バイデン氏の対中弱腰スタンス攻撃
全米各地で経済社会活動が徐々に広がる米国。新型コロナウイルス禍を完全に抑え込んだわけではない。
一日でも早く米経済を軌道に乗せたいドナルド・トランプ大統領(兼次期共和党大統領候補)の見切り発車だが、第2波、第3波の危機と背中合わせの日が続く。
それにしても5月に入って以降、トランプ氏が矢継ぎ早に打ち上げる強烈な中国批判は尋常ではない。
中国が新型ウイルスのサンプルの提供や発生源と疑われる中国湖北省武漢市にある研究所の調査に応じなければ、中国との断絶も厭わぬとまで言い出した。
返す刀で、新型ウイルス発生直後、緊急事態宣言のタイミングでもたついた世界保健機関(WHO)を槍玉に挙げ、「(テドロス・アダノム事務局長率いる)WHOは中国の操り人形だ」と毒づいた。
トランプ氏はWHOのテドロス氏に宛てた書簡でこう指摘した。
「同事務局長は、1月下旬に緊急事態を宣言した際に、『中国への渡航や貿易の制限は不要だ』と決定した。だから新型ウイルスは一気に世界中に拡散したのだ」
「しかも中国の対応は『透明性が高い』などと称賛した」
そしてこう啖呵を切った。
「WHOが今後30日以内に実質的な改善策を約束しなければ拠出金の停止を無期限にし、加盟についても再考する」
具体的には、WHO専門家チームを中国に派遣し、新型ウイルスの発生源や感染経路についての情報を中国から入手せよという要求だ。
30日以内と言えば、期限は6月18日。実質的な改善策などおいそれとはできないし、その約束などできっこない。
米国が拠出金を停止したとしてもWHOが今行っている活動に直接影響を受けることはない、といわれている。
「トランプ戦法はマフィアの手口と同じ」
WHO専門家チームによる調査については、新型ウイルス禍の収束段階で発生源や感染経路の本格調査をすることには合意。
また米国が拠出金を停止して穴が生じることを見越して新型ウイルス対策として2年間に20億ドルを出すと表明した。
ワシントンの英外交オブザーバーの一人、Y氏はトランプ氏と習近平氏とのケンカについて冗談まじりにこうコメントする。一番好きな映画は「ゴッド・ファーザー」だという。
「トランプ氏の手法は、マフィアのボスがやるケンカそのもの。相手が応じなければドスをちらつかせて脅す」
「刺してしまえばそれまでだが、このケンカには、何だ何だと群衆が集まって来て取り巻いている。ドスはあくまでも脅しでしかない」
「一方の習近平氏は町会上がりの終身市議会議長。次々とライバルを潰して、上り詰めた海千山千の政治家だ。相手の足元を見透かしている」
「習近平氏は長期戦に出ている。相手のマフィアは下手をすると、6か月後には政敵に刺される(つまり大統領選で敗退する)可能性があると踏んでいるんじゃないか」
「ここでいう群衆の大半は、中国が長年にわたり経済支援、開発支援を行っていたアフリカ諸国だ」
「テドロス事務局長はアフリカの一国、エチオピア出身。まだ55歳だが、これまでにエチオピアの保健相や外相を歴任したマラリア研究の権威」
「エチオピアの最大の支援国は中国だ。そのためか、中国にはどうも頭が上がらない」
勝ち目なかった「台湾オブザーバー参加」
そのテドロス氏について、昨年末までWHO担当だった米主要メディアのベテラン科学記者W氏は筆者にこう「解説」する。
「WHOの知人の話だ。中国が今回の新型ウイルス発生をWHOに報告したのは2019年12月31日。習近平国家主席からテドロス事務局長が『来い』と言われて急遽訪中したのはそれから1月後の1月末だった」
「招待を受けたのは午前7時半、その日の午後8時には飛行機に乗っていたという」
「これを見てもテドロス氏は、習近平氏には全く頭が上がらないことが分かる」
「習近平氏とも長時間会談し、ジュネーブに帰任するや『中国への渡航や貿易の制限は不要だ』と発言した」
