『現在はどこにあるか』(新潮社) 著者:吉本 隆明


「マス・イメージ論」以来、吉本隆明は粘り強く、いつも視線を広い領域に放ちながら、現代という、のっぺらぼうで得体の知れない社会を分析し、そこに法則を見付け、対応の論理を構築しようと努力してきた。その営為は奥深いところで、倫理への志向を持っているように私には思われた。

今度の著作『現在はどこにあるか』(新潮社刊)は、そうした著者の現代への姿勢の延長線上にある作品である(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1994年)。

これは一般論だけれども、秀れた批評というものは、一面で批評する対象を相対化する作用を持っていて、その相対化の後から、どんな構造・美学・あるいは感性が現れるかで、その批評の位層が決ると私は思っている。そうして、このように定った位層からの照射が、通念という殻を壊し、物事を現実の姿にして見せ、そのことによって読者を新しい世界へと導くのである。

「目を洗われる思い」とは、批評によって導かれたそのような認識の過程を言うのであろう。ただし、〝目が洗われた〟あとにどんな事物が見えてくるかについては、読む側の主体の問題でもあることを指摘しておいた方がいいかもしれない。

何故なら、この吉本の作品は現代社会解読のハウツウものではなく、読む者に主体的な対応を要求する著作なのだから。その意味で吉本の作品はつねに、解説という装いを持ちながら、際立ってポレミックな性格を持っているのである。

ここでは、まず現代の文学についての考察が、荻野アンナ・小川洋子・村上春樹などの作品に則して行われている。その考察は、「現在の文学は病気と健常のあいだの境界性の近傍に多様で多彩な世界を造形することはできるにちがいないが、生と死の境界性のあたりに触手をのばすことは、まだできない」という言葉で締め括られている。そうして、吉本の言うように病気と健常とのあわいは極めて圧縮された帯域なのである。続いて、「反現在の根拠」では古井由吉・丸山健二・村上龍の作品を取り上げ、「物語のゆらぎ」では、

どんな物語がいま切実なのかといえば、通俗化の限界までいってしまった〝善〟が、つぎつぎ限界のところで亡びてゆく物語だ。

と、本書の主題のひとつが提示される。

吉本は中上健次の「軽蔑」や大江健三郎の「僕が本当に若かった頃」「新しい人よ眼ざめよ」を参考にしながら、現代の我国の文学を代表するようなこうした作家たちにも、通俗化の影が忍びよる危険があることを指摘する。その原因は、もしかすると「切実さを禁じる力」としての強制力が広汎に働いていることに大きな原因があるのかもしれない。それなのにプラスの強制力が働いているかに装うところから通俗化の腐蝕作用がはじまるのであろうか。

こうした頽廃のメカニズムを解析し文学の後退に歯止めをかけるためには、マスカルチャーの実体を明らかにすることが必要であった。吉本隆明はかなり前からこうした目的を持って単騎独行の趣で大衆社会へと向ったのである。そのような意識に照して、彼はエンターテイナーの作品を読み、彼らがどんな魅力で大衆を捕えようとしているかを探る。彼はまた飜って、車谷長吉の「鹽壺の匙」「吃りの父が歌った軍歌」に新しい型の「私小説」の可能性を見る。それは「心境小説の清澄さへは行かないぞ」という作者の意志によって支えられなければならないのだが。

一度このような現代の文学の基底と諸相を解明すれば、その他の文学めいた作品の群、たとえば「性にまつわる公開性」を押えようとする力の作用が零(そういう存在はシミュレーションの中にしか存在しない)の人物をあえて登場させる、性と人間にまつわる古い古いお伽話を新しいと錯覚している作家たちの存在感の薄いことは明らかになる。

これはなにも小説だけにとどまらない。よく売れているエッセイも、自己撞着の見本のような多数のビジネス書も、大衆社会を作っている要素である。文学を取巻いているこれらの負の情況を突き破るためには、新しい知の力も必要なのだ。その一例として免疫学・遺伝学が紹介される。

読み進むにつれて、読者はいつのまにか彼と共に現代という薄明の時代を探訪していたことに気付く。その迷路としか言いようのない混迷の現代にあってアリアドネの糸にも比すべき脱出への導き手が、吉本隆明という詩的感性だったことが、終章に近く「詩の順序」のなかでさりげなく提示される。

【書き手】
辻井 喬
(1927-2013)詩人、作家。1955年に詩集『不確かな朝』を刊行、以来数多くの作品を発表。詩集に『異邦人』(室生犀星詩人賞)、『群青、わが黙示』(高見順賞)、『鷲がいて』(現代詩花椿賞、読売文学賞詩歌俳句賞)、『自伝詩のためのエスキース』(現代詩人賞)、『死について』など、小説に『いつもと同じ春』(平林たい子文学賞)、『虹の岬』(谷崎潤一郎賞)、『風の生涯』(芸術選奨文部科学大臣賞)、『父の肖像』(野間文芸賞)、評伝に『司馬遼太郎覚書』『私の松本清張タブーに挑んだ国民作家』、評論・エッセイ集に『新祖国論』、回顧録『叙情と闘争』などがある。英語をはじめ、フランス語ロシア語中国語韓国語アラビア語への翻訳作品もある。2006年に第62回恩賜賞・日本芸術院賞を受賞。2007年日本芸術院会員に選ばれる。2012年、皇居宮殿で行われる「歌会始の儀」にて召人(めしうど)を務め、同年文化功労者として顕彰される。日本ペンクラブ理事、日本文藝家協会副理事長、日本中国文化交流協会会長などを歴任。

【初出メディア
1994年12月

【書誌情報】

現在はどこにあるか

著者:吉本 隆明
出版社:新潮社
装丁:ハードカバー249ページ)
発売日:1994-12-01
ISBN-10:4103779020
ISBN-13:978-4103779025
現在はどこにあるか / 吉本 隆明
読者はいつのまにか吉本隆明と共に現代という薄明の時代を探訪していたことに気付く