきたGK川口能活【写真:Getty Images】