人に期待をすると疲れます。

期待はいともたやすく裏切られ、そのたびに期待をしてしまった人は心が傷ついていくのです。

どうせ裏切られるくらいなら、最初から期待しない方がいい。

そのような考えに陥ってしまうのも時間の問題でしょう。

人に期待をしない人生は間違いなく楽なのです。

誰にも期待せず、人の優しさを拒絶して、自分の心に閉じこもり一人で生きていくのはとてもとても楽なことでしょう。決して裏切られることはなく、決して失望することも御座いません。

ですが楽だからといって、その人生が楽しいかといえばそれはまた別の話。

その人生が幸せかといえば、これもまた全く別の話でしょう。

■期待はなぜ裏切られるのか

ラブホテルに自動精算機がある理由

私はラブホテル産業で働いておりますが、ラブホテルのお部屋にある自動精算機は一体どのような経緯で開発されたかご存知でしょうか?

「会計を機械で終わらせたいというお客様のニーズ」、「人件費削減」。恐らくはこんな経緯で開発が始まったとお考えの方も多いことでしょう。

しかし、業界でいわれている話としては自動精算機の開発の経緯はこのどちらでも御座いません。

従業員への圧倒的な不信感。

今でこそ多少は改善されましたが、自動精算機が開発された頃のラブホスタッフの倫理観というのはそれはもうとんでもなかったそうです。

遅刻はするし気軽にサボるし簡単に辞めるし備品は盗むし売り上げを着服する。そんなとんでもない倫理観のスタッフが非常に多く、経営陣は頭を悩ませておりました。

そこで誕生したのが自動精算機。スタッフがお金に触れられないようにして、経営陣は売り上げを守ろうとしたのです。

つまり自動精算機はお客様のためではなく、スタッフにお金を盗まれないようにするために開発をされました。それが結果的にお客様のためにも役立ったものの、当初の目的はお客様のことを考えていたわけでは御座いません。

さて、私の働くラブホテルでも自動精算機を利用しております。これを設置した当時の経営陣にどのような思惑があったのかは分かりませんが、少なくとも今のスタッフに関していえばお金を着服するような輩は存在しないことでしょう。

しかし、それでも自動精算機を廃止にするつもりは御座いません。

もちろんそれはお客様のためにもなりますし、人件費の削減という意味合いも御座いますが、仮にそれらのメリットが無かったとしても、自動精算機を廃止にすることはないでしょう。

なぜならば、それが従業員を信用するためにつながるからで御座います。

◇信用しているときこそ期待しない

もしも自動精算機を廃止にしてお金を手渡しにしてしまったら、ふとした気の迷いでお金を盗んでしまう従業員が生まれてしまうかもしれません。

もちろん私は彼らのことを信用しております。しかし信用しているからこそ、そして信用し続けたいからこそ、彼らが不正を働きやすくなるような環境を作ってはいけないのです。

例えばお金に苦しんでいる人がいるとしましょう。そんな人の前に大金をぽんっと置いたらどうなるでしょうか?

そんなもの盗むに決まっています。少なくとも「盗んでもバレないかな」とか「これがあれば生活は楽になる」という邪心が芽生えてしまうことは間違いありません。

目の前にお金が無造作に置かれてしまったことで、本来は芽生えていなかったはずの邪心を芽生えさせてしまったのです。普段は真面目に生きている人なのに、目の前に無造作にお金を置いたことで彼の中に邪心を生み出してしまうのです。

全ての人間は状況さえ揃えば、人を裏切り、物を盗み、人を殺します。

◇人は状況さえ揃えば、裏切り盗み殺す生き物

私たちが人を裏切らず、物を盗まず、誰も殺していないのは、幸運にもそのような状況に陥っていないからにすぎません。そして私たちがそのような状況に陥っていないのは、これまでの人類の歴史やさまざまな人々が必死でその状況を整えてくれたからにすぎないのです。

「その人はそんなことしないはずだから」という期待で、その状況を打ち壊すようなことは絶対にしてはいけません。

人は状況さえそろえば、裏切り盗み殺す生き物なのです。

人のことを信用したいのであれば、その人が信用を守ってくれるような環境を整え続けなければなりません。

もちろんその努力をした上でなお裏切られることもあるでしょう。しかし、その努力を怠れば人は必ず裏切ります。

■期待をする人は努力をしない人

その人を信用し続けられるような努力をしていれば、裏切られることはそうそう御座いません。もちろん絶対に裏切られないということは御座いませんが、その数は決して多くはないでしょう。

ですので、もしも皆さまが「人に裏切られてばっかりだ」と感じるのであれば、恐らくそれは人を信用しているのではなく、人に期待をしてしまっているのだと思います。

期待をする人は相手を信用するための努力をしません。むしろ目をつむります。

「相手はこうしてくれるはずだ」という甘い願望にすり寄って、その現実から目を逸らすのです。

これは道端に財布を置くようなものでしょう。

恐らくこの世界のほとんどの人間は人の財布を盗もうと思っておりません。ですので「多くの人は盗みをしない」と信用するのは良いでしょう。

しかしだからと言って、道端に財布を放置してそこから目を離せば、出来心で財布を取ってしまう人が出てきてしまうのは想像に難くありません。本来であれば信用できたはずの人間を、自分の愚行によって信用できない人間にしてしまっているのです。

人間関係や恋愛においてもこれと全く同じようなことが起こるでしょう。

浮気をする気がない人を、浮気する人にしてしまったり。

裏切る気がない人を、裏切らせてしまったり。

期待をし、目を逸らす人間は本来信用ができる人物を信用できない人物に自分でしてしまっているのです。

■神は見ている。悪魔は目を逸らす

この世界に神がいるかどうかは知りませんが、いわゆる宗教上における神様は得てして人間の行動を逐一監視しております。

閻魔大王もキリストもアッラーも、愚かなる人間の行動をきちんと監視して人間に善行を求めているのです。迷える子羊の一匹にすぎない私が神の御心を推し量るのは傲慢の極みかとは思いますが、恐らく神は人間をそこそこ信用しているからこそ、その人間のことをしっかりと監視しているのでしょう。

一方で悪魔はいつだって目を逸らします。

「誰も見てないよ」「バレないよ」と言ってくるのは悪魔のすることなのです。

「僕は君のことを信用しているから、ここに大金の入った財布を無造作に置いておくね」なんて言うのはまさに悪魔のセリフでしょう。神はそんなことを言いません。

人に期待をしているといえば聞こえは良いですが、期待をして何の対策もしないのは悪魔の所業なのです。本来はなかったはずの邪心を芽生えさせ、善なる人を悪に染める。それを悪魔の所業と言わずしてなんと言えば良いのでしょうか。

ラブホの上野さん)

※画像はイメージです

「期待」が裏切られる本当の理由