(岩田 太郎:在米ジャーナリスト)

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 米中西部ミネソタ州のミネアポリス市で5月25日、白人警官のデレク・ショービン容疑者(44)が、偽造の20ドル札(約2200円)使用の疑いで、2児の父親である黒人男性ジョージ・フロイド氏(享年46)を拘束した。その際に、フロイド氏は約9分間にわたり首を膝で地面に押さえつけられ、死亡した。彼は、首を圧迫される中で、「お巡りさん、息ができない」と訴えている。

 この様子を記録した動画がネット上に拡散したことで同市をはじめ全米各地では憤った黒人を中心に抗議の蜂起が発生し、一部では放火や略奪などが続いている。これにあわてた地元捜査当局は5月29日になってやっと、免職となったショービン容疑者を逮捕した。地元ヘネピン郡のフリーマン検事は、「捜査は通常9カ月から1年かかるため、今回の逮捕は異例の速さである」と強調した。しかし、怒りのデモは収まっていない。

 なぜなら、動画が公開された当初から、ショービン容疑者が丸腰で無抵抗のフロイド氏に対する殺人を意図したことは誰の目にも明らかであり、米保守派サイトの「ナショナル・レビュー」でさえ、「制圧の理由はフロイド氏の逃亡の恐れでも抵抗でもなかった。ただ殺すために首を圧迫した警官の逮捕に、なぜここまで時間がかかったのか」とする記事を掲載している。

 フロイド氏が死の前に残した言葉「息ができない」は、米国黒人にとってあまりにも身近で切実な訴えだ。6人の子供の父親で、丸腰のエリックガーナー氏(享年43)は2014年7月17日に、白人警官ダニエル・パンタレオ氏(事件当時29)らに脱税たばこの販売を疑われ、その事実がなかったにもかかわらず締め上げられ、死亡した。ガーナー氏もまた、「息ができない、息ができない、息ができない」と繰り返し訴えている動画が残されている(次ページの写真)。

 これら2人の黒人男性の「息ができない」という叫びは、実際に首を絞められていなくても、多くの黒人が日常で感じ、体験する法制度や国のあり方の隠喩である。フロイド氏やガーナー氏に対する扱いに抗議する全米の黒人たちが、「息ができない」というプラカードを掲げていることからも、それがわかる。息ができない国や制度の下で暮らすとは、どういう体験なのか。その意味と背景を探ってみよう。

警察と一心同体の検察

 今回フロイド氏を死亡させたショービン容疑者には、「人命の尊さに著しく無頓着な心理状態で、意図せずに犯した第3級殺人(depraved heart murder)」の容疑がかけられており、有罪となれば最大25年の懲役刑だ。だが、おそらく、不起訴になるだろう。上手くいっても、犯罪を意味しない殺人(homicide)の罪にしか問われないだろう。

 なぜなら、有罪に持ち込むためには、「容疑者の頭の中に入って調べなければ証明できない」レベルの壁があり、過去の警察官の丸腰黒人に対する殺人のほとんど全てが不起訴に終わってきたからだ。

 事実、2014年7月にガーナー氏をして「息ができない」と言わしめ、彼を死に追いやった白人のパンタレオ氏は、同年12月に不起訴処分となった。また、米司法省は2019年7月に、連邦レベルでもパンタレオ氏を起訴しないことを発表している。

 加えて、ショービン容疑者は懲役最大40年の、「計画性はないが興奮状態で意図的に犯した第2級殺人(intentional murder that lacks premeditation)」や、終身刑の「計画性のある第1級殺人(premediated murder)」には相当しないと判断されている。この訴因決定の時点で、すでに「殺人不起訴」あるいは「殺人無罪」という結末のカタチは決したようなものだ。

 一般的に、捜査組織である警察と、警察から送られた案件を裁判所に送るか否かを決定する検察は、「互いに独立した存在である」との神話がある。だが実際には、警察の調書や仕事に強く依存する検察は警察に頭が上がらず、特に警察官の犯罪は容易には訴追しない。別組織とはいえ、同じ州政府や自治体内の「身内」であるからだ。癒着しており、「ズブズブの関係」と言ってもよいだろう。

 検察だけではない。一般市民から選ばれた陪審員で構成され、検察の起訴・不起訴の判断の可否を審理する大陪審も、検察の決定を覆すことはほとんどせず、「法の手続き」の正統性の仮面を与えるための形骸化した機関になっている。そのため、ここでも警官は守られている。米国では権力分立は画餅に過ぎない。

検視官も警察の身内

 たとえば、ミズーリ州ファーガソンで2014年8月、丸腰の黒人青年マイケルブラウン君(享年18)を射殺した白人警察官ダレン・ウイルソン氏(事件当時28)は、「ブラウン君がこちらに向かって突進してきて恐怖を覚えた」との証言のみで検察によって不起訴とされた。「証拠を徹底的に吟味した結果、犯罪があったとして起訴する理由が見当たらない」というのだ。

