「ライブができず、ぼくは下北のカレー屋のおやじさんになった。いつかまた、時間が止まって音楽が始まる」。
曽我部恵一がTwitterにそう記したのは誰も想像できなかった春を迎えた4月12日だった。サニーデイ・サービスのニューアルバム『いいね!』の配信がスタートした3月半ば頃から、世界中で新型コロナウイルスの感染が拡大。予定されていたバンドのツアーは延期され、昨年は100本にも及んだソロでのライブも中止に。そんな緊急事態宣言下の状況で、彼が下北沢に<カレーの店・八月>をオープンしたと聞いた時はさすがに驚いた。訪れてみると、3階には中古レコードショップ<PINK MOON RECORDS>もあり、曽我部自身が店頭に立つこともあるという。4月から5月にかけては何本かのライブ配信にも出演し、5月8日には15分に及ぶ新曲「Sometime In Tokyo City」を配信リリース。ミュージシャンとして、生活者として、音楽とともに歩みを止めない曽我部恵一に、5月22日にCDとアナログ盤がリリースされた新作について、また現在の暮らしと心境を訊く。

取材・文 / 佐野郷子

◆新しいドラマーを迎え、3人体制のサニーデイ・サービスでスタートした2020年。

ーー 今年は元日にサニーデイ・サービスで新曲「雨が降りそう」を発表したところからスタートしましたね。

そう。1月4日には、江ノ島の<OPPA-LA>でライブをして、それが新しいドラマー、大工原(幹雄)くんを迎えての初ライブでもあったんだけど、この3人体制で活動していくことを発表したのは1月28日。新しいドラマーに関しては、縁があったらという感じでいたんですよ。大工原くんは、元々Qomolangma Tomatoチョモランマ・トマト)というバンドにいて、10年くらい前に曽我部恵一バンドで対バンしたことはあって、その時に「スゴいドラマーだな」と思っていたんだけど、去年再会した時にサニーデイのアルバムで1、2曲叩いてもらったんです。その時に「いい!」と思ってライブも頼んだら、これはもうサポートじゃなくてメンバーの感覚に近いなと。

ーー どこかでドラマーを探していたところがあったんですか?

やっぱり、自分にとってはドラマーがいるバンドの形は大きくて、(丸山)晴茂くんが亡くなった後、サニーデイで田中(貴)と僕の二人だけのアー写を撮るのがとにかく寂しくてね。『DANCE TO YOU』(2016年)の時は、晴茂くんが離脱しかける境目ではあったんだけど、あの時はまだ3人の写真を使っていたから。3人いたらライブが出来るし、潜在的にドラムを求めていたところはあったんだと思う。

ーー ニューアルバムのレコーディングは去年から始めていたと昨年12月の取材でも仰っていましたね。

去年の頭から1年かけてつくっていたんだけど、実は、『いいね!』の前に「雨が降りそう」が核になるようなずっしり重いロックアルバムをつくっていたんですよ。でも、それがミックスダウンの最中の1月下旬にお蔵になっちゃった。

ーー そうだったんですか!?

ジャケットやタイトルをどうしようとか、そこまで進んでいたんだけど、いざミックスが上がった曲を聴いてみると、内容が自分の人生の映し鏡というか自伝のようになっちゃって重すぎたんですよ。

◆1stアルバムのような瑞々しさと純粋さを目指した新作『いいね!

ーー ところが、3月19日にはサニーデイ・サービスの新作として『いいね!』の配信がスタート。そこで何があったんですか?

