(政策コンサルタント:原 英史)

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 検察庁法改正を巡る騒動は、賭け麻雀問題でさらに混迷を深め、次期国会以降での仕切り直しが確定的だ。

 この騒動を巡っては、基本構図や背景を全く理解していない報道や言説が多々みられた。法案の主たる内容は公務員の定年引上げで、これを実現したいのは与党以上に、労組に支えられる野党なのだが、そんなことさえ当初はほとんど認識されていなかった(これは5月12日の以下論考で書いたとおり)。その後、政府が法案成立を断念すると、立憲民主党などが慌てて定年引上げの実現を求め、現実に明らかになったとおりだ。

(参考記事)https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/60496

内閣人事局の問題と関わる検察庁法改正

 検察人事も公務員制度も、一般の人からは縁遠い。だから、見当はずれな議論もなされやすい。一連の騒動を総括するため、ジャーナリストの須田慎一郎さんとネット番組で対談を行った。

https://www.youtube.com/watch?v=o_LRAVueNaE&t

 私は2000年代後半、行革大臣補佐官などを務め公務員制度改革を担当していた。当時の公務員制度改革は、実は今回の法案の起点だ。須田さんとはその当時、取材する側とされる側の立場で出会った。ネット番組やテレビではおちゃめな姿もみせる須田さんだが、ジャーナリストとしての取材は鋭い。さまざまな情報源から独自情報をつかみ、急所をついて説明を求めてくる。さんざん取材に応じたら、記事でばっさりと的確な批判を受けたこともあった。取材される側としては手ごわい相手だった。

 今回の対談ではいきなり、「内閣人事局との関係」はどうなっているのかと突っ込んできた。これは、さすが須田さんだ。気づく人はほぼいないが、実は問題の本質だ。

 対談の中では、当時の記憶が蘇って、つい細かいことまで話し過ぎた。一方で、須田さんが相手なので、つい基本の説明をすっ飛ばしてしまうこともあった。このため、動画をみた複数の方から「はじめて聞く話が多く有益だったが、いかんせん長過ぎ」、「説明不足で理解しきれない」などの苦言をいただいた。

 そこで、誤解されがちな基礎知識に絞って、改めて整理しておきたい。もちろん「内閣人事局との関係」にも触れる。

1、「内閣人事局」は与野党合意から生まれた

 結論から先にいうと、今回の検察庁法改正を巡る混乱は、公務員制度改革の遅れに起因した。ここを理解して対処しない限り、法案を何度先送りしても本質的な解決にはならない。

 そもそも公務員制度改革が本格的にスタートしたのは、橋本龍太郎内閣のときだ。その後、進んだり下火になったりを繰り返し、全体像がようやく固まったのが2008年に成立した「国家公務員制度改革基本法」だ。当時はねじれ国会で、与党だけでは法案が成立しない。修正協議を経て、自民・公明・民主の3党合意で成立した。当時の与野党関係者(自民では林芳正議員、民主では当時の松井孝治議員ら)が、「どの党が政権をとっても機能する官僚機構が必要」との認識を共有していたことも大きかった。

 基本法では、進めるべき改革項目とスケジュールを定めている。その中で、真っ先にやる項目として定められたのが「内閣人事局」(1年以内に設立)だ。最近では諸悪の根源かのごとく野党から批判される「内閣人事局」だが、当初は与野党の合意。それどころか、名称も組織イメージも、民主党の提案を大幅に受け入れたものだった(政府・与党提案では名称は「内閣人事庁」)。

 だが、2009年に設立されるはずだった「内閣人事局」は、その後なかなか設立されない。結局設立されたのは、二度の政権交代を経て2014年のことだった。

 そして、「内閣人事局」はようやくできたが、肝心な制度改革はその後もさっぱり進まない。基本法によれば、「能力実績主義の徹底」、「外部人材の登用」などが5年以内に実現しているはずだった。しかし、霞が関の現実をみれば、今も年功序列や各省縦割り、内輪にしか通じない特異なルール(事務系と技術系の無意味な差別など)にとらわれ、と閉鎖的な人事が色濃く残ったままだ。

