(黒井 文太郎:軍事ジャーナリスト)

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 6月6日、米国のポンペオ国務長官は声明で、国内各地で続く抗議デモへの米国政府の対応を中国当局が非難していることに対し、「基本的人権および自由の否定を正当化しようしている中国共産党プロパガンダの取り組みは、彼らのインチキのためであるとみなすべきだ」と非難した。つまり、自分たちの宣伝のために利用しているということだが、それはどういうことなのか?

 中国は現在、米国内で拡大している人種差別デモに関連し、米国政府を非難するキャンペーンを繰り広げている。以下では、その実態を紹介したい。

中国が国際的非難を受ける中で発生した米国のデモ騒乱

 まず、デモの発端となったミネアポリス市警察官によるジョージ・フロイド氏殺害が発生したのは5月25日のこと。抗議デモは翌日から始まり、5月末にかけて全米各地に急速に拡大。一部が暴徒化し、略奪も発生した。それに対応する一部の地域における警察サイドの強圧的な姿勢も大きく報じられた。

 それに対し、当初は中国側の反応は薄かった。

 実は中国は5月28日に、全国人民代表大会で香港に「国家安全法」を導入する方針を採択した。これは反政府活動を強権的に禁じる法律で、施行されれば香港の人々の政治的自由はほぼ剥奪される恐れが高い。これに対し、その少し前から中国のこうした方針は国際社会で非難を集めていた。全人代での採択直後には、米、英、カナダオーストラリアが共同で、中国が香港の政治的自由と一国二制度を約束した国際公約に違反すると非難する声明を発表した。

 中国側としては、こうして香港問題をめぐって5月下旬、国際的な非難を受けていたわけだが、当初は、中国側は国家安全法導入に対する反論をメインに対外宣伝活動を行っていた。そこに、米国での反人種差別デモ騒乱が発生したのである。

 中国側は、国営メディアがこうしたデモを大きく報じてはいたが、それを次第に「香港問題で中国を非難する米国のダブルスタンダードへの批判」という文脈で利用するようになった。

これまでの宣伝を補強する材料に

 最初は5月29日中国共産党系「環球時報」(英語版は「グローバル・タイムズ」)に米国の二重基準を批判する記事が掲載され、翌5月30日には共産党機関紙「人民日報」が、大手SNS「微博」のページに、米国と香港の抗議行動を比較したビデオを投稿した。

 これらの動画は、ミネアポリスでのデモ取材中にCNN記者が警察に逮捕される場面の映像と、2019年10月に香港の警察官たちが記者たちに押し込まれている場面の映像で、投稿から2日以内に13万5000件近くの肯定的な反応と7000件近くのシェアを集めた。

 政府高官も自ら発信した。5月30日に中国外交部の華春瑩・報道局長(報道官)が、香港問題で中国を批判した米国務省のモーガンオルタガス報道官のツイートを引用するかたちで、米国で殺害された被害者の言葉を真似て「息ができない」とツイートした。米国こそひどいとの意思表示である。このツイートは4万7000もの「いいね」と、1万2000ものリツイートを獲得している。

 6月1日には、対米強硬発言で最近は「戦狼外交官」(「戦狼」は超人的な中国軍兵士が活躍する中国版「ランボー」のような大ヒット映画)とも称されている趙立堅・副報道局長も、「米国は香港独立派や暴力分子を英雄や活動家として持てはやしながら、人種差別に抗議する人々を暴徒と呼んでいる」と指摘し、米国を偽善的だと非難した。

 他方、同日、華春瑩・報道局長は、黒人差別問題を引き合いに、アフリカ連合委員会委員長を引用して、中国は人種差別に対して「アフリカの友人たちとともにある」と宣言した。これは、欧米による植民地主義と搾取に代わり、中国がアフリカ諸国を支援するという、中国の近年の国家戦略の宣伝でもあった。

 このように、中国は米国での反人種差別デモを、もっぱら香港問題での自分たちへの国際的非難をそらす文脈で利用するという戦術をとっている。また、黒人差別問題を、自分たちのアフリカ諸国へのアピールにも利用している。

 つまり、米国でのデモ騒乱を、何か新しい内容の反米宣伝に利用するのではなく、これまでの宣伝を補強する材料として利用しているといえる。

 ちなみに、香港のトップであるキャリー・ラム行政長官も6月2日の記者会見で、米国の「二重基準」を非難し、香港の警察はデモ対応をはるかにうまく処理しており、米国が香港当局を批判する根拠はないと主張している。

