ダニエウ・アウべス 写真提供: Gettyimages

ユベントスは今夏の移籍市場における、最も重要なターゲットを定めた。バルセロナの23歳、ブラジル代表MFアルトゥールだ。

彼がビアンコネーリ(ユベントスの愛称)に移籍することによって、今まで中盤の要であったミラレム・ピャニッチはクラブを離れることになるかもしれない。しかし、アルトゥールは縦のプレーへのビジョンが一流で、サッリ監督の4-3-3の中で重要な存在になれる可能性が高いと言われている。

この取引がうまくいくかどうかを考えるのはまだ時期尚早かもしれない。ただ、その期待が高まっているのは事実だ。そこで今回は、これまでにバルセロナユベントスの間で実現した大物選手たちの移籍をご紹介する。


エドガー・ダービッツ 写真提供:Gettyimages

ダービッツ

ユベントスの歴史を描いたMF、エドガー・ダービッツ。1997年から2004年までビアンコネーリでプレーし、ユベントススタジアム設立の際に行われたアンケート調査では、「サポーターの印象に強く残った10選手」の1人に選ばれていた。

彼はユベントスプレーした7年間でセリエAを3回優勝している。1998年2003年にはチャンピオンズリーグの決勝までたどり着いたが、優勝を勝ち取ることはできなかった。レアル・マドリード、そして同じイタリアチームであるミランに勝つことができなかった。

ダービッツは2003/2004シーズンの冬の移籍市場で多くの怪我を理由にマルチェロ・リッピ監督の指示でマーケットに出され、バルセロナレンタル移籍を果たした。


ダービッツはスペインサッカーにすぐにフィットし、シーズン終了後に、バルセロナは彼を完全移籍させたがった。しかし、ダービッツはインテルへの移籍を選択。在籍期間は6ヶ月と短い時間だったが、ダービッツは現在でもバルセロナサポーターに愛されているという。


ジャンルカ・ザンブロッタ 写真提供: Gettyimages

ザンブロッタ

当時ウィンガーとしてプレーしていたジャンルカ・ザンブロッタ。1999年ユベントスに移籍し、リッピ監督の元で左サイドバックとして使われるようになった。そしてこのポジションで、彼はサッカー界で認められる一流選手となったのだ。

2003年バロンドールの候補選手にも選ばれたザンブロッタ。ただ、栄光に輝いたのはチームメイトパベル・ネドベドだった。また、2006年イタリア代表選手として大活躍を見せ、ワールドカップを優勝している。

世界一タイトルをとってから彼はバルセロナに移籍したが、ブラウグラナでは期待に応えられなかったのだ。当時監督だったフランクライカールトが彼を右サイドで使っていたことも原因の1つと言われている。


リリアン・テュラム 写真提供: Gettyimages

テュラム

パルマで大活躍を見せ、リリアン・テュラムはユベントスに移籍した。この流れは一見普通に見えるが、実はそうじゃない。

まず、テュラムは当時すでに29歳だった。若い選手を獲得し、育てるのがポリシーのビアンコネーリが30近い選手を獲得するのは珍しいケースだ。その上、彼の移籍金は4150万ユーロ(約57億6000万円)で、当時ユベントスにおける最高額の選手となった。

2006年にザンブロッタとともにバルセロナへ移籍し良い活躍を見せていたテュラム。ただ、継続的にプレーすることができなかった。当時のブラウグラナにはカルレス・プジョルラファエル・マルケスが所属していて、ライカールト監督はその2選手を好んで起用していた。

ダニエウ・アウベス 写真提供:Gettyimages

アウべス

43冠と、サッカーの歴史の中で最も多くタイトルを手に入れたダニエウ・アウべス。2008年から2016年までにバルセロナではラ・リーガ6回、コパ・デル・レイ4回、チャンピオンズリーグ(CL)3回、クラブワールドカップ3回を優勝するなど、素晴らしい8年間を過ごした。

その彼が2016年ユベントスに移籍すると報じられると、イタリア国内では大きな話題となった。ビアンコネーリでは大怪我もあったが、重要な存在であったことに変わりはない。セリエAではスクデット(セリエA優勝)とコッパ・イタリアタイトルを手に入れた上で33試合に出場し、6得点を挙げたのだ。


しかし、アウベスはたった1年で自らユベントスとの契約を解消し、パリサンジェルマンPSG)へ移籍した。移籍後初の記者会見では「ユベントスよりPSGの方が比べ物にならないぐらいしっかりしている。このクラブでCLを優勝したい」と攻撃的な言葉を残している。この発言によって彼はビアンコネーリのサポーターに嫌われることとなった。


写真提供:Gettyimages

イアゴ・ファルケ

サッカー界のアカデミーの中で、バルセロナの下部組織は最も多くの一流選手を生み出してきた育成機関の1つだ。イアゴ・ファルケもバルセロナの下部組織から羽ばたいた宝石の1つだ。彼は若い頃からユベントスに興味を示され、2008年スペインを離れてビアンコネーリのユースチームに移籍することとなった。

ファルケはチームを支える選手になるとみられていた。しかし、期待通りにならないのが世の常だ。2009年にはセリエAに昇格したばかりのバーリレンタルで移籍。そこで経験を積むはずだったが、トップクラブの試合には一度も出場することができなかった。その後、ビジャレアルのBチームにも貸し出され、ユベントスは彼との契約を更新しないことを決断した。

しかしイアゴ・ファルケは別のルートで多くのクラブが興味を持つほどの立派なプロ選手となったのだ。トッテナムに拾われると着実に経験を積み、2014年から現在までジェノアとトリノで大活躍を見せている。


ポル・ガルシア 写真提供: Gettyimages

ポル・ガルシア

忘れている人が多いかもしれないが、バルセロナユベントスの間で行われた取引の中にはもう一人の大物と呼べる選手がいる。ポル・ガルシアだ。2011年にラ・マシア(バルセロナアカデミー)からユベントスに渡ったが、期待に応えられなかった選手だ。

ユベントスのユースでは3年を過ごしたが、イタリアではプロの世界への入り口を見つけることができなかった。ビアンコネーリからコーモ、ビチェンツァ、クロトーネ、クレモネーゼなど2部、3部クラブへのレンタル移籍を繰り返し、最終的にはイタリアを去ることとなった。

2018年からベルギーリーグのシント=トロイデンに所属。冨安健洋遠藤航鎌田大地など、日本人トップ選手とともにプレーしている。