1月の終わりくらいかな? 大阪のライブに向かう道すがら一人でクルマを運転しながらスミスやキュアーやダムドなんかを聴いていたら、最高に気持ちがよかったんです。その時、「もしかして自分はこういうのをつくりたかったんじゃないか?」って思ったんですよ。天気がいい日にどこか出かけたくなるような音楽、ドライブミュージックを俺はつくりたかったんだなと思って、もう一回曲をつくり始めて出来たのがこのアルバムなんです。

ーー 1年がかりでつくった新作をお蔵にする決断力と、そこから新たに曲をつくり、録音してリリースしてしまうスピード感がスゴい。

前につくっていたアルバムは、20数年やってきたバンドがここで出すべき作品であり、そう思わせる音だったと思うんですけど、『いいね!』はバンドの1stアルバムっぽいというか、それを目指したところはありましたね。

ーー 1曲目の「心に雲を持つ少年」のタイトルからして確かにスミスを連想させますね。

パンクからスミスやベン・ワットあたりに至るUKのギター・ロックの流れは、自分の原点でもあるし、いまだによく聴いているせいもあるのかもしれないけど、アルバムは80年代っぽい感じもあって、80年代って音楽もマンガも文体や喋り方もどこか軽いじゃないですか? それは目指したからそうなったんだと思うんですよ。90年代以降、ロックは本質論の方へ行ったけど、もっと軽くて、無責任で、不良っぽくてもいいんじゃないかなって。

ーー そういうアティチュードが若者っぽいというか、曽我部さんの言うバンドの1stアルバム感を高めていますね。

そうそう。若者って僕らにしたらとっくに経験済みのことや、しょうもないことを一生懸命歌っているじゃないですか。でも、それはすごく純粋だし、自分がそういうところに今もいられるかどうかはすごく重要で、歳を取っていくとこれは分かった、よし、次の段階へ進むぞ、となっていくんだけど、本当はいちばん最初のところにいつもいるのが理想なんじゃないかって。それはなかなか難しいことなんですけどね。

◆バンドを始めた頃の場所にどうしたらいられるのかなと思って暮らしている。

ーー 〈今夜でっかい車にぶつかって死んじゃおうかな〉で始まる「春の風」の疾走感、熱量、ロマンチシズムは、確かに若者のそれに近いですね。

人間ってそういうギリギリのラインにいるところがあるし、誰もがそこをコントロールしながら踏みとどまって生きているんじゃないかな。僕はメロディーも歌詞も特にこういう風景を書こうと意識するわけではなくて、何が自分から出てくるのかなという感じなんです。一言目が出てきたら、それをどういうストーリーのキャラクターにしていくかを考えるのは楽しいんだけど、自動書記のようにどこかへ向かっていくから、後で「こういうことを言っていたんだ」と自分で気がつくことが多いんですよ。たとえば、「ブルーベリーと秘密のパイ」(「OH!ブルーベリー」)と発した時、「秘密のパイ」が物語る何かを大事にしたいし、それと自分の生やアイデンティティと繋げたいというのもあったかな。

ーー サニーデイ・サービスの音楽は、そんな青春期特有の衝動やときめき、行き場のない感情を常にはらんでいるように思いますが、今回は特にそれが際立ちますね。

そうかもしれない。バンドを始めた頃の場所にどういう風にしたらいられるのかなと思って暮らしているから。お蔵にしたアルバムは、「生きるとは何か?」みたいな重さがあったと思うし、それはたぶん年相応でバンドのキャリアにもふさわしい内容だったのかもしれないけど、そういう風に段階で生きて行くのは何か違うなと思ったんですよね。

ーー 『DANCE TO YOU』から若い新しいファンが増えてきましたが、『いいね!』は、その傾向にさらに押し進めるような内容になったのでは?

