1989年に16年ぶりに復活し、1990年からグループAレースを全勝という形で席巻したR32 GT-RGT-RグループAレースのために作られたというのは言うまでも無いことだが、それよりも前にグループAのために作られたスペシャルモデルが存在した。それがスカイラインGTS-Rだ。

 1985年から日本で始まったグループAレース。日産はその時点で投入可能だったR30スカイラインで参戦していたが、BMW635CSiボルボ240Tといった外車勢を始め、スタリオンやさらにはシビックを相手に苦戦を強いられていた。

 その後、R32でGT-Rを復活させ、グループAに参戦することが決定したが、GT-R投入までの間を埋めるモデルとして投入されたのがR31 GTS-Rだ。

 エンジンは元のGTS同様DOHC 6気筒ターボRB20DETをベースとするが、サイズアップしたタービンを用意。さらに等長ステンレスエキゾーストマニホールド、大容量インタークーラーを装着し、ノーマルの190psに対し210psを発揮。エンジン名もRB20DET-Rと改められた。

エンジンルームで鈍く輝くステンマニこそGTS-Rの証。ただタービンサイズが大きく、街中では扱いづらかったようだ。

 ボディカラーは専用のブルーブラック。エアロパーツが装着できないグループA規定に合わせ、フロントには元のGTSが格納式としていたフロントスポイラーを固定。さらにリヤには大型スポイラーが装着された。

 余談だが、今となっては何の変哲も無いこのGTS-Rのリヤスポイラー。当時はエアロパーツの装着が違法とされており、GTS-Rのリヤスポイラーを見た警察に止められて、これは純正品だと説明する事態も少なくなかったとか。

今にしてみれば何の変哲も無いリヤスポだが、当時はこれでも大胆な大型エアロだった。

 一方室内に目を移せば、当時日産のスポーツモデルが好んで使っていたジャージ素材のスポーツシートを装備し、ステアリングはイタルボランテ製に交換されていた。

タルボランテはこの頃日産の特別仕様車によく使われていた。

 このようにR31スカイラインの「エボリューションモデル」として生まれたGTS-Rは、車両価格340万円の800台限定として1987年8月に販売。その年の11月に行われたINTER TECで早くも実戦デビューを果たした。

 グループAでの活躍が期待されたGTS-Rは、フォード・シエラRS相手に苦戦しつつも、1989年にはチャンピオンを獲得。翌90年からのGT-R復活に向けて最良の橋渡しをすることになる。ちなみにグループAの舞台はGT-Rに譲ったGTS-Rだが、その後もJSSやJGTCのGT2(現在のGT300クラス)でチャンピオンを獲得するなど、意外に息の長い活躍を見せたのだった。

RB20DET-RはグループA仕様では約450psを発揮。しかしそれでもシエラRSにはストレートで離された。パワーバンドは約2000rpmほどとピーキーな特性だったとか。