日本の空港のなかで、陸地から離れた沖合にある海上空港はそう珍しくありません。実は世界初の海上空港も。その数はどれくらいあり、それぞれどういった背景があったのでしょうか。

世界初の海上空港を建設した日本

2020年現在の日本国内で、成田空港などのように内陸部にある空港や、羽田空港のように陸に隣接しているものではなく、陸から完全に離れた沖合にある海上空港は、そう珍しいものではなくなっています。

現在、日本の海上空港は5か所あります。一般的に海上空港は、周辺に住宅街がないことから騒音問題が軽減されます。このことで24時間運用など、陸にある空港より弾力的な対応をすることもでき、夜間の貨物便や国際線の便数を増やすことができるので、経済的なメリットも期待されます。特に島国で国土の狭い日本では、広い敷地を要する空港にとって土地の確保が容易ではないことも、海上空港が志向される理由です。

日本で初めてできた海上空港は、1975(昭和50)年に建設された長崎空港です。実は世界的に見ても、初めての本格的な海上空港といわれています。もともとは、大村湾に浮かぶ箕島(みしま)という13世帯66人が暮らす小さな島で、同島をベースに、まわりの海を埋め立てて建設されました。

ただ、このとき長崎空港が建設された理由は、先述の事情とは多少異なります。それ以前のこの地域では、対岸にある旧大村空港(現、海上自衛隊大村航空基地)で旅客便が運航されており、そうしたなか、1960年代後半から航空需要が大きく伸び始めました。より輸送能力の大きいジェット旅客機が必要とされるなか、これを就航させるためには、設備が整った空港を新たに造るのがもっとも効率的で、長崎空港の場所はこれに適したためといわれています。

そして、長崎空港の運用開始からしばらくたち、平成に入ると、海上空港がさまざまな場所にでき始めます。

平成の海上空港建設ラッシュ できたのはどこ?

2番目に造られた日本の海上空港は、1994(平成6)年に建設された関西空港です。当時世界の国際空港では一般的になりつつあった24時間運用を、日本で取り入れた初めての空港で、世界初という100%人工島の海上空港でもあります。もともとは兵庫県大阪府にまたがる市街地にあった伊丹空港のキャパシティがいっぱいになりつつあった一方で、ジェット旅客機による騒音問題や、拡張のための用地取得が難しかったことから大阪府の泉州沖に造られたものです。

そして2005(平成17)年には、愛知県知多半島沖に中部空港が建設されます。これ以前に中部地域の玄関口であった名古屋空港(現、県営名古屋飛行場)も、先述の伊丹空港とほぼ同じような状態となっていたこともあったことから、2005年に開催された愛知万博の直前に運用開始となりました。

そして2006(平成18)年には、ふたつの海上空港がオープンします。2月には神戸市の沖合に神戸空港が、3月には北九州空港が移設し、海上空港として北九州市と苅田町の沖合に、新たに生まれ変わりました。移設前の北九州空港の滑走路は1600mしかなく、山と干潟に囲まれていることからこれを延伸するのは困難だったことが、現在の位置に設置されたおもな背景です。

なお、関西空港神戸空港が設置される背景となった伊丹空港、ならびに中部空港設置の背景となった名古屋飛行場は、いまだに健在です。

伊丹空港は2020年現在、運用時間帯や同空港を発着する飛行機のエンジン数を制限しながらも国内線専用の基幹空港として、また名古屋飛行場は静岡に拠点を構える地域航空会社FDA(フジドリームエアライン)の、ビジネスジェットの拠点として使われています。

多様な航空会社が見られる関西空港(2019年、乗りものニュース編集部撮影)。