2020年6月5日午後,病気療養中の横田滋氏が老衰のため87歳で亡くなった。半生を捧げた拉致被害者救出活動にもかかわらず、愛娘のめぐみさんを抱きしめることは叶わなかった。

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 滋氏は日本銀行新潟支店で勤務していた1977年、長女のめぐみさん(当時13歳)が失踪する。20年後の1997年2月に北朝鮮による拉致の可能性を産経新聞が報道し国会でも取り上げられると、翌3月に日本各地の被害者家族とともに家族会を結成し代表に就任した。

 以来、妻の早紀江氏とともにすべての都道府県を巡回して救出を求める署名活動や1400回を超える講演を重ね救出運動に尽力する。

 拉致被害家族の象徴的存在として活動を続けるが、持病に加え、長年の活動の疲労も加わって2007年に代表を退く。しかし、世論の関心を維持するため定期的に病院で検査を受けながら各地で被害者の帰国を訴え続けた。

 滋氏の死を聞いて筆者の心中を過ったのは、横田氏の無念さもさることながら、日本のマスコミ政治家たちの頼りなさ、不甲斐なさに対する怒りであった。

 そして、一体全体、ジャーナリスト政治家たちは、めぐみさんをはじめとした拉致被害者たちを「わが家」の問題として考えたことがあるのだろうかという懐疑であった。

横田夫人のコメント

 早紀江夫人は「報道機関各位」として、息子2人との連名で要旨下記のコメントを出したが、どんな心境かと思いを巡らすと、いたたまれない気持ちになった。

「これまで安倍総理大臣をはじめ多くの方々に励ましやご支援をいただきながら、北朝鮮に拉致されためぐみを取り戻すために、主人と二人で頑張ってきましたが、主人はめぐみに会えることなく力尽き、今は気持ちの整理がつかない状態です」

「報道関係者の皆様におかれましては、主人との最後の時間を大切に過ごし、心安らかに見送ることができますよう自宅及びその周辺・葬儀会場及びその周辺における取材や写真撮影はご遠慮いただきますようお願い申し上げます。お電話での取材もご遠慮願います」

 ざっくり言って、謝絶である。

 行間からは、わが娘をはじめとした拉致家族たちがどんな思いで、過ごしてきたか。報道関係者は、事実が判明した以降も国民に周知し、政治家をして被害者を一日も早く救出せざるを得ないような心境にさせるどれほどの努力をしたかと問うているようである。

 憲法の精神や日本人的感覚からすると、人命は至上で、ここ数年でいえばモリカケや「桜」問題、さらに遡ればその他諸々あった中でも本来は上位に位置づけられるべきものではなかったか。

 手元に拉致問題を報道し続けた元産経新聞記者・阿部雅美著『メディアは死んでいた〈検証 北朝鮮拉致報道〉』がある。

 あちこちの講演に一緒に行動した阿部氏は、労わりあって歩く夫妻の後ろ姿に心を打たれたという。

「親は子のためにこれほどまでに身を削れるものなのか」と阿部氏が問いかけると、早紀江氏は「親は、だれでも、そうなると思います。やりますよ。気が狂うほど。絶対に」と言われ、続けて「そうなっていらっしゃらないから、そう思われるだけで。ご自身、そういうお立場、私の立場になれば、きっとそうされると思います」と、ピシャリと言われたそうである。

「事件か、事故か、家出か、自殺か。何も分からないまま、暗く、長いトンネルの中にいた」

「発狂しそうでした。本当に悲しくて。絶叫しながら浜辺を走ったり、ふらふら街をさまよったり。いろいろな人に、いろいろなことを言われて。苦しくて、死にたいと思うぐらいだった」とも。

 高校生になった息子(双子の弟)が「元気だった子が突然、パッと家の前で消えて、こんなに長い間、何も分からないというのは、よっぽど大きな組織というか、歯車の中に入れられてしまったのではないか」といったそうである。何かが閃いたに違いない。

 そうした思いも募っていたからか、めぐみさんが居なくなって10年後の1987年暮れ、大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫が自殺防止のため口をふさがれ、両脇を捜査員に抱えられて飛行機のタラップを降りる姿を見た瞬間、「まさか、もしかしてだけど、めぐみちゃんじゃないのかなと・・・。めぐみちゃんも、こんな目に遭っているんじゃないか、って」思ったそうである。

めぐみさんへの手紙

 そして20年過ぎた1997年1月、元参議院議員秘書の兵本達吉氏から、めぐみさんが拉致されて北朝鮮で生きていると電話で知らされる。

「親がすべきことは一つしかなかった。助けることだ。それがかなわない。ようやく抜けた闇の先に、またトンネルが待っていた」という。

 しかし、「(居るところが)分かっているのに、何もできない」ことの方が、先の20年よりも苦しかったという。

 広島から新潟へ来て間もなく発生した事件である。夫人は歌に思いを託している。「はろばろと、睦み移りし雪の街に 娘を失いて海鳴り悲し」。

 出席するはずの娘の中学校卒業式の日は「巣立ちし日 浜にはなやぐ乙女らに 帰らぬ吾娘の名を呼びてみむ」

 早紀江さんは拉致されたわが愛娘への思いを手紙として「産経新聞」紙上で書き続けてきた。あれから40年経った今も心の中では13歳の娘なのだ。

 平成29年8月15日の手紙は、「めぐみちゃん、こんにちは。日本はとても暑い夏の日が続いています。そちらでは、どんな夏の日を迎えていますか。お父さんとお母さんは年を取って、夏の暑さや日差しがいよいよ辛く、苦しくなってきましたが、あなたが元気に日本へ帰って来ることができるよう日々、祈りながら、支えてくださる多くの方々とともに一生懸命、頑張っています」と書き出す。

 夫人は終戦時小学校4年生で、とてもひもじい思いをし、ツツジの花の蜜を吸って空腹をしのいだことなどに触れ、「戦争は人間の生きる権利を奪う行為」といい、「拉致問題も戦争と同じように、人間が幸せに生きる喜びを無残にも奪うものです」と断罪する。

首相や拉致担当相の決意

 安倍晋三首相自身が1994年から関わってきたというように、最も長くかかわっている案件かもしれない。そのためにも、自分の内閣で解決を図りたいという思いはごく自然な姿でもあろう。

 年明け早々の通常国会では憲法改正オリンピックパラリンピック開催関連、中国の習近平国家主席の国賓来日問題などなどが議題になると思われていた。

 特に、国賓問題では国民の多くが疑問に思っているばかりでなく、与党議員の中にも反対の声が上がっていた。中国の人権をはじめとする各種問題に対する対応に疑問が持たれているからだ。

 ところが、令和2年の年明け早々に開幕した通常国会は「新型コロナウイルス」問題一色になってしまった。

 生命を危険にさらすコロナが焦点になることは致し方ないとしても、そうした中で娘をはじめとする拉致被害者の救出に半生を投じた横田滋氏の死去が伝えられた。

 自分の内閣で拉致被害者を取り戻すと言い続けてきた安倍首相は私邸で記者団の取材に応じ、「(妻と共にめぐみさんを抱きしめられる日が来るように努力してしきたが実現できず)申し訳ない思いでいっぱいだ」と目に涙を浮かべながら述べた。

 また、菅義偉官房長官拉致問題担当相は6月12日の衆院拉致問題特別委員会で、「もはや一刻の猶予もないとの思いを胸に改めて刻み、問題解決に向けてあらゆるチャンスを逃さないとの決意で臨む」と語った。

 その上で、菅氏は「拉致問題解決に向けて米国をはじめとする関係国と緊密に連携し、あらゆる外交上の機会を捉えて拉致問題を提起していく」と重ねて強調。

「わが国自身がこの問題に主体的に取り組むことが重要だ」とし、「拉致問題の解決には日本国民が心を一つにして、すべての拉致被害者の一日も早い帰国実現への強い意志を示すことが重要だ」と訴えた。

 諸外国では首相が決意を示せば、賛同できる案件については、首相の決意を実現すべく、議員は立法に努力する。しかし、日本では「笛吹