(武藤 正敏:元在韓国特命全権大使)

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「遠い国の紛争解決はわれわれの義務ではない」

 これは6月13日、米国のトランプ大統領は米陸軍士官学校の卒業式で述べた言葉だ。北朝鮮の韓国に対する挑発が続く中で出たこの発言は、北朝鮮にとってみれば、韓国をさらに脅迫して、文在寅大統領のせいで米朝首脳会談が決裂したことへの責任を取らせ、南北関係で韓国の一層の譲歩を引き出す格好の機会が到来した、と映ったであろう。

 そして北朝鮮は実行に踏み切った。6月16日午後、開城(ケソン)にある南北共同連絡事務所を爆破し、韓国の文在寅ムン・ジェイン大統領が国内外に誇ってきた“業績”を木っ端みじんにして見せた。

直前まで北朝鮮に追随し続けていた韓国

 北朝鮮は、6月4日金与正(キム・ヨジョン)党第一部長が韓国からのビラ散布を非難する最初の談話を発表して以来、南北間のあらゆる通信ラインを遮断するなど、次第に挑発の水位を上げてきた。ビラの散布はあくまでも口実であり、真の狙いは文在寅大統領を揺さぶることにあった。北朝鮮は、南北関係を破壊させ、朝鮮半島の緊張局面を作り出そうという戦略的な意図を持っているのだ。

 しかしこの間、北朝鮮の一連の挑発に対し、韓国政府は、ビラの散布を禁止する法律の策定を進めているほか、南北首脳会談の合意は順守するべきであるとの原則的立場を繰り返すのみだった。北朝鮮への対応について米国との協議もなければ、北朝鮮の軍の行動に対する警告や、韓国を脅迫することへの糾弾などの明白なメッセージの発出も控え、ひたすら北朝鮮に追従する姿勢を強めていた。

 その上、韓国の与党「共に民主党」からは、「(米国で警察官に首を押さえつけられ死亡した)ジョージ・フロイド氏は息ができないと言った。それと同じような状況ではないかと思う」と述べ、北朝鮮に対する経済制裁をあくまでも続けるとする「米国のせいだ」との論陣を張った。

 しかし、北朝鮮に対する経済制裁は国際社会の総意に基づくものであり、北朝鮮核ミサイル開発を停止するまで続けるべきものである。

 この北朝鮮に対する徹底的な弱腰ぶりが文在寅政権の体質(拙書『文在寅の謀略―すべて見抜いた』参照)だと言ってしまえばそれまでであるが、北朝鮮の挑発を抑えるために今最も重要なことは、北朝鮮が軍事行動をできないようにすることである。それには米韓同盟を再度強化していく以外ない。

 北朝鮮は米国に対しては、長距離弾道ミサイルの発射を控えている。それは米国の報復を恐れているためである。しかし、韓国はその米国との関係がギクシャクし、在韓米軍の駐留経費や、米中関係の狭間でどっちつかずの対応で米国の不信を招いており、トランプ大統領の陸軍士官学校での発言を招くような愚策を取り続けている。

 今早急にすべきことは、米国の制裁を非難することではなく、米韓関係を立て直すことである。韓国政府・与党には現在の状況を感情的にとらえるのではなく、現実を客観的にながめるよう期待したい。

北朝鮮の挑発は軍事行動にエスカレート

 6月16日午後、開城にある南北共同連絡事務所を爆破した北朝鮮は、すぐさまその映像を公開した。これは文政権への「見せしめ」である。

 爆破された南北共同連絡事務所は、2018年の南北首脳会談の結果、南北融和の象徴として建てられたものであり、韓国の文在寅大統領が南北和平プロセスの代表的功績とするものだ。これを破壊するということは、韓国政府に対する打撃を最大化する目的があると見るべきだろう。

 同時に、連絡事務所の破壊は南北関係の清算を意味することを覚悟しなければならない。文政権の南北政策にとって大きな痛手である。

 こうした事態を受け、韓国政府はさすがに「最近の北側の一連の行動は北にとって利にならないだけでなく、これによる全ての事態の結果は全面的に北側が責任を負わなければならない」と警告した。初めて北朝鮮に対し、このようなまっとうな対応に出たが、それでも北に特使派遣を打診して金与正党第一副部長から拒否されている。今の北朝鮮の状況を特使派遣で打開するなどありえないだろう。

