(武藤 正敏:元在韓国特命全権大使)

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 文在寅政権は、新型コロナ封じ込めの成功により、その危険な体質とこれまでの内政、経済、外交などあらゆる分野での失政について審判を受けることなく、総選挙では177議席を獲得し、圧勝した。このため、文政権の前半の失政を反省するどころか、むしろそれを一層強力に推進しようとしている。その典型が、国内の積弊の清算と北朝鮮を甘やかし、北朝鮮の軍事的脅威を無視する政策である。

 文在寅大統領は、韓国をどこに連れて行こうとしているのだろうか。

光州民主化運動40周年式典への参加

 40年前の5月18日は、韓国にとって歴史の大きな転換点だった――。

 1979年10月、韓国の朴正煕パク・チョンヒ大統領が、腹心の金載圭(キム・ジェギュ)中央情報部長によって暗殺された。

 それを契機に国内で一時的に民主化ムードが高まったが、1980年5月17日に、全斗煥(チョン・ドファン)氏を中心とする新軍部がクーデターを敢行。全国への戒厳令を発表し、金大中(キム・デジュン)氏ら民主化運動を主導していた野党議員を逮捕・軟禁状態にした。

 すると翌18日、光州市でこれに抗議する学生デモが発生、戒厳軍の厳しい弾圧に怒った民衆も蜂起して激しい闘いになり、市民軍は武器庫を襲った後、銃撃戦を経て全羅南道の道庁を占拠したが、27日に政府軍によって鎮圧された。いわゆる「光州事件」、別名5・18事件だ。

 この事件で学生はじめ多くの市民が犠牲になった。一方で、群集への発砲を誰が命令したのかなど、いまだ真相が明らかになっていない部分も多い。光州は金大中氏の地盤でもある。そうしたことから、5・18諸団体を中心に、長年真相究明を求める声があった。

 その光州事件から今年はちょうど40年にあたる。5月18日文在寅氏は光州事件の政府式典に出席し、5・18真相究明は「処罰」のためのものではなく、「歴史記録」だと強調し「今からでも勇気を出して真実を告白すれば、容赦と和解の道が開かれるだろう」と演説した。

 文在寅氏は、総選挙後の第21代国会が開院すれば、直ちに「5・18歴史立て直し8法」を推進したいと語った。それは今年1月に発足した5・18真相究明調査委員会に実効性を持たせる「強制捜査権」を付与するものである。さらに、「表現の自由の陰に隠れ、5・18有功者に対するフェイクニュースをばらまく破廉恥なものたちが横行している」ことから、これを処罰する歴史歪曲発言処罰法を制定する、そして、30年以上も調査したのに究明されていない発砲命令者、ヘリ射撃疑惑などを解明することを狙っている。さらに全斗煥元大統領を念頭に置いた「憲政秩序破壊犯」の国立墓地埋葬禁止、5・18民主化運動有功者や遺族の生活保障のための支援策も入っている。

 また、青瓦台と与党は5・18を憲法前文に明示し、その精神と活動が永遠に傷つけられないよう、確立しようとしている。

「容赦と和解」とは口にしているが、全斗煥氏ら保守派への徹底批判と民主化運動者への称賛を進め、国内分断をより深刻化させようとしているようにしか見えない。

文政権にとって正しい歴史とは「文政権に都合のいい歴史」

 文在寅政権にとって歴史の真実とは、「自分たちが考える歴史」である。また表現の自由とは、「自分たちの考えに沿った表現の自由」であり、政権を批判する表現の自由ではない。

 そもそも民主主義国家においては、政府・与党が歴史の解釈を押し付けるべきではなく、客観的な調査研究で真実を探求すべきである。しかし、文在寅政権は解釈の分かれる歴史についても自分たちに都合のいい解釈を真実として押し付けている。その典型的例が、保守政権の業績否定と日本の統治時代の歴史である。また、文政権は言論機関をいち早く抑え込み、自分たちに都合の悪い真実は伝えないよう統制してきた。

歴史を歪曲してでも保守政権の業績は否定

 文在寅政権にとって内政上の最大な課題は、今後保守政権が再び誕生しないよう、革新政権の基盤を確立することである。そのために強力に進めてきたのが積弊の清算であり、保守政権の業績否定である。