「トランプ氏がWHO(実はテドロス氏のこと)は『中国の操り人形だ』というのも一理あるようだ」
トランプ氏は、WHO対策では、負けを承知で台湾のWHOオブザーバー参加問題を持ち出した。
今回の新型ウイルス禍ではいち早く収拾に成功した台湾をWHO総会に招聘し、事情を聴くことは不可欠だ、というのが表向きの理由だった。
が、そのココロは「一つの中国」原則を認めない蔡英文政権の国際的存在にスポットを当てることで習近平政権を揺さぶることだった。
だがWHO内で強い影響力を持つ中国はこれに反対。結局台湾参加問題は先送りとなった。
次期総会の日程は決まっていない。ここでも習近平氏が予想通り、勝った格好だ。
「新型ウイルス禍が収束する日」とはいつか。
中国の疾病予防管理センター(CDC)の呉尊友・主任研究員はこう予測している。
「新型ウイルス禍は非常に長い尻尾を持っていることが判明した。効果的な治療法やワクチンを開発する研究は、現在世間が予想し、期待している時期よりもずっと困難なことも分かった」
「近い将来にこのウイルスを撲滅するのはほとんど不可能と言っていいからだ」
おそらく習近平氏が得ているのは呉尊友氏の悲観的な予測である。となると、新型ウイルスに関する本格的な調査などとてもではないが、トランプ大統領の残りの任期までにはできそうにない話だ。
ウイルス禍収束までに国際的な検証無理
つまり、トランプ大統領が声高に叫んでみても新型ウイルス対策についての国際的な検証が早急に実現する可能性はゼロに近い。
中国にいくら強烈な言葉のパンチを加えても、習近平氏は痛くも痒くもないのだ。
それなのになぜこれほど連日のように中国批判を続け、あたかも今にも中国との戦争が始まるかのような「錯覚」を米国民に与えているのだろうか。
(もっとも、主要メディアや良識的な識者の話やコメントを聞いているインテリはそんな「錯覚」を抱いていないことは明記しておかねばならない)
その疑問を解くトランプ再選のための戦略報告書がある。
作成したのは選挙戦略コンサルティング社、「オドンネル&アソシエイツ」*1。
*1=ベレット・オドンネル氏が経営する共和党系コンサルティング会社で、これまでにミット・ロムニー、トム・コットン各上院議員が顧客になっている。
57ページからなる報告書は短縮バージョンと拡大バージョンから構成されている。基本的スタンスは「中国を叩く」だ。
4月17日に作成され、トランプ大統領の元に届けられた。同時に共和党上院議員全員にも配布された。共和党の選挙戦略虎の巻と言っていいだろう。
新型ウイルス対応では「トランプ大統領を防御するな、中国からの渡航を禁じたことだけ言えばいい。とにかく中国を攻撃せよ」と助言している。
以下その内容を掻い摘んで訳すとこうだ。
(短縮バージョン)
●中国は新型ウイルスの実態を隠蔽、偽証し、医療機器を隠匿している。
ー、中国は米国の数百万人の雇用を盗み、麻酔用鎮静剤フェンタニルを送りつけた敵対国である、
一、中国は宗教的マイノリティ(法輪功などを指す)を強制収容所に送り込んでいる。
●私(トランプ氏のこと)の対立候補(ジョー・バイデン前副大統領のこと)は中国に対して手ぬるい。中国共産党に正々堂々と立ち向かおうとせず、その対中姿勢は国民から信頼されていない。
●それに対し私は中国に立ち向かい、中国に盗まれた雇用を取り返し、パンデミックを拡散させた中国に制裁を加えてきた。
(拡大バージョン)
●今回のパンデミックを起こしたのは中国共産党だ。中国共産党は新型ウイルスを見つけ出し、我々に警鐘を鳴らした医師を逮捕した。
また新型ウイルスによる死者数を隠蔽した。中国共産党は新型ウイルスについて偽証し、ヒト感染などしないかのごとく振舞った。
中国はマスクや医療機器の国際的なサプライチェーンを抑え、我々が必要な時にマスクや医療機器の輸出を停止させた。