うん。若い人にも聴いてほしいですね。ただ、音楽ってみんな勝手に聴くから、こういう音楽を欲している人がどこかで出会ってくれたらと思うんですよ。自分たちだって初期のパンク、ラモーンズとか後追いだし、時代が変わっても音楽とは出会い続けていける。僕らの音楽もそうなればいいなと思う。

◆生ライブ配信もひとつのライブの在り方。僕自身は、どこで歌っても変わらない。

ーー 今年はサニーデイの活動をしながら、ソロでも曽我部さんはライブの予定が沢山入っていましたが、新型コロナウイルスの影響でライブが中止になり始めたのは2月後半でしたね。

僕の場合は、2月27日に渋谷のWWWで予定していた「詩情の人 - 小林勝行+曽我部恵一+鬼 -」からでしたね。ラップ・アルバム『ヘブン』(2018年)を初めてライブでやることになっていたんで、めっちゃ練習していたんですけどね。以降のライブも中止か延期になりました。

ーー 自粛要請期間には様々なライブ配信が盛んに行われ、曽我部さんもいくつか出演しました。

高野寛さんたちが主宰している「新生音楽(シンライブ)」は、事前に収録したものを配信してもらったんですが、生ライブ配信もやったし、これからはそれもひとつのライブの在り方だと思います。僕自身は、以前からどこで歌っても変わらないし、お客さんが楽しんでくれたらそれでいいなと思っているんです。ただ、配信ライブの適正価格については正直言ってよく分からない。下北沢ライブハウス「LIVEHAUS」の配信にも参加したけど、その時は価格は自分で決めていいと言われたので500円にしたのかな。

ーー <LIVEHAUS>は4月開業予定のところに自粛要請緊急事態宣言を受け、開店を延期。5月20日から「LIVEHAUS SoundCHECK」として有料配信をスタートしましたね。

その時の映像は音楽レーベル“Less Than TV”のドキュメンタリー映画『MOTHER FUCKER』を監督した大石規湖さんが撮ってくれたので、映像もカッコ良かったし、音もマイクを通さずに生でやったのは面白かったですね。ライブハウスやクラブは本当に厳しいし、クラウドファンディングや配信でどこまで持ちこたえられるのか? もちろん、ライブが出来ない僕らミュージシャン、バンドマンもキツいですよ。でも、僕はまだ恵まれている方だと思います。

ーー という理由は?

ソロになって、何の後ろ盾のなかった自分をライブハウスやカフェの人がライブに呼んでくれて、僕はこれまで何とか活動が出来てきたから。「PAがなくてもやりますよ」って行った店が今はライブカフェになっていたりするし、そういう所は何か恩返しができればと思うんですよ。自分の勝手な計画としては、コロナが終息したら、アコギだけで各地のお世話になったライブハウスを回って、交通費以外はドネーションするツアーをしたいと思っているんですけどね。

◆コロナ禍のど真ん中でオープンした<カレーの店・八月>で働く日々。

ーー <カレーの店・八月>をオープンしたのは、緊急事態宣言が発出されてからでしたよね。

そうです。去年から準備を始めていて、この春に開店予定で動いていたんだけど、姉妹店の<CITY COUNTRY CITY>が緊急事態宣言でお店を閉めたこともあって、急遽カレーの店の方をオープンして、テイクアウトを中心に営業することになったんですよ。小さいビルの3フロアを借りたから、敷金礼金や内装や什器にお金がかかって、開店前にスッカラカンだったんですけど、いつものように「働いたら何とかなるよね」と言っていたら、働けなくなってしまった。でも、コロナ禍のど真ん中でも、家賃や工務店の請求書は来るわけですよ。

ーー カレー店の3階を中古レコードストアにしたのは?

最初は3階はイベント・スペースにする予定だったんですよ。でも、このコロナ禍でイベントなんて出来るはずもなく、しばらくは倉庫にしていたんだけど、スタッフから「だったら、レコード持って来て売ったらいいんじゃないですか?」って意見が出て、急遽レコ屋にしたんです。これはまったくの想定外。

ーー 自らお店に立つ曽我部さんの姿をオフィシャルHPでも拝見しましたが、先の見えない日々の中、眠れなくなる日もあったようですね。

今度ばかりはさすがにビビリましたね。大人の怖さを思い知ったし、融資に奔走していている頃は寝てもすぐに目が覚めてしまったりして。でも、カレー屋をオープンしてからは、朝から晩まで働いて、帰って寝るだけだから、よく眠れるようになった。色んなことを心配してもどうにもならないし、「今はこれを笑顔で売るしかない」と腹をくくったら、不安もなくなったんですよ。開店以来ずっと働き続けて、今はスタッフのみんなと「ここからは上がっていくだけだね」って言ってます。

