東京の餃子の名店がその歴史に幕を下ろした。6月10日夕方、神田神保町の「スヰートポーヅ」に閉店の貼り紙が掲示されている旨がツイッターに投稿され、情報は瞬く間に拡散。Twitterモーメントにも掲載された。

 神保町では数日前、「スヰートポーヅ」近くの洋食店「キッチン南海」が入居建物の老朽化を理由に閉店すると判明したばかり。10日19時頃、両店のある神田すずらん通りを歩くと、閉店を半月後に控える「キッチン南海」には長い列ができていた。南海は現在の料理長がのれん分けする形で同じ神保町に新店を構えることが決まっている。しかし昔ながらの店の雰囲気を惜しんで多くの人が並んでいるのだ。その列は「スヰートポーヅ」の向かいまで続いていた。

“お客様各位 閉店のお知らせ 長い間のご愛顧 誠にありがとうございました 厚く御礼申し上げます 店主”

 長年多くの人に愛された「スヰートポーヅ」の扉に貼られた別れの挨拶は、ごくシンプルなものだった。店は東京都緊急事態宣言を受けて4月上旬から休業していたが、そのまま再開することなく閉店となったのは、もしかしたらコロナ禍以外にも理由があるのかもしれない。しかしその静かな引き際と短い挨拶文には、この店の“らしさ”が表れていたように思う。味はもちろん、いい意味で素っ気なく昔の食堂のような雰囲気。それ込みで足を運んでいた人も多いのではないだろうか。

 店は神保町古書店街の裏側にある。靖国通りから明倫館書店と一誠堂書店の間の細い道を入ると正面に【包子餃子 スヰートポーヅ】と記された黄色い看板が見える。間口は2間ほど。天気のいい日は扉が開け放たれ、外から木珠の暖簾越しに混み具合が確認できる。ランチタイムを外して14時すぎに行くと、大抵は待たずに入ることができた。

 通路の両側に4人席が計6卓、2人席が1卓。空いていれば店のお姉さんが1人客を各テーブルに振り分けるが、混み始めると「相席お願いしますね~」と告げられ見知らぬ者同士が小さなテーブルで相対することとなる。

14時台は1人客が多かった

 神保町オフィス街でもあるのでピーク時は2~4人客も来店するものの、14時台は1人客が多かった。古本屋や東京古書会館の即売会帰りの御仁は紙袋を開いて戦利品を眺め、周辺に数多くある出版社の人たちは遅めの昼飯を黙々と摂る。筆者が足繁く通うようになったのも、21年前に近くの編集プロダクションに勤め始めたのがきっかけだ。

 当時の昼飯ローテーションは同店と「いもや」、カウンターすき焼きの「はらの」、カレーの「まんてん」、駿河台下交差点近くにあった「キッチンヤマダ」という具合。その後すずらん通りの古本屋で働くようになると「スヰートポーヅ」に行く頻度はさらに増していった。

水餃子と天津包子は13時以降しか注文できない

 席につくとサッとお茶が出され、すかさず「餃子ライスを」と注文する。メニューは焼餃子に水餃子、天津包子(ポーヅ)と定食がメインで、水餃子と天津包子は時間がかかるため13時以降しか注文できない。餃子ライスは餃子8個とご飯、漬物がセットで770円。ほかに12個の中皿ライス、16個の大皿ライスもあるが、食欲旺盛な20代でも8個で満足だった。これに味噌汁がつくと定食となり170円がプラスされる。去年までは餃子ライスが680円、2000年頃はたしか640円だった。

 お茶を飲み、新聞を読みつつ扉の上にあるテレビを眺めながら出来上がりを待つ。各テーブル下にはスポーツ紙に一般紙、日経新聞が置かれているのだ。ほどなくして餃子ライスが届くと、お姉さんはこちらがお願いする間もなく空いている湯呑にお茶を注ぎ足してくれる。その絶妙なテンポ感がいつも心地よかった。

 その焼き餃子は独特だ。皮が餡を春巻きのようにクルっと包んでいて、真ん中が一か所押さえてあるだけで両サイドは閉じられていない。キツネ色に焼き上げられたのを頬張ると、コシのある皮に、濃いめの味付けでみっちりと噛み応えのある餡が口の中に広がり、思わずご飯を放り込んでしまう。以前何かの本で餡のレシピを見たが、豚ひき肉キャベツ、玉葱、生姜を混ぜ込み、醤油ベースで味付けしていたと記憶している。しっかり味がついているから卓上にはラー油がなく、酢と醤油、練り辛子、一味唐辛子が置かれている。シンプルに辛子だけつけて食べるのもおいしく、ご飯の最後のひと口は小ぶりな白菜漬けで〆。その間2回ほどお茶のお替りを注いでもらっているが、食後の一杯は断って「お会計お願いします」と店の奥でそそくさと支払いを済ませる。毎回そんなルーティーンだった。

「スヰートポーヅ」店名の由来は?

 卓上に置かれたメニューの裏には店の由来が書いてある。創業者は1932年に旧満州の大連で「おいしい包子(ポーヅ)」を意味する天津包子と餃子の店「スヰートポーヅ」を開いた。店を5年間営業したのちに帰国し、以後終戦までは違う店名で営業していたという。再び「スヰートポーヅ」として店を再開したのは1955年。開店から65年。当時のことは知る由もないが、きっと開業時から同じ味を守り続けてきたのだろう。近年はどこの街にも、この神保町にも餃子を専門とする店は増えたが、少なくともこの味だけは絶対に他では食べられない。唯一無二の餃子だった。

 店名の由来となった天津包子は、仕事仲間と夜に訪れた際にビールのお供に注文する機会が多かった。こちらは1人前5個入り880円。焼餃子とは違い小ぶりで、皮が上部でしっかり綴じ込まれている。餡は筍と椎茸の香りと旨味が効いており、それを辛子醤油で食べるのが好み。しかし昼の空いている時に入り、サッと食べて出る習慣がついているため、どうも夜にビールや包子を頼んでも腰を据えて食べる気になれない。結局早食いして店を出るのが常だった。

 思えば天丼、天ぷらとんかつの各店が連ねていた「いもや」は数年前に天ぷらの1店を残して神保町から姿を消してしまった。少し前に「キッチン南海」閉店のニュースを知った時も、「スヰートポーヅ」だけはいつまでもあの細い道の正面、千代田区神田神保町1の13に当たり前にあるものだと勝手に信じ込んでいた。20年以上に渡り何度となく口にし、舌に染みついた餃子の味。今はまだ鮮明だけど、これ以上記憶を更新することはできないのだろうか。

 いつか何事もなかったようにあの扉が開いていて、「餃子ライス入りまーす」とお姉さんの声が聞こえる日が来るんじゃないか。突然だけど静かに訪れた別れの時。あの短い挨拶文を思い出しながら、望み薄と承知しつつも心のどこかで少しだけ期待してしまうのである。

(黒田 創)

「スヰートポーヅ」の餃子ライス ©黒田創