 実際、文政権は韓国の初等・中等教育の教科書から、「漢江の奇跡」に関する記述を削除した。「漢江の奇跡」は韓国をどん底から蘇らせた、歴史上最大の成功である。しかし、これは軍人出身で日本の満州軍にもいた朴正煕大統領が成し遂げた経済・社会の発展であるため、その偉大なる歴史を抹殺したのである。

 そして、保守政権の過ちを執拗に追及し、国民に保守政権否定の考えを植え付けようとしている。全斗煥大統領に対しても同様だ。全斗煥政権は北朝鮮と対峙しつつ、朴正煕政権崩壊後一時停滞していた韓国経済を立て直し、北朝鮮との関係でも韓国優位を確定する功績のある政権であるが、発足時に起きた光州事件のために、その政権の功績の全てを否定しようとしている。

 光州事件は確かに多くの犠牲者を出した不幸な歴史である。しかし、全斗煥氏は当時の韓国の混乱を抑え、北朝鮮の脅威からも韓国を守る目的でクーデターを起こしたのだ。さらに、その後の韓国の再建に寄与した。そうした業績は評価すべきものだ。だが、文在寅大統領には、そうした気持ちはさらさらないようだ。

国内融和が必要な時なのに

 現在韓国で保守系は内部分裂しており、文政権に対抗できる情勢ではない。文政権は、この時期に一気に保守を叩き潰そうとしている。しかし、長期的に見れば保守層のうっ憤はこれまでになく高まっており、文政権の失政が表面化すれば、革新と保守の抗争はより根深いものとなろう。韓国では国内政治で対立する歴史が長く続いた。

 今韓国の経済には未曽有の危機が迫っている。文政権の経済失政によって経済成長率、輸出、投資、失業のあらゆる面で深刻な状況である。しかし文政権は政府支出を増やすだけで抜本的な解説策は示していない。そこに新型コロナに伴う複合不況が襲った。それが現在の状況だ。

 本来なら、こうした時期に国内対立を助長してはいられない。国内融和を図り、国民一体となって、経済の振興を図るべき時である。

北朝鮮の攻撃的姿勢は眼中にない文在寅氏

 2010年3月、韓国海軍の哨戒艦「天安」が撃沈され韓国の将兵46人が犠牲になった。この事態を受けて李明博(イ・ミョンバク)政権は、撃沈に関与したとされる北朝鮮に対し、最小限の人道的支援を除いた南北間の交流や協力を全面的に中断する「5・24措置」を独自に課した。

 ところがこの5・24措置について韓国統一部は今月22日、「事実上、実効性がかなりの部分で失われた」「南北交流・協力を推進するにあたり、これ以上障害にならない」との立場を明らかにした。

 5・24措置は、開城工業団地を除く南北交易中断、北朝鮮船舶の韓国海域航行不許可、開城工業団地と金剛山を除く訪朝の不許可、新規投資の不許可、人道支援を除く対北支援事業の保留などを骨子としている。これは国連制裁と違い韓国独自の制裁であり、韓国独自で解除できるとの考えからこうした発言となるのだろう。

 文政権はこれまでも、「北朝鮮が天安撃沈を心から謝罪し、再発防止に向けた約束をするのであれば、5・24措置を解除することは可能だ」と述べてきた。しかし、北朝鮮は10年を過ぎた今も天安撃沈の責任を認めていないし、いかなる形であれ謝罪もおこなっていない。

 金錬鉄(キム・ヨンチョル)統一部長官は、天安撃沈について「偶発的な事件」であり、5・24措置は「バカみたいな制裁」と言ってのける長官である。そして、米国の反対があっても北朝鮮との経済関係を伸ばしたいと考えている人物だ。今北朝鮮に対するすべての制裁は核・ミサイル開発、天安撃沈、金剛山における韓国人観光客射殺によるものである。しかし、文政権はこうした北朝鮮の挑発よりも、韓国の制裁を南北関係進展の障害と考えているのである。

