(福島 香織:ジャーナリスト

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 中国の地方都市や農村の屋台の食べ物といえば、「地溝油」(リサイクル油)や使いまわしの竹串、賞味期限切れの食材、調味料などを使用している可能性があり、また不衛生さからくるB型肝炎ウイルス感染や食中毒の恐れもあり、なかなか日本人観光客にはおすすめしがたいものである。だが、やはり屋台めぐりには現地の庶民生活を垣間見る醍醐味があり、慣れてくればそれなりにおいしい。暑い夏の夕方に場末の屋台で、ふろ場で使うようなプラスチック椅子に座りながら、シシカバブ(肉の串焼き)とビールを味わい、そして食中毒予防の生ニンニクをかじりながら、地元の人たちと一緒に大いに盛り上がるのも、私にとっては中国の地方出張の楽しみだった。出稼ぎの工場勤務の女の子たちに話を聞こうと、食事に誘う場合は、レストランに連れて行くより屋台のシシカバブの方が喜ばれたりする。

 飲食屋台だけでなく、地下鉄駅の階段の踊り場や、陸橋の上の怪しげなブランド物の財布やバッグ、携帯電話アクセサリーなどの露天商を冷やかすのも楽しいものだった。吹っ掛けた値段が最終的には20分の1くらいの値段にまで下がってくる。本の露天商も多くて、渡辺淳一氏が産経新聞に「あじさい日記」を連載していたころ、まだ連載の途中であるにもかかわらず、中国語翻訳版が売られていた。中をみると、原作とは全く違うエロ小説だった。今は姿を消したが、映画の違法コピーDVDの屋台も、私の北京駐在時代の2008年ごろまではたくさんあった。

 このように屋台商売の多くは違法、あるいは違法すれすれの商売であり、ほとんどが都市管理行政執法局(城管)の取り締まり対象だった。だが、資本のない庶民の生活を支える重要な地下経済であり、人々は城管から厳しく取り締まられながらも、たくましく逃げ回って生き抜いていた。

 何度も城管と露天商の追いかけっこを目撃したが、「城管が来たぞー!」と誰かが声を上げるや、歩道に並べた商品をあっという間に一袋にまとめて、蜘蛛の子を散らすように逃げおおせる姿は、中国人がこれまでのいくつもの動乱を生き抜いてきた活力の源を見る思いだった。

庶民のたくましさに賭けた?

 今年(2020年)の全人代(全国人民代表大会:中国の国会)では、こうした「露天商(地攤)経済」推進が打ち出された。おそらく、これは李克強首相が主導する経済政策であり、新型コロナ肺炎で、テナント店舗を構える中小零細企業、個人経営店の倒産ラッシュが予想されるなか、経済回復を、庶民の生き抜くたくましさに賭けたのではないか、と思われる。

 李克強は全人代後の6月1~2日に山東省煙台市と青島市を視察し、露店商の商売の現場を訪れて励まし、露天商経済の推進を自ら訴えた。

 こうした状況をみて、よし、時代は露店商経済だ、と思った内陸部の一部地方、たとえば河南省許昌、吉林省長春、遼寧省大連、湖南省懐化、浙江省杭州、江蘇省南京、四川省成都、上海などの地方政府が相次いで露天商、屋台などの零細企業支援政策を打ち出した。またEコマース大手のアリババ、京東、美団、蘇寧などは、各地方の露天商らにツケで商品を卸すなどの支援を次々と打ち出した。

 考えてみれば京東創始者の劉強東、アリババ創始者の馬雲らも、もともと露店から身一つで商売を始めた人たちだ。中国の民営企業家のバイタリティの根源も、ひょっとすると露天商経済にあるのかもしれない。

国有メディアが相次いで「待った」

 だが、ここで興味深い現象が起きた。李克強の政府活動報告の方針を受けて、喜び勇んで街に出た露天商たちが、北京などでは城管に違法営業として取り締まられてしまったのだ。さらに北京日報やCCTVなど国有メディアが相次いで李克強の推進する「露天商経済」に待ったをかける論評を出し始めた。

 たとえば北京日報(6月6日付)は「露天商経済は北京に適合しない」「首都のイメージを損なう」といった社説を掲載。

「露天商経済が都市に適合するか否か、これは都市の立ち位置が判断し、選択することである。この問題において、実際的な立場から出発し、盲目的に追随するべきではない」「まずモデルとなる基準をつくり、都市を精密に管理することが重要だ。つまり北京は都市としてあるべき秩序を保つことを重視せねばならない。首都の都市戦略の立ち位置にふさわしくないものは発展させるべきではないし、発展できないし、住みよい環境と調和する経済業態の運営創造に利さない」という。この社説は「京平」の署名で書かれている。「京」は北京の京だとして、「平」というのはやはり習近平を象徴する文字ではないだろうか。

 北京市の書記は蔡奇といって、習近平がお気に入りの三大酷吏(残酷な官僚、悪代官的なイメージ)に数えられる。都市の最下層の出稼ぎ者を「低端人口」と差別的に呼び、彼らの住む簡易宿舎などを、老朽化を理由に2017年暮れにいきなり一斉に取り壊し、寒空の下、数十万人から300万人を路頭に迷わせるなど、無慈悲な政策を実施したことでも知られる。

 蔡奇は習近平に忠実な上、習近平以上にやることが過激なので、この北京日報の社説も、習近平の感情を忖度したか、あるいは習近平の命令に従ったものではないか、と噂された。

