(岩田 太郎:在米ジャーナリスト)

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 南北軍事境界線付近でパラグライダー中に思わぬ事故に巻き込まれ、北朝鮮に不時着してしまった韓国の財閥令嬢が北朝鮮の堅物エリート軍人と出会い、やがて愛が芽生えるというアクション・ロマンスコメディの「愛の不時着」が世界的な話題になっている。よく作り込まれた作品であり、韓国内外の視聴者を感動させ、好評を博することは驚きに値しない。

 第13話で令嬢の尹世理(ユン・セリ)が、恋に落ちた朝鮮人民軍の中隊長である李正赫(リ・ジョンヒョク)大尉に対して、南北朝鮮の間の「悲しい歴史」を語るシーンがある。一方で作品中では、南北朝鮮の「渡れない国境を越える」「歴史を超える」「愛憎を超越する」というテーマが貫かれている。

 だが、それは本当に可能なのだろうか。南北朝鮮の憎しみ合いの歴史を振り返りながら考えてみたい。

北朝鮮が韓国の同胞にしてきたこと

 ジャーナリストの中島恵氏は、「愛の不時着」を評して、「突飛な設定でありながら、政治色を抜きにして、胸キュンしたり、笑えたりするところが楽しく、北朝鮮の人々の日常生活が詳細に描かれているというのも、従来はなかったこと」と手放しで絶賛する。

(以下の記述は「愛の不時着」のネタバレを含む。「愛の不時着」をこれから見ようという方はご注意いただきたい)

 確かに、主役の李大尉の仲間である表治秀(ピョ・チス)特務上士が空腹の中、韓国側の尋問を受ける際に「お腹は空いたか」と聞かれ、「大丈夫です。 お腹は空いていません」と答え、ウソ発見器の針が大きく振れるシーンは爆笑ものだし、胸を撃たれて遠のく意識の中で世理が李大尉との出会いを回想し、「100回時計を回しても、あなたに会い、あなたを知り、あなたを愛する。その危険で悲しい選択をすることを、私は知っていたの」と語るシーンは涙なしには見られない。

 一方で、南北朝鮮の歴史をサラリと流してしまう視点こそ、この作品の核心であると言えよう。「愛の不時着」に見られるように北朝鮮の人々に豊かな人間性があることと、国家としての北朝鮮が軍事境界線の南側の同胞に対してどのように振舞ってきたかは別問題である。その仕打ちの歴史に暴虐と差別の一貫性があるならば、なおさらだ。

数十万人の韓国人を人民裁判で処刑

 まず、1950年6月25日に一方的な韓国の侵略を開始した朝鮮人民軍は、戦いを「祖国解放戦争」と名付け、破竹の勢いで南鮮の大半を制圧してゆく。平壌放送は、「我々は、米帝国主義の傀儡である李承晩政権から、人民を解放する」と高らかに宣した。

 だが朝鮮人民軍は、占領した首都ソウルをはじめ各地で、地主、区長、警察署長や警察官、李承晩の反共御用団体である大韓民主青年同盟の団員、およびそれらの家族など「反動分子」「反共産主義者」や「非協力者」ら数十万人の同胞を、人民裁判によって即日処刑してゆく。

 また攻め込まれた李承晩も、民衆が自らを打倒するために立ち上がる南朝鮮労働党共産主義者だと怯え、再教育中の共産主義者を処分した「保導連盟事件」や、すでに進行中であった済州島虐殺の強化などを通して数十万人を処刑するなど、全土で地獄絵図が展開されたことは特筆される。

 朝鮮戦争では李承晩政権の攪乱に功績のあった南朝鮮労働党であるが、戦争前や戦時中に多くの同胞党員が脱南越北して北朝鮮に馳せ参じた。しかし休戦後の1953年には、韓国で警察幹部だった経験を持つ白亨福をはじめ、ソウル臨時人民委員長を務めた李承樺、北朝鮮文化宣伝省の趙一明副相、貿易省一般製品輸入商社社長の李康国、軍最高司令部総政治局部員の醇貞植、人民検閲委員会上級検閲員の趙鋪福、遊撃隊長の孟鍾鏑、朝ソ文化協会中央委員会副委員長の林和ら幹部党員は粛清の上、処刑された。