 一連の事態を受け、金錬鉄(キム・ヨンチョル)統一相が辞意を表明した。これは文在寅政権の対北朝鮮政策の崩壊を象徴する出来事である。

 今回の件に先立つ6月13日北朝鮮は韓国を「敵」と規定したのに続き、軍事行動の可能性を示唆していた。金正恩朝鮮労働党委員長の妹である金与正氏は同日の談話で、「次回の敵対行動の行使権は我が軍総参謀部に与えるつもりだ」「わが軍隊も人民の怒りを和らげるために何かを決心して断行すると信じている」と述べていた。

 その結果が16日の南北共同連絡事務所の爆破だった。

 さらにこの日、朝鮮中央通信は、次の軍事行動について、軍総参謀部は非武装地帯に再度軍隊を送り、前線を要塞化して韓国に対する軍事的脅威を強める措置を取るよう、統一戦線部などから意見があったことを明らかにした。

 ここでいう非武装地帯とは、南西部の開城(ケソン)と南東部の金剛山(クム・ガンサン)一帯と見られ、ここに再び軍を駐留させるということは、2018年の南北合意を反故にしようということだ。

 北朝鮮は、もう完全に南北合意を破棄する意思を固めている。韓国政府はその現実を直視しなければならない。そして、これまでと同様に南北合意の順守を叫ぶだけでは問題の解決に資さないことを悟らなければならない。それは、文在寅政権の土台を揺るがすものかも知れないが、韓国の国益、安全を優先すべき時が来ていることを理解しなければならないのだ。

北朝鮮融和政策はもはや終わりを告げる時

 16日に南北共同連絡事務所が爆破される直前まで、韓国の与党・共に民主党の執行部と議員らは、北朝鮮の軍事挑発の予告に対し、「その立場を理解する」という趣旨の主張を続けていた。文在寅大統領を冒涜する北朝鮮に対し、厳しい姿勢で臨むのではなく、韓国と米国の責任論を提起し、北朝鮮向けビラの散布禁止に加え、「韓米合同演習の中断」まで主張し始めていたのだ。

北朝鮮向けビラを禁止しなかったのは政府の職務遺棄」

「今、北朝鮮は非常に困難な状況にある。今も継続する制裁によって経済が大変で、コロナまで重なった。南北関係において大きな期待はできないし、対米交渉はほぼ無効化した」

北朝鮮はその挫折感と失望を極端な形で表現している」

「米国の北朝鮮に対する制裁は解除すべきだ」

「制裁と圧迫一辺倒の対北強硬政策では、北朝鮮の非核化も達成できないし、東北アジアで冷戦秩序を強化するだけだ」

——これらが親北与党の論理なのである。

 確かに、北朝鮮は今未曽有の危機にある。最も豊かなはずの平壌でさえ、長期にわたり配給が停止された。地方で抗議活動が発生しても従来のように強硬に取り締まることはできず、取り締まりを緩和して妥協せざるを得ない状況が生じている。

 北朝鮮は経済の自力更生で困難を乗り切ろうとしてきた。しかし、経済制裁に加え、新型コロナ感染症の流行で、中朝国境封鎖をせざるを得なくなったための食糧、生活物資不足が大きな痛手となっている。そのため国内の引き締めと文政権への責任転嫁を行っているのである。

北朝鮮は非核化を受け入れない

 国際社会の対北朝鮮制裁は北朝鮮核ミサイル開発が原因である。これまで北朝鮮は6回の核実験を行い、全世界を攻撃できる大陸間弾道弾の開発も進んでいる。

 北朝鮮は、ベトナムにおける米朝首脳会談で古びた核施設寧辺(ヨンビョン)の廃棄の対価として、全面的な制裁解除を取り付けようとしたが、米国に拒否された。それは北朝鮮が昨年平壌南部の降仙(カンソン)濃縮ウラン施設を稼働させ、核弾頭の保有量を増やしているからである。それによってストックホルム国際平和研究所(SIPRI)は北朝鮮が保有する核弾頭の数を30~40発に上方修正した。金正恩氏は、文大統領の助言を得て、寧辺の廃棄を言ったのであろうが、トランプ大統領をだますことはできなかった。

 このほか北朝鮮には、黄海北道平山と平安北道博河、慈江道下甲一帯にも核施設が存在する可能性がある。金正恩委員長は、北朝鮮は非核化はしない、と述べている。

 北朝鮮が核・ミサイルの保有実態を誠実に申告し、長期的な廃棄計画に合意すれば、制裁解除の道は開ける。しかし、金正恩氏が「北朝鮮は非核化しない」と言ったので、それを前提にいつまでも北朝鮮制裁が続けられている。そこに疑問を呈しているのが、韓国の親北与党だ。