 またCCTVの財経論評(6月8日)は、次のように露天商経済をこき下ろした。「最近、露天商経済が社会の関心を引いている。・・・我々は、わが国の一級都市では露天商経済の推進はふさわしくないと思う。・・・中国の一級都市はグローバルなメガロポリスである。経済発展の最も良質な資源と要素が集中しており、グローバルな先進経済体の基準となって経済社会の発展戦略目標をしっかり実現しなければならない。・・・勢いにまかせて“露天商経済”なんてものを一級都市で野蛮に成長させると、一時的に差し迫った問題は解決できたとしても、その後にひどい目にあって、問題が絶えないということになるだろう」。

 また人民日報も「露天商経済は、ちょっと温度を上げるが、発熱はしない」と批判的だった。

習近平と李克強の対立を反映か

 CCTVと人民日報は党中央宣伝部の直属メディアで、政治局常務委員でいえば王滬寧の管轄だ。蔡奇と王滬寧、ともに習近平に忠実な人物だと考えると、これは党内の李克強と習近平の対立を反映している、という風に見えるのだ。

 首相が全人代で打ち出し、その後、地方視察でも身をもって宣伝した政策を、党の喉舌(宣伝機関)がこき下ろし、首都の党委員会機関紙が真っ向から否定するなど、文革と天安門事件以来、めったに見られる現象ではない。

 チャイナウォッチャーたちの間では、中国共産党内で習近平アンチ習近平派の権力闘争が激化しているというのは、ある意味常識である。ただ、それが政権の安定を揺るがすレベルか否かは意見の分かれるところだ。

 私はこうした内部の路線対立が、朝令暮改のような形で庶民生活を巻き込むこと自体、そうとう末期症状だと思っている。こうなってくると、世論がさらに党内対立に反映されることになり、大衆動員式の権力闘争に発展しかねない。文革も天安門事件も、実はその根底に「毛沢東 VS. 劉少奇、林彪」「鄧小平 VS. 胡耀邦、趙紫陽」の権力闘争があり、それに大衆が巻き込まれた面もある。

 思い返せば今回の全人代の政府活動報告で、李克強がGDP成長目標を挙げなかったのも、閉幕記者会見で中国の6億人の平均月収が1000元程度だと暴露したのも、習近平は面白くなかったはずだ。それは、習近平が掲げていた2020年の「全面的小康社会」実現が無理だ、と暴露されたのと同じことだったからだ。

 全面的小康社会の実現としては、2020年までにGDPと国民の収入を2010年比で倍増させることが1つの達成基準となっていた。そして、それを達成するために必要なGDP成長率を目標値として算出していた。それによると今年は最低でも5.7%の成長を達成しなければ目標を達成できない。だが、とても達成できる状況ではないので、李克強は目標値を政府活動報告に入れることに反対したと言われている。達成できない目標値を掲げると地方政府のデータの捏造につながり、現実的な政策立案の妨げになる、ということだった。

 習近平が理想とするのは、大国崛起(くっき)路線。中国が中華民族の偉大なる復興の道を順調に歩んでいると宣伝してきた習近平からすれば、李克強のちまちました露天商経済政策は、自分への挑戦と受け止められたのかもしれない。両者が対立したなら、人民は李克強を応援するのか、習近平を応援するのか。

失業者の受け皿に、庶民の不満軽減に効果

 露天商経済は実際のところ、地方政府にとっても税収のうまみはなく、管理を強化すればむしろ地方財政の負担になる。行政側の本音から言えば歓迎できないのは確かだ。

 だが、李克強が露天商経済をあえて打ち出したのは、それだけ中国の実態経済が追い込まれており、深刻な失業問題が起きている、ということだろう。中国の本当の失業率は20%以上、7000万人以上が職を失っている、と中泰証券のアナリストが4月下旬に指摘している。

 失業者が増えると、社会が不安定化する。集団事件と呼ばれるデモ、抗議活動やテロのように、貧困の恨みを社会全体に対する報復行動で晴らそうとする事件が起きやすくなる。李克強の経済政策は、こうした庶民の不満軽減を重視して打ち出されたと思われる。

 巨大な債務・不動産バブルを抱えている中で、じゃぶじゃぶとあふれるような財政出動することはむしろリスクが大きい。庶民が直面するひっ迫した状況をなんとかするには、生まれながらの商売人、とも言われる中国庶民の困難を生き抜くバイタリティに頼るしかない、と判断したのではないだろうか。

 この政策を擁護する専門家もいて、東北財経大学中国戦略・政策研究センターの周天勇主任は、露店経済や農貿市場と呼ばれる青空市場の発展と都市の現代化は矛盾しないという。もし都市で露店経済、農貿市場が促進されれば、失業者の受け皿として非常に重要な役割を果たし、およそ5000万人の雇用問題が解決できるだろう、という。中国国内にはおよそ7.7億人の労働人口があり、15%にあたる1億人が非正規就業だ。

 また、露天商ビジネスは意外な産業にも波及しうる。たとえば露天ビジネス向けに販売された、五菱汽車(広西チワン族自治区柳州市)の電動小型移動販売用車「五菱栄光」(5.68万元)は、1台購入につき3000元の補助金が出るとあって、生産が間に合わないほど売れている。この補助金制度が打ち出されて、香港市場の五菱汽車株は6月4日、この1年で最高値を記録した。要は制度設計ということだろう。

 露天商経済の発展は、税収アップにはならないかもしれないが、庶民にとっては商売する方も消費者も歓迎するだろう。みんな露店と屋台が大好きなのだ。そうすると、李克強こそが俺たちを食わせてくれる、と大衆の間で人気が出るかもしれない。政策において失敗ばかりしてきた習近平にとっては、まずそこが気に食わず、そして恐ろしいのではないのではないか。

 露天商経済がこのまま推進されるか否かは、ポストコロナの中国経済の回復の趨勢を決めるだけでなく、習近平路線が維持されるか否かにもつながるので、引き続き注意してみていきたい。

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