●中国は米国にとっての同盟国でもなく、単なるライバルでもない。中国は、敵対国であり、中国共産党は我々の敵である。
一、中国は過去数十年にわたり、数百万の米国の雇用を盗んできた。中国は我々のインターネットをハッキングしてきた。中国は新型ウイルスやフェンタニル(麻酔や鎮痛緩和の目的で利用される合成オピオイド。麻薬取締法では麻薬と指定されている)を米国に輸入した。
一、中国は国内では女性に妊娠中絶を強制している。宗教的なマイノリティを強制収容所に送り込み、キリスト教徒を逮捕している。
(https://static.politico.com/80/54/2f3219384e01833b0a0ddf95181c/corona-virus-big-book-4.17.20.pdf)
ここに書かれている事実関係が正確かどうかは分からない。が、秋の大統領選に向けてトランプ陣営と共和党はこの基本スタンスでバイデン氏と政策論争を戦うよう助言している。
トランプ大統領とマイク・ポンペオ国務長官(今や米外交の責任者というよりもトランプ陣営のスポークスマンに徹している)が5月に入って繰り広げている反中キャンペーンはまさにこの戦略報告書の筋書き通りなのだ。
「Beijing Biden」に1000万ドル投入
この報告書を読み解いていくと、確かに「中国叩き」戦略の表向きの標的は中国だが、ホンネの標的は「中国に手ぬるい私の対立候補」(事実上のバイデン民主党大統領候補)であることが分かってくる。
そう考えないと、今年1月から2月にかけて何と15回も習近平氏の新型ウイルス対応で示したリーダーシップを褒め称え、「米国民を代表して国家主席に感謝申し上げる」などと言っていたトランプ氏のこれまでの対中スタンスとは辻褄が合わなくなってしまう。
(たとえトランプ氏がいかに朝令暮改の大統領だといえども・・・)
今、ワシントン政界で話題になっているのが、トランプ氏の再選キャンペーンの別動隊、スーパーPAC「 アメリカ・ファースト・アクション(America First Action)」がオンライン上に流しているキャンペーン・ミーム(Meme=伝達メッセージ)だ。
キャッチコピーは、語呂のいい「Beijing Biden」(北京バイデン)つまり「北京の回し者:バイデン」という意味だ。
「アメリカ・ファースト・アクション」はこのミームをウィスコンシン、ミシガン、ペンシルバニア3州のラジオで流している。
3州は「スウィング・ステート」である。その広告料は1000万ドルだ。
「Beijing Biden」とタイトルをつけたミームは、万里の長城をバックに中国人民解放軍の帽子をかぶったバイデン氏のカット写真で、冒頭に以下のような文章が書かれている。
「ジョー・バイデンは米国人の仕事を奪い、米国の国家安全保障を危険にさらす中国の脅威を全く無視している。腐敗したバイデン一家*2は中国のエリートと結びついている」
「バイデン氏の倫理観と、中国に対する弱腰スタンスの背後は重大でゆゆしき疑問を投げかけている」
「Beijing Bidenは新型ウイルスの真っ只中で我々が必要としているリーダーではない」
ご丁寧に、「北京拝登 對中国的看法恨弱」と中国語が添えてある。
*2=バイデン一家の腐敗とは、バイデン副大統領(当時)が2011年に訪中した際に特別機にビジネスで中国に行った息子のハンター氏が同乗したことや米中合同で立ち上げた投資会社に関与、現在もなお役員をしていることなどを挙げている。
「チャイナ・カード」に秘めた3つの狙い
トランプ陣営がコンサルティング会社の報告書を踏まえて「チャイナ・カード」を使い始めた点について、バラク・オバマ政権で大統領補佐官(国家安全保障担当)を務めたスーザン・ライス氏はこう指摘している。
「狙いは3つある」