 さらに、「ブラウン君が手を挙げて(無抵抗であったにもかかわらず)撃たれた」との証言を行った証人たちには、些細な内容の矛盾でも犯罪者の取り調べのような詰問と追及が裁判所で行われる一方、ウィルソン氏に対しては、「身の危険を感じたのですね」と女性検事が優しく尋ね、「だから、射殺しなければならなかったのですね」と続けるなど、容疑者を起訴・有罪に持ち込む立場であるはずの検事が、容疑者の無実を立証する役目を演じていた。

 同州セントルイス郡大陪審は2017年11月に検察の不起訴判断を追認し、殺人罪での起訴を見送った。事件の本質は、「なぜ警察に、市民(特に黒人)を簡単に殺傷する権限が与えられているか」であるが、裁判の枠組みにおいて、それは大陪審が扱う問題ではない。

 争点が警察官の殺人の意図という、あまりにも証明が困難な一点に狭く設定されているため、大陪審を構成する市民が「起訴相当だ」と感じても、不起訴以外の評決を導き出せない仕組みなのだ。

 今回のミネソタ州におけるショービン容疑者によるフロイド氏の殺人容疑に関しても、同州大陪審が起訴処分を覆す可能性がある。検視で「窒息が認められなかった」との結果が出ているからだ。「元来フロイド氏が抱えていた心疾患や拘束当時の飲酒のため、首を圧迫されたことが死に至る心臓発作につながっただけであり、殺人ではない」などの説が主張されよう。検視官もまた、同じ州政府や自治体のお仲間であり、警察に不利な検視結果は出にくい。

 一方、遺族側が依頼した第三者機関による独立した検視の結果、「フロイド氏には既往症がなく、それが死因となることは考えられない。頸部が圧迫されたことで脳に血流が回らず、同時に息もできなくなって窒息死に至ったものと認められる」との所見が得られた。遺族は、ショービン容疑者が計画的にフロイド氏を殺した第1級殺人であると主張しているが、残念ながらその言い分が認められるとは考えにくい。

 このケースの起訴に関しては、自身が黒人であるキース・エリソン州司法長官が担当することになっているが、最終的な結果が大きく変わることはない。警察は身内であるからだ。ショービン容疑者が万が一起訴されても第1級殺人はあり得ず、よくて第3級殺人、実際には「犯罪ではない殺人」が訴因となろう。だがその訴因についても、裁判所は無罪とする可能性が高いのである。

「スーパー推定無罪」を保証する裁判所

 米国では三権分立の原則により、「司法は政府の他の部門から独立している」という、もうひとつの神話がある。だが、現実の世界では裁判所がほぼ必ず、警察官の犯罪を推定無罪として扱う。警官の犯罪が公務執行中に起こったのであれば、なおさらだ。裁判所もまた、その業務の中で警察の調書や証言に強く依存しており、「お仲間」であるからだ。

 たとえば、2011年12月に麻薬取引の疑いによるカーチェイスの末、丸腰黒人のアンソニー・スミス氏(享年24)を射殺して殺人罪に問われたミズーリセントルイス市警の白人元巡査のジェイソン・ストックリー氏(事件当時31)が、2017年9月にセントルイス巡回裁判所の白人判事のティモシー・ウィルソン氏(判決当時69)によって無罪とされた。

 ストックリー元巡査は、「あの車を運転している野郎(スミス氏)を殺してやる」と警察無線で発言し、その録音も残っている。さらに、実際には拳銃を所持していなかったスミス氏が「撃ってくるかもしれない恐れがあった」と言い訳をするための「証拠」としてスミス氏の車に拳銃を置くという、警察にあるまじき証拠捏造を行ったことも明らかになった。それにもかかわらず、白人判事が「殺人罪に問える十分な証拠がない」としたのだ。

 また2015年4月に、メリーランドボルティモア市で黒人男性フレディー・グレイ氏(享年25)が刃物の不法所持の疑いで逮捕された際、警官が護送車をロデオのように乱暴に運転し、グレイ氏が脊髄を損傷して1週間後に死亡した事件で第2級暴行罪や過失致死などの罪に問われて起訴された警察官たちは、裁判で無罪となった。

 内部監視カメラが都合よく「故障」した護送車の中で、「グレイ氏が自分の頭を車内の壁に打ち付け、自傷行為で自らの脊椎を切断した不幸な事故だった」という荒唐無稽な作り話が認められたのである。

 これら無法警官たちが当初起訴された際、多くの黒人市民は歓声を上げ、歌い踊りながら行進した。警官が起訴されるのは稀なことであるからだ。しかし、司法に対する公正な裁きの期待は必ず裏切られる。裁判所は「警察が秩序と平和を守る公務中の法執行行為」についてスーパー推定無罪を適用するため、黒人を殺した警官を有罪に持ち込むことは不可能に近い