 1948年に脱南して北朝鮮に留まった南朝鮮労働党の指導者である朴憲永は、1950年4月の北朝鮮労働党南朝鮮労働党の合併で誕生した、現在の朝鮮労働党が成立する上で重要な役割を果たして北朝鮮に貢献した。だが、「米帝国主義の回し者、スパイ」とのあらぬ嫌疑をかけられ、1956年に死刑に処された。さらに、韓国から北朝鮮に渡った多数の南朝鮮労働党の同胞党員たちが、職場から追われ、自己批判を強要され、刑務所や強制収容所に送られ、そのあげく多くは殺害されていった。彼らの子孫は今も、北朝鮮で差別待遇を受けている。

韓国の民間人を拉致

 一方、朝鮮戦争時には当時の金日成首相の命令により、高度な技能を持つ人材や兵士の確保のために約10万人の韓国の民間人が北朝鮮に拉致され、休戦以降も大半が漁民である韓国人4000人近くが、拘束もしくは拉致されている。休戦後の拉致被害者のうち大半は韓国に戻されたが、若く特殊技能を持ち、北朝鮮の利益になるとみなされた抑留者約500名はいまだに祖国の土を踏めていない。

 1969年12月11日には大韓航空YS-11型機が北朝鮮諜報員とみられる趙昶煕によってハイジャックされて北東部元山に着陸、大半の乗客は解放されたものの、パイロット2名を含む乗員4人と映画製作者、カメラマン、出版関係者および薬学専門家の乗客7人の計11名の同胞は「自主的に亡命した」として拉致抑留された。さらに1970年代から80年代にかけて、欧州で多くの韓国人が消息を絶っており、現地で活動する北朝鮮工作員に拉致されたとされる。

 高名な韓国人女優の崔銀姫さんは1978年に香港に映画産業の関係者と会うため旅行した時、北朝鮮工作員に拉致された。元の夫である映画監督の申相玉氏は彼女を探しに香港に渡航し、自身も北朝鮮に拉致されている。彼らの才能で北朝鮮の映画の質を向上させるためであった(後に2人は脱走)。このように北朝鮮の拉致被害に遭っている韓国芸能界が、「愛の不時着」のような作品を製作するようになったことは、皮肉であるとしか言いようがない。

 また、北朝鮮による日本人拉致被害者である横田めぐみさん(55)の離婚前の夫の金英男氏は、自身も少年時代1978年北朝鮮によって韓国から拉致された。そのめぐみさんの父親である滋さんは、韓国人拉致被害者の家族団体「拉北者家族協議会」を代表していた崔祐英さんがめぐみさんと同じ世代であり、父親の崔宗錫氏を1987年北朝鮮に拉致されているという境遇の共通性から、崔祐英さんを娘のようにかわいがり、崔さんも滋さんを父親のように慕っている。だがその背景には、北朝鮮当局による南の同胞に対する人道を外れた行いの過去が横たわっているのだ。

テロや拉致、軍事攻撃を忘れる韓国人

 そのような蛮行は枚挙に暇がない。1968年1月には金正恩朝鮮労働党委員長の祖父である金日成が派遣した北朝鮮の武装ゲリラ31名が韓国に侵入、ソウル大統領官邸(青瓦台)襲撃未遂事件を起こし、民間人5名と警察官1名を射殺している。1974年8月には再び朴正熙大統領を狙った狙撃事件で、大統領夫人の陸英修女史を殺害した。

 金日成の息子である金正日が拉致およびテロの責任者として過激化路線を突き進む中、1983年10月のラングーン(ヤンゴン)爆弾テロ事件ではビルマミャンマー)訪問中の全斗煥大統領一行を狙って爆弾テロ事件を起こし、徐錫俊副首相や李範錫外相を含む閣僚ら21名を爆殺した。