ーー 働くことで精神的にも安定したんですね。

そう。家で心配しているだけではストレスも溜まるし、子供たちにキツい態度で接してしまったりすることもある。そういう状況が世界中で起きていることは気がかりですね。僕はたまたま仕事があって助かったかな。お店で皿を洗ったり、レコードのPOPを書いたりしながら音楽を聴くのがまたいいんですよ。すごく力になる。こういう時は、自分の感情にフィットする音楽を探すといいんじゃないかな

◆この波を乗り切ったら、またきっと面白い場所に自分はいる。

ーー [Stay Home]期間の5月8日に突然、新曲「Sometime In Tokyo City」の配信されたのも驚きました。

今の生活の風景を曲にできそうな気がして、思いつくままにつくり、その日の夜に自宅で録音したんです。タイトルを「Sometime In Tokyo City」にしたのは、レコード屋でたまたまジョン・レノンの『Sometime in New York City』の値付けをしていたからなんですよ。あのアルバムもジョンが当時、何を思い、何をしていたのかを綴った日記みたいじゃないですか。そういうのを今、書きたいと思った。

ーー 歌にはハッピーという犬が出てきますが、愛犬を見つめる視線とこの状況でも淡々と流れてゆく日常が重なり、静かに胸に沁みます。

僕も犬を飼っているんだけど、犬や猫には今の状況は関係ないし、幸せの概念もないと思うんだけど、寝ている姿を見ているとすごく気持ちがよさそうで、たぶん、生きるってそういうことなんだろうなと思ったんです。人間は心配したり、ケンカしたり、未来を予想したり、それを歌にしたりするけれど、犬が世界を見るように風景を見て、日常を描き、自然体で歌ってみたかった。

ーー 今、曽我部さんが歌いたいことを、リスナーもすぐに聴ける。そのリアリティを時間を置かずに共有できるのは今の音楽フォーマットの強みでもありますね。

うん。曲が出来て4日後には配信しましたからね。「下北沢へ来たなら 僕らの店に来ませんか」って歌詞は、5年後に聴いたら「曽我部、店の宣伝入れたな」って思われるのかもしれないけど、「今は来てくれって言われても行けないんだよな」という聴き手の状況や感情がそこに入ってくるのがいいなと思って。

ーー 2020年5月の記録が個人の記憶として残される。

そうそう。仕事やバイトがなくなったり、満員電車に揺られて毎日会社に行くことに疑問を感じたり、そろそろフラットな視線や感情が生まれてくるタイミングでもあったと思うんですよ。僕もそうだし、日々は少しずつ変わってゆく。だから今日の日記を書くように歌にする。僕のソロデビュー曲「ギター」にすごく近い感じですね。

ーー サニーデイ・サービス、ソロ、レーベル、そしてお店と、これからも曽我部さんは回り続けていきそうですね。

たぶん、そういう行き当たりばったりの人生なんですよね。僕のやっていることは隙間産業だから、リリースも止めないし、お店も出来る。僕は自分のやり方でやってきたから、こういう事態になった時に適応しやすかったのかもしれないけど、まだ先は見えないし、自分がやっていることが何かに繋がるなんてことは一切考えずに、今はこの波に溺れないように乗っかっていくしかない。それをうまく乗り切ることができたら、またきっと面白い場所に自分はいるんだろうなというのは分かるんですよ。いつになるか分からないけど、人前でライブをしたり、観たりする時に自分がどんな感情になるのか、それも楽しみにしているんです。





曽我部恵一が語る サニーデイ・サービスの新作、ライブ配信、コロナ禍の最中にオープンした店での日々。は、WHAT's IN? tokyoへ。
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掲載:M-ON! Press