「1つは、バイデン氏の弱腰な対中スタンスを攻撃することで、民主党支持層の有権者の投票率を削ぐこと(新型ウイルス禍で一般米国人の心情的な反中気運が高まっているため、対中強硬路線を望む声が強い)」
「2つ目はトランプ大統領の新型ウイルスへの不手際な対応への批判をそらし、原因はすべて中国にある。自分には何ら責任はないと主張すること」
「3つ目は皮肉なことだが、対中外交で露呈してしまった自分の弱点を(バイデン氏を持ち出すことで)政治的武器にしようとすること」
「自分の失敗を常に他人のせいにするトランプ氏の習性はすでに米国民には広く知れ渡っている」
(https://www.nytimes.com/2020/05/19/opinion/trump-biden-china.html)
対中政策ではバイデン氏6ポイントリード
中国を敵に回したトランプ氏の選挙戦略は功を奏しているのだろうか。
親トランプの保守系フォックス・ニュースが5月17日から20日までに行った世論調査の結果を見る限り、トランプ陣営の「中国叩き」は不発のようだ。
対中政策ではバイデン氏がトランプ氏を6ポイントリードしている。以下は政策別にみたトランプ支持率とバイデン支持率だ。
トランプ支持 バイデン支持
経済 45% 42%
中国 37% 43%
新型ウイルス 37% 46%
医療保険 33% 50%
「チャイナ・カード」との関連でフォックス・ニュースは「米国にとって最大の敵はどこか」と聞いている。
中国と答えた人は36%でトップ、次いでロシアが18%、北朝鮮が16%、イランが7%となっている。
政党支持別にみると、共和党支持者は中国が54%とトップ、民主党支持者ではロシアが30%でトップ、中国は20%となっている。
(https://www.foxnews.com/politics/fox-news-poll-biden-more-trusted-on-coronavirus-trump-on-economy)
米外交専門家:「今は言葉の戦争だが…」
トランプ大統領の対中強硬策について米国の外交問題専門家たちはどう見ているのか。
数人の専門家に質してみたが、異口同音に言うのは、現在トランプ大統領と習近平主席との間で起こっているのは「言葉による戦争」(Rhetorical War)であって、まだどちらも手を上げてはいないという点だ。
そして「この状態は11月の大統領選の結果を見るまで分からない」という意見がコンセンサスのようだ。
むろんその間に突発的な事件が起こらない保証はない。戦争とは往々にしてそうした事変が発端となって始まる。
アジア協会米中関係センター所長、オーバル・シェル氏(元カリフォルニア大学ジャーナリズム大学院学部長)はこう指摘する。
「米国は愚かなトランプ政権のせいで弱体化している。だが習近平氏はやりすぎないように細心の注意をする必要がある」
「「パンデミックは、勝者を決めたい中世の騎士2人(米中のこと)に馬上槍試合(Joust)を仕向けているようなものだ。そして勝者はグローバル・リーダーになる」」
「米中、どちらが勝つのか。民主主義体制か、一党独裁体制か、どちらの価値観が世界を制覇するのか。(トランプ氏が再選されれば)馬上槍試合が行われることになる。どちらが勝つのか。こればかりは分からない」
もし、トランプ氏が再選を果たすためだけに「チャイナ・カード」を弄び、その結果、選挙に勝利したら、世界はどうなるのか。
シェル氏は「それを(トランプ氏が再選されるということを)考えること自体、極めて危険なMindset(思考心理)と言わざるを得ない」と見ている。
願わくば、トランプ氏の「チャイナ・カード」があくまでも再選のためだけのものであってほしい。
[もっと知りたい!続けてお読みください →] 韓国軍が発見できなくなった北朝鮮の小型無人機
[関連記事]
コメント