 全大統領が帰国後に、「同族を殺害した金日成を打倒しよう」と演説するほど、金王朝の南鮮同胞に対する攻撃は度を越していた。しかし、爆破直後に閣僚らが口から血の泡を吹き出しながら死んでいるシーンを撮影した生々しい映像は、韓国民の北朝鮮に対する憤りがコントロールできないレベルに達しないよう、当時の韓国内では封印され、日本や欧米でのみ放映された。

 1987年11月には、同胞の乗員乗客115名が搭乗した大韓航空機をインド洋上で爆破、全員を死亡させている。乗客のほとんどは、中近東への出稼ぎから帰る一般人であった。空中分解による墜落であり、「愛の不時着」どころの話ではない。テロの目的は、1988年ソウル五輪開催の妨害であった。オリンピック開催という栄誉を南の同胞に独占させまいと嫉妬し、ホスト国である韓国に対する国際的な不安を煽ろうとしたのである。

 金王朝の南鮮同胞に対する暴力は金正恩の代になっても続いている。2009年9月には、北朝鮮が韓国への通告なしに軍事境界線に近い黄江ダムの放流を行ったため、臨津江の水位が急上昇、付近の漣川でキャンプをしていた韓国人6人が流されて死亡した。2010年11月に金正恩が指揮した北朝鮮軍の延坪島砲撃事件では、2名の韓国人島民と2名の韓国海兵隊員が死亡、他に16名の軍人、民間人3名が負傷した。

 それに先立つ2010年3月には、韓国海軍哨戒艦の「平安」が北朝鮮潜水艦による魚雷攻撃を受けて撃沈、46名の水兵の命が失われている。遺族は北朝鮮の責任追及を訴えたが、米海軍太平洋艦隊のパトリック・ウォルシュ元司令官は2017年に韓国紙「朝鮮日報」で、「全ての証拠が北朝鮮の仕業であると証明しているのに、多くの韓国人が『原因は別にある』と信じていたことに大きな衝撃を受けた」と語り、韓国人北朝鮮に対する警戒心の低さを指摘している。

 韓国人は、北朝鮮の一貫した同胞への暴虐の歴史を忘れているようである。こうした傾向が、韓国における「愛の不時着」の成功へとつながっていると言えよう。意図的な忘却の中、「愛の不時着」の大ヒットは必然であったと言える。

「歴史を忘れない」はずが・・・

 金大中元大統領(在任: 1998~2003年)の北朝鮮に対する融和的な「太陽政策」で39億ドルもの巨額の秘密資金が北朝鮮に提供され、金王朝の核開発の軍資金に使用されて以来、南北朝鮮は時には表面的にいがみ合いながらも、極東における中国の軍事的台頭を背景に、「日本への敵対」という共通項を軸にして和合の動きを加速させてきた。

 韓国の北朝鮮に対する20年来の物心両面における援助が、日本を脅威にさらす北朝鮮の核開発を支えたことだけではない。南北朝鮮の緊密な連携プレーが明確になっている慰安婦問題や竹島領有問題、韓国の戦略物資輸出管理問題、日本の排他的経済水域(EEZ)における北朝鮮の密漁や瀬取りを助ける韓国海洋警察および韓国海軍、韓国艦の自衛隊機に対するレーダー照射問題、韓国の対北制裁破りの疑い、駐韓米軍撤退問題などを念頭に作品を見直せば、「愛の不時着」の“面白さ”が増し、作品の意図の理解は何百倍にも深まることだろう。

 そうした中、文在寅大統領らが構想するとされる「核兵器で武装した統一朝鮮連邦が、中国の軍事力を背景に、日本と米国に対峙する」というシナリオは、米朝の雪解けによる在韓米軍撤退や米国による北朝鮮核武装容認への流れの中で、日々現実味を帯びるようになっている。

 この南北朝鮮の統一に向けた合作の最大の邪魔者こそ、金王朝の一貫した同胞への暴虐の歴史なのだ。韓国内外での視聴を念頭に入れて製作された「愛の不時着」はそうした史実を無効化し、国内的には南北和合の機運をさらに高め、対外的には南北統一への情緒的な国際的支持を取りつける役割を果たす歴史修正主義の装置として機能している。