軍事的リスクへの無頓着

 本年5月2日北朝鮮韓国軍の監視所に銃弾を発射した。韓国軍は3日9・19南北軍事合意違反について説明を求める電話通知文を送ったが北朝鮮からは何の返信もなかった。逆に、北朝鮮の宣伝メディアは、韓国軍F35グローバルホークの導入について、「北朝鮮に対する侵略戦争の準備のための武力増強と軍事的対決策動」であると非難する始末である。

 北朝鮮はこれまでも相次ぐミサイル挑発で軍事合意の精神に違反してきた。米のシンクタンク「戦略問題研究所」(CSIS)によると、平壌の順安国際空港の近郊に建設中の弾道ミサイル施設が完工を間近にしているという。それは大陸間弾道ミサイル(ICBM)数基を同時に組み立てることができる規模だという。こうした北朝鮮の増大する脅威を無視し、北朝鮮に経済的支援をしたくて仕方がない文政権の異常さは心底恐ろしい。

9・19軍事合意で弱体化した韓国軍の防衛力

 文政権のこうした対応に対し、韓国国内では「9・19南北軍事合意はすでに死文化した。北朝鮮への強力な対応を求める」との声が出て久しいが、韓国政府の北朝鮮に対する弱腰姿勢はますます顕著になっている。

 例えば韓国軍は、5月19日に予定していた海上射撃演習を「天候」を理由に延期した。実は5月6日には韓国の海軍と空軍が西北島しょで合同防御訓練を実施したのだが、これを翌日、国防日報が報じると、北朝鮮は「9・19軍事合意違反だ」と批判。すると青瓦台の国家安保室が軍幹部を呼びつけ、叱責したのだという。そのため「19日に予定されていた海上射撃演習の延期はその影響だろう」との憶測も出ている。

 これまでも軍の各種演習は北朝鮮の顔色を窺いながら、中止・延期が繰り返されてきた。韓米3大合同演習のキーリゾルブ演習、フォールイーグル演習、ウルチフリーダムガーディアン演習など主要な軍事演習がいずれも中止、延期、規模縮小を余儀なくされた。そのため、韓国軍の基本的な態勢まで弱まり、「戦う軍」としての機能を喪失したとの声も出ている。

 韓国では先々週、前方師団で迫撃砲の射撃演習中に砲弾が予定着弾地から1キロ離れて着弾する誤射があった。また先述の北朝鮮軍の銃撃当時には、韓国軍のK-6重機関銃が故障していた。こうした綱紀の乱れが生じるのも、青瓦台北朝鮮に対する弱腰姿勢が韓国軍の戦闘意欲を削いでいるからである。

 そもそも、9・19軍事合意は南北双方が38度線沿いの偵察飛行するのを禁止することが主要な内容となっているが、そもそも38度線に軍事力を集中し脅威を与えているのは北朝鮮軍である。なのに、北朝鮮軍は航空燃料の不足からそれほど偵察飛行は行っていなかった。したがって、この合意により、安全保障体制を一方的に弱めるのは米韓軍なのである。それにも拘わらず、北朝鮮は韓国政府の優柔不断をいいことに挑発を繰り返している。

 本来、大統領にとって最大の責務は国の安全保障を図ることである。しかし、文政権は北朝鮮に歩み寄り協力することで、韓国の安全を確保できるというのか。北朝鮮はこれを利用するだけで、あわよくば韓国を抑え、根こそぎ奪ってしまおうと考えていることを忘れているのではないか。

 文在寅大統領は、米国との関係よりも中国との関係を重視しているように思えて仕方がない。しかし、中国は韓国を守ってはくれない。韓国を守ることができるのは米韓同盟だけである。その本質も理解しない文在寅氏は韓国をどのようにしようとしているのか。

 こうした文在寅氏の危険性の本質を理解せず、総選挙で与党に勝利を与えた韓国国民。文政権は総選挙での民意と称して北朝鮮に対する弱腰対応をますます推し進めている。このままいけば韓国の国防体制はどうなるのであろうか。

 総選挙文在寅の与党を選択したことを韓国国民が後悔する日が来ないことを切に祈るばかりである。

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5月18日、光州事件の政府式典に出席した文在寅大統領(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)