 こうした中、無所属の元共和党員で、ミシガン州選出のジャスティン・アマシュ米下院議員が、警察官に対する民事訴訟を可能にする「資格による免責を終わらせる法案」を提出すると報じられている。だが、民主党共和党の双方から大反対が出て、日の目を見ないだろう。議員たちは、選挙で警察労組の支援を当てにしているからだ。また、このような中途半端な法案ではなく、刑事および民事の両方における免責そのものを取り上げなければ、警察には何も恐れるものなどないのである。

 事実、黒人の命は、犬のそれよりも軽い。黒人を殺しても、公務中の警官であればほぼ必ず無罪なのに、米ペンシルバニア州では2014年に警察犬殺害に対する最高懲役刑が7年から10年に延長されている。

憲法による暴力と殺人の肯定

 米連邦最高裁判所1985年、丸腰の黒人少年エドワードガーナー君(享年15)がテネシー州で強盗犯と誤認され、警察官に射殺された事件の判決で、「容疑者が死や重大な傷害をもたらすと信じるに足る相当な理由がある場合、射殺は合憲」とした。これ以降、警察官は「殺されると思った」とさえ証言すれば、容疑者が丸腰でも殺害が合法とされることになったのである。

 こうして、米国の警察はどのように悪意のある行為でも、ほぼ例外なく無罪にしてもらえる「スーパー推定無罪」の絶対的な特権を、憲法解釈の最高権威である米最高裁から与えられている。「法の支配」を守るはずの執行機関は、憲法そのものによって、法の制約を受けない神のような生殺与奪権を握る。だからこそ、命令に従わない者は有無を言わせず射殺してよい、絞め殺してよい、という運用になる。

 米国においては、憲法レベルで法執行機関による丸腰黒人の殺人が合法化されているのだから、不正義は直しようがない。米国の制度は、その見かけ上は平等で無色透明な装いの下に、「制度は正しい理念で運用されており、人種差別はあり得ない」という、誤った前提の下に組み立てられているからだ。

 理論上の制度は確かに、「無色透明」「平等」である。だが裁判所は、「制度は平等の理論に基づいているのだから、運用も自動的に平等になるはずだ」との論理の飛躍を用いて、現実を否定してしまうのである。さらに、その前提や論理のトリックの検証を、「争点の絞り込み」により阻むため、制度そのものに対する訴えが不可能になる。

 このように「平等」の概念は、迫害される黒人ではなく、加害を行う白人を保護する装置として機能する。米国の制度は運用上において、白人による黒人の抑圧と弾圧を奨励する仕掛けを最初から含んでいるのだ

 そのため、黒人が憲法や法の支配に信を置くほど、彼らは息ができなくなる。建国以前から白人の黒人に対する暴力と迫害には一貫性があり、米国史のどの断面を切り取っても、決して途切れたことはない。今日においては、警察がその役割を合憲的に果たしているのである。

 建国時に編まれた憲法では奴隷制が合憲であり、第1条第2節第3項(通称5分の3条項)において黒人奴隷は、州の下院議員の定員に関する人口基準および直接税の課税基準において、1人の人間以下である5分の3人と数えるとされた。

 これらの明文化された規定は廃止されたものの、運用上においては「黒人は人間として扱わない」建国の精神が脈々と受け継がれている。そこには、制度の設計者と現在の運用者の強固な政治的意志が込められている。

 白人の絶対優位は、それを明文で憲法や法に規定せずとも、国の制度設計や運用に無色透明な形で深く組み込まれている。だから、司法においてフロイド氏の殺害は、「歴史的な白人の黒人に対する加害」という問題の本質ではなく、「法の下の平等の遵守問題」に矮小化されるであろう。「平等」の理念こそが、加害白人の無処罰を可能にするという、倒錯だ。

デモの嵐でも変わらない法制度

 ショービン容疑者の不起訴あるいは無罪判決で、再び全米にデモの嵐が吹き荒れるだろうが、法制度は何も変わらない。過去の「実績」に見られるように、民主党共和党も本質は白人の利益の党であり、変化を起こす政治的意思も動機も持たない。政治も司法も、茶番である。

 この先、いつものパターンによって黒人の蜂起はいずれ収束し、代わって問題のすり替えが進行してゆこう。すなわち、抗議の意を示す黒人スポーツ選手の国歌演奏時の不起立の是非や、公共の場に設置された白人至上主義者の銅像撤去など、表面的に象徴化された議論で、法の「無色透明」「平等」による加害という根源的な問題が見えなくなってゆく。

 フロイド氏やガーナー氏が死に際して発した「息ができない」という言葉は、制度の運用に隠された「白人は推定無罪、黒人は推定有罪」という米国のDNAを喩えるものなのである。

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米ミシガン州デトロイトで、ミネアポリスの警察がジョージ・フロイド氏を拘束して死亡させた事件に抗議するデモ隊(2020年6月1日、写真:ロイター/アフロ)