 内閣人事局がいかに仕事をしていなかったかを端的に示すのが、人事評価の放っぽらかしだ。能力実績主義の基礎は人事評価だ。霞が関では従来、いちおう形だけ5段階の人事評価をしているものの、下2段階はほぼつけず、あまり差をつけずに「みんな標準以上に頑張っています」とする習わしがあった。当たり前だが、それでは能力実績主義にならない。人事評価の改善が内閣人事局の最重要任務のひとつのはずだった。ところが、今年5月、渡辺喜美議員(基本法制定時の行革担当大臣)が国会で改善状況を質問すると、答弁は「2013年以降、評価分布は把握していない」。改善どころか現状把握すらしていない、サボタージュ状態が続いている。

2、「官僚の忖度」は内閣人事局のサボタージュに起因

 今回の検察庁法改正では、「政治の人事介入」が大問題になった。これは、ここ数年の「内閣人事局」批判の延長ともいえる。「内閣人事局ができてから、役人はみな官邸に忖度している」といった批判はここ数年続いてきた。

 検察の話はいったん脇において、まずこれを振り返っておこう。そもそも、検察に限らず、霞が関の役所の人事は、制度と実態が乖離していた。制度上は、人事権は内閣や各大臣にある。だが現実には、「役人の人事は役人の聖域。政治は介入しない」が伝統的な不文律だった。つい最近まで、大臣が次官・局長人事に口を出せば、「異例の人事介入」として大騒ぎになったものだ。

 結果として何が起きたかというと、「官僚主導」だ。人事を握っていなければ、組織は掌握できない。総理や大臣が方針を示しても、役人は「あれは大臣が勝手に言っているだけ」と相手にせず、役所の既定方針どおりに政策を進めるのがごく当たり前だった。

 それでも、官僚主導で機能していた時代はよかった。安定的な右肩上がりの成長期には、官僚主導の積み上げ方式がよく機能した。しかし、90年代に入ってバブル崩壊から混迷期に突入し、政策の大転換を求められる時代になると、機能不全が露呈した。これが橋本内閣で公務員制度改革がスタートした所以だ。

 それ以来の検討を経て、基本法では、人事権は本来の制度どおり、内閣や大臣が行使することを基本に据えた。ただ、大臣が実績を欠く“お友達”を引っ張り上げて「今日から局長」なんてことが安易に起きては困る。そこで、幹部人事の仕組みを以下のように設計した。

・内閣人事局が、能力実績主義に基づき、幹部の適性審査を行い、候補者名簿を作成し、

・その名簿の中から、大臣が総理・官房長官と協議して任命する。

 つまり、大臣たちは、人事権を行使できるが、あくまで能力実績主義に基づく適性審査を通った範囲内。内閣人事局は、「政治の人事介入」の推進機関ではなく、逆にその暴走を抑える制御装置として設計したものだった。

 もちろん、制御装置を設けてもなお、おかしな人事の横行、過剰な忖度などは生じ得る。その議論は基本法制定時にもあった。しかし、これは最後は、民主主義プロセスで解決される。おかしな総理や大臣は選挙で厳しい審判を受ける。少なくとも、官僚機構をコントロール不能の聖域にして問題が生じるより、内閣のコントロール下において問題が生じるほうが健全、というのが設計思想だった。

 ところが、運用段階で、想定外のことが起きる。すでに述べたとおり、内閣人事局が能力実績主義の徹底に取り組まなかったことだ。制御装置が機能していない状態だから、着実に実績を上げるよりも、政権に阿ることに力を注ぐ官僚も生まれやすい。これが「官僚の忖度」が過剰に生じている本当の理由だ。

 だから、「官僚の忖度」を問題にするならば、「内閣人事局を廃止せよ」ではなく、「内閣人事局はちゃんと仕事せよ」と主張しないといけない。そして、その裏側にある、昔ながらの人事システムを守りたい官僚機構と、ときどき政治介入できるようにしておきたい政権(実際に政治介入がなされるのは、ごく限られたポスト)との微妙な利害合致の成立にも切り込まないといけない。ここは、野党もマスコミも、完全に誤解しているところだ。