米国のデモ騒乱を大々的にSNSで拡散

 また、フェイク情報拡散も、ごく少数ながら行われた。たとえば5月31日には、前出「環球時報」の胡錫進編集長がツイッターで、香港からの抗議者が米国に潜入し、米国全土で暴力的なデモを指揮していると示唆した。

 しかし、SNSを利用したフェイク情報工作やデモ扇動などの裏工作は、現時点まではほとんど確認されていないようだ。米国のSNS分析会社「グラフィカ」の6月3日のレポートでも、コロナ問題では、中国当局が米国内の分裂を煽ったり、米国人になりすまして中国政府のプロパガンダを推進したりするような活動が多数確認されたが、今回の人種差別反対デモ関連ではそうした動きがみられないと指摘されている。これは中国の対米情報戦としては少し奇異なことで、筆者にも意外だった。香港問題での中国への批判を薄めるには、米国での分断を煽るほうが効果が高いようにみえるからだ。

 ただし、米国でのデモ騒乱自体は、大きなトピックとして大々的にSNSで拡散されている。

 米国の政治ニュースメディア「ポリティコ」の6月1日レポートによると、5月30日以降のツイッター投稿では、中国政府関係者、国営メディアなどを中心に、ミネアポリス市での警察官によるアフリカ系殺害事件に関連する「#BlackLivesMatter」や「#Minneapolis」などハッシュタグの、米国政府批判や分裂扇動の書き込みが広く拡散されていることがわかったという。

 同記事によれば、こうした書き込みでは、加工された画像やフェイク情報などは拡散されていないものの、デモを肯定する側と批判する側の対立するコンテンツをどちらも拡散しているという。これは、専門的に検証すれば識別できる偽のSNS投稿による工作などの姑息な謀略活動に頼らずとも、現時点ではオープンな情報拡散だけでも十分に米国社会の対立を煽れるとの判断である可能性がある。

 米シンクタンク「大西洋評議会」のネット情報拡散分析機関「デジタル法科学調査研究所」(DFRLab)の6月4日レポートも興味深い。

 同レポートによれば、米国でのデモ騒乱に関連した微博でのハッシュタグを調査したところ、いちばん多かったのは「美国暴乱」(米国暴動という意味)というハッシュタグで、6月2日時点で20億ビューを超えていたという。

 また、SNS監視サービス「Meltwater Explore」を使った分析では、5月25日から6月3日までの間に、「George Floyd」(ミネアポリス市での被害者)という名前を含む記事が中国で約2万7000件もアップされたという。このうち、中国語の記事は1万9972件、英語の記事は7141である。つまり、英語で国際的に発信された情報もそれなりに多いが、それ以上に中国人に向けた情報発信が多いことがわかる。

 ちなみに、ロシアではその点、英語発信の比率がずっと多い。もともとネット利用者が中国よりかなり少ないので記事数自体が少ないが、それでもロシア語記事1544件に対し、英語記事が1107件ある。ロシアのほうが、より対外的なアピールとして米国デモ騒乱を利用しようという意思があるのだろうと思われる。

 いずれにせよ、このDFRLabのレポートでも、中国は香港での弾圧を正当化するために米国の社会不安を利用していると分析されている。

今後もあり得るデモ扇動工作

 以上のように、中国は現在、米国での人種差別反対デモに関しては、香港問題での対中国批判との二重基準を批判することに注力している。「お前たちに自分たちを批判する資格などない」との理屈だ。

 同時に、デモ騒乱の様子をストレートに拡散することで、米国社会の分断を扇動しようともしている。

 ただし、米国社会の分断と矛盾はすでに露呈しており、今のところはコロナ問題で見られたように、フェイク情報工作も駆使して米国社会の分断と政府への信頼失墜を仕掛けるという動きには出ていないようだ。

 しかし、それは何も中国が不正な工作をやめたということではないだろう。今後、米国でのデモが収束に向かい、他方で香港問題での対中国批判の声が高まった場合などには、再びネット上で米国でのデモを扇動する裏工作を仕掛ける可能性は大いにあるとみるべきだ。なぜなら、こうした工作はコストもさほどかからず、露呈しても報復されるリスクが小さく、それでいて大きな効果が期待できる、いわば安易な工作だからである。

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ニューヨークのマンハッタンでデモ行進中に膝をつくデモ隊の一団。ジョージ・フロイドさんがミネアポリスの警察官に拘束されて死亡したことを受けて抗議行動が続いている(2020年6月6日、写真:AP/アフロ)