 北朝鮮からの避難民の息子として生まれた文在寅大統領は、就任直後の2017年8月15日の「光復節」の場で演説し、「日韓関係の未来を重視するが、歴史問題に蓋をして進むことはできない」と明確にした上で、「歴史を失えば根を失う」と述べた。北朝鮮との和合に必須の反日の歴史は忘れないと宣言したわけだ。

 一方で、同じ演説で「朝鮮半島平和政策を通じた分断の克服こそ、光復を真に完成するもの」との認識を強調し、「今日の朝鮮半島の時代的召命は、言うまでもなく平和」「真の光復は、外勢によって分断された民族が一つとなる道を進むこと」だとした。

 意訳すれば、「北朝鮮による同胞への蛮行は忘れる」ということになる。金王朝3代にわたる韓国人殺戮の歴史を、対日歴史認識と同じく恨(ハン)の解釈で貫くのであれば、分断はいつまで経っても解消できないからだ。

 この一貫性のなさは、北朝鮮とは直接関係のない韓国内の歴史の解釈にも見られる。1980年5月に南西部の光州で韓国軍が民主化を求める同胞に発砲し、確認されただけで154人が死亡、3000人以上が負傷した光州事件から40周年となった記念式典で文大統領は「歴史を正しく記録する」必要性を訴えたが、北朝鮮が韓国の同胞に犯した無慈悲な行いの歴史を正しく記録せよ、とは決して言わない。

 韓国の歴史認識には恣意性があり、「愛の不時着」はその文脈で検証する必要がある。ここで、同作品のあり得ない設定を援用して、先の大戦中の東南アジア前線における日本兵と朝鮮人慰安婦の熱い、美化された恋の物語をコメディ交じりでネットフリックスが製作すればどうなるかを考えてみよう。「渡れない(内地と外地の見えない)国境を越える」「歴史を超える」「愛憎を超越する」というテーマにおいて、共通するものがある。もし「あり得ない」という抗議の嵐や、韓国内の歴史認識がそれを阻むのであれば、なぜ北朝鮮による敵対や血生臭い殺戮や拉致という現実が、「愛の不時着」で不自然に男女の愛情に昇華されているのかを分析する必要があるだろう。

歴史に学ばない者の運命

 ドイツの哲学者ヘーゲルは、「歴史から学ぶことができるただ一つのことは、人間は歴史から何も学ばないということだ」と看破した。文在寅大統領は、「歴史を忘れない」としながらも、そのつまみ食いを行っている。都合の良い歴史解釈は一時的に政権基盤の強化をもたらす。だが、それは北朝鮮に油断を突かれて失敗を重ねてきた韓国が、過去の教訓に学べなくなることをも意味する。

 文大統領が在韓米軍の撤退や南北連邦制の成立という「民族の偉業」を達成したとしても、無慈悲と暴虐のDNAを持ち、力関係で圧倒的な優位に立つ金王朝によって、南朝鮮労働党の指導者であった朴憲永のように粛清され、葬り去られるのがオチであろう。金正恩にとって文在寅は、飛んで火に入る夏の虫だ。

 文大統領に呼応して「愛の不時着」のような作品に酔いしれ、意図的に歴史を忘却する韓国民もまた、統一朝鮮において金王朝の暴虐に再び気付き、後悔することになろう。だが、その際にはすでに時遅しなのである。北朝鮮は周到な心理戦と準備で、韓国の国民が自ら金王朝の領導に飛び込んで来ることを、手ぐすねを引いて待っているからだ。

 韓国は、北朝鮮の核王朝体制の枠組みの中に「愛の不時着」を敢行しているが、大変に危険な賭けである。その背景には、南北朝鮮の統一機運を覇権的な「中国夢」で後押しする中国共産党の影がちらつく。

 統一後の朝鮮半島における国内情勢は、分派好きで事大の国民性によってかえって不安定化し、同族同士で殺し合う歴史が繰り返されるような気がしてならない。その時に、ロマコメ「愛の不時着」の罪深さが改めて認識されるであろう。

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