踏切の東側の出入口です。こちらにはエレベーターがあってバリアフリーになっています。

踏切が閉まって上り電車が通ります。トップ画像はこの直後の写真です。弘明寺公園側に大きな駐輪場があります。広大な弘明寺公園は元々は弘明寺の土地でしたが、明治期の廃仏毀釈で公有地化され横浜市に譲渡されたものです。

踏切から浦賀方面。奥のトンネルが不思議な効果を出しています。

同じく踏切から反対の品川側。左は弘明寺坂の通りになります。

通りは下ってゆきます。こちら側には行きませんでした。

東側の駅前に古いビルがあります。日曜日なので店舗は閉まっているのでしょうか。

駅前の弘明寺坂を進みます。

右の駐車場は既にお寺サンのものの様です。お寺の屋根も見えます。

右曲がりの坂を下っていくと、右にお寺の入口があったので入ってみるとイキナリ鐘楼とお地蔵さんがありました。弘明寺さんです。この鐘は1798年(寛政10年)に造られた横浜市指定有形文化財です。

「七ツ石の由来」という立札。養老年間(717年-724年)インドの善無畏三蔵法師がこの地に石を埋めて結界を張り浄域としたということが書かれています。その後に行基が伽藍を造営したのが高野山真言宗の瑞應山蓮華院弘明寺です。三蔵法師というのは、一般的に西遊記に登場するので知られていますが、あの方は玄奘三蔵さん。三蔵法師は、固有名詞ではありません。仏教の三蔵(経蔵・律蔵・論蔵)に精通する僧侶を指す普通名詞です。

善無畏は知りませんでしたが、施無畏は観世音菩薩の別称。無畏(畏れないこと)を施すという意味で浅草の観音サマにも施無畏と大きく書かれています。学生時代に斎藤忍随先生に浅草寺前の蕎麦屋で昼酒を御馳走になっていた時、先生が「観音様が手のひらを見せている所作は施無畏を表しているのだよ」と教えられました。芦花公園の散歩中に亡くなられた忍随先生はギリシア哲学の専門家でした。

瑞應山弘明寺は、横浜市内では最も古いお寺。江戸時代から周辺は、弘明寺村と呼ばれていました。現在の寺有地は往時の2割程度だそうです。ちなみに弘明寺のご本尊は平安時代に造られたという木造十一面観音像です。国の重要文化財指定。

脇から入ったので階段を降りて来ました。京浜急行さんが奉納された身代地蔵。

六地蔵も置かれています。

最後に正面の仁王門を出ました。江戸時代の建立と言われています。

門前から少し離れて弘明寺全体を撮りました。山門の前は大きなパチンコ屋さんです。

山門の正面には「弘明寺商店街」のアーケードが(たぶん)横浜市営地下鉄弘明寺駅まで続いています。

商店街を探索しようか、迷いましたが、やめて次の駅に向かう事にしました。単純に人が多かったからです。人混みが得意ではないのです。

【駅ぶら03】京浜急行60 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)

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