 米国ヘリテージ財団のクリングナー上級研究員は「文在寅政権は哨戒艦『天安』撃沈事件の謝罪も受けずに対北制裁解除を推進し、北朝鮮大量破壊兵器プログラムに関する国連決議に違反し続けているのに文大統領北朝鮮に経済的支援を繰り返し行ってきた」と述べた(朝鮮日報)。

 そして北朝鮮は、韓国の甘い顔に感謝するどころか、それをいいことに、より多くのものを求め圧力を強化してきた。文政権は、北朝鮮が何をやっても追従してくる。北朝鮮の「せい」にするのではなく、韓国、米国の「せい」にする、という確信がさらなる挑発を生んでいるのである。

米韓同盟の再強化を急げ

 米韓の間では、在韓米軍の駐留経費を巡って未だに調整がつかないでいる。トランプ大統領は、米国が韓国を防衛する代償としてこれまでの9億ドルではなく、その5倍以上の50億ドルの負担を求めている。韓国には北朝鮮から韓国を守る目的で、米軍兵士2万8000人が駐留している。

 これに対し韓国政府は、19年比13%増を増やす提案を行ったが、トランプ大統領はこれを拒否したという。その後、韓国側は軍基地で働く韓国人職員の人件費を2020年末まで全額(約2億ドル)負担することになったが、駐留経費についての合意には至っていない。

 また、米韓は昨年春に2つの大規模な合同軍事演習「フォーイーグル」(戦力を動かす野外機動訓練)と「キー・リゾルブ」(シミュレーション中心の指揮所演習)を打ち切った。今後は規模を縮小した新たな訓練に切り替えるという。

 国防総省は終了の理由について「緊張を緩和し、朝鮮半島を完全な非核化を実現する外交努力を後押しするため」と説明しているが、これは米韓国防相の電話会談で決まったもので、韓国の要請を受けてのことのようである。米韓合同演習は2020年新型コロナの影響で規模を縮小している。

 このように在韓米軍を巡って、米韓安保体制は非常に危険な状況になっている。

 米軍については、トランプ大統領ドイツに駐留する米軍を9月までに9500人縮小する計画という報道が流れている。米ホワイトハウスは「今は発表することはない」としているが、ドイツを離れる米大使が、駐留経費問題で駐留軍の縮小について長い間議論があったと認めている。

 これは在韓米軍の縮小にも跳ね返ってくる危険性がある。在韓米軍が実際に縮小されれば、北朝鮮の挑発は一層激しくなるだろう。

米中の緊張関係に背を向けることはできない

 米国は信頼できるパートナーとグローバルサライチェーンを再編するとして新経済同盟構想「経済繁栄ネットワーク」(EPN)への韓国の参加を要請した。韓国をG7首脳会談に招待するのは、中国に対する包囲網に韓国を取り込むためである。

 韓国政府はこれまで安保は米国、経済は中国との関係を重視してきた。米国がファーウェイへの包囲網を構築しようとしている時に、韓国政府はどちらの立場も取らず、対応を各企業に一任するようなあいまいな態度であった。

 しかし、米中関係は新たな冷戦関係に入っている。単なる経済問題ではなく、経済安保の覇権を争う状況を呈している。韓国は、中国包囲網への参加要請に対しG7+4の場でどう立ち回るつもりなのか。韓国は、G7に参加するような国になったのであれば、これまでのように中堅国として振舞うのではなく、主要先進国として責任ある立場で対応するべきである。

韓国は米韓同盟の重要性を再認識すべき

 韓国政府がここでどう振舞うかによって米韓関係は大きく左右されるだろう。トランプ大統領が「遠い国の紛争」という認識を持つのは、韓国を同盟国として信頼していない証でもある。それは今後一層の北朝鮮の圧力として跳ね返ってくるであろうし、文政権の対北朝鮮政策の失敗につながるであろう。

 文大統領北朝鮮の軍事行動をけん制するため直ちにするべきことは、トランプ大統領との電話会談であり、米国とのギクシャクした問題の解決に道筋を付け、米国が韓国の後ろに控えていることを北朝鮮に認識させることである。ただ、親北政策を進めてきた文大統領に、まったく従来とは異なった判断ができるだろうか。いつまでも北朝鮮寄りの態度を取る場合には、国際社会からも見放されることを自覚すべきである。

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