3、検察庁の幹部人事制度は積み残し課題だった

 以上を前提に、検察庁法改正をみてみよう。まず、当初は「今回の特例延長規定で政治介入が可能になる。とんでもないことだ」といった報道が大半だった。スターリン下の「政治検察」の再来といった報道まであった。これまでも指摘してきたが、これは大間違いだ。もともと検事総長らの人事権は内閣にある。今回の法改正でとんでもないことが新たに生じるわけではない。

http://agora-web.jp/archives/2046107.html

 制度上は内閣に人事権があるが、現実は「人事に口を出さない」の不文律。この乖離は、検察庁でも同様だった。ただ、検察庁の場合、ほかの官庁と大きく異なる点がある。ときに政権の疑惑にも切り込む立場であり、政権からの独立性が求められることだ。

 このため、基本法に基づく幹部人事の制度設計では、検察庁は対象外とした。ほかの官庁と同列に扱えないからだ。結果として、検察庁に関しては今も、制度と現実の不明朗な乖離が残ったままになっている。本来、検察官の特性を踏まえて独自の幹部人事制度が検討されるべきだが、まだなされていない。その中で、今回の騒動で問題が表面化したわけだ。

 定年の特例延長規定は、政治の人事介入の機会・程度を少し増やすかもしれないが、所詮それぐらいの問題だ。本質的な問題は、検察の独立性を確保し、一方で聖域化の問題を防ぐため、人事権の行使の仕組みを具体的にどう設計するか。どういう制御装置を設け、手続きを定めるのか。せっかく検討時間ができたのだから、制度設計の議論を十分に行ったらいい。伝統的な不文律に頼るあやうさは、検察庁自身も、また「政治検察」の危険性を訴えたマスコミや野党もたぶん、十分に認識したはずだ。

4、定年引上げはポストコロナの設計が必要

 最後に、定年引上げの論点は以下でも整理しているが、改めて触れておこう。

https://johokensho.hatenablog.com/entry/2020/05/18/150725

 60→65歳への定年引上げは、基本法制定時から民主党側が求めてきた課題だった。修正協議を経た基本法では、能力実績主義徹底などより一段格下の「検討」項目として定められた。

 年金受給年齢の引上げが先行し、人生百年時代も到来する中で、対応すべき課題であることは言うまでもない。ただ、今回の一連の騒動の中では、「民間でも65歳定年になっているのだから、公務員の定年引上げは当然。これには誰も反対しない」といった報道や言説がみられた。これは間違いだ。民間企業では多くの場合、いったん退職して契約を結びなおす「再雇用」が一般的。65歳定年は、人事院調査によればまだ20%程度の企業でしか導入されていない。公務員の場合、国でも地方でも、再雇用に相当する「再任用」はすでに導入済みだ。

 今回の法改正は、民間に先行し、国家公務員地方公務員の定年を引き上げようというものだ(地方公務員の定年は国に準じて条例で定められることになっている)。そういうと今度は「公務員優遇だ」と批判する人もいるが、これまた短絡的だ。かつて60歳定年の導入の際も、民間に先行して公務員で制度化がなされた。公務員で先行し、民間にも広げようとすること自体は、決して異例な話ではない。

 問題は2つある。第一に、特に国家公務員につき、能力実績主義の徹底などを放置したまま、定年引上げ(60歳時点の給与水準の7割保障)を先行しようとしていること。これは順序を入れ替えなければいけない。年功序列で給与が上がり続け、その後も保障されることになりかねない。

 第二に、今回の制度設計が、コロナ以前のほぼ完全雇用・人手不足社会を前提になされていること。コロナで状況は大きく変わり、ほぼ完全雇用の社会は当面戻りそうにない。若者の雇用を奪わず、組織の活力低下を招かないための制度設計の見直しが必要だ。人生百年時代に向けた「働き方改革」の一環で、公務員で先行し、民間にも広げようとするのであれば、なおさらだ。

 これも、せっかく検討時間ができたのだから、ポストコロナ仕様の制度設計を練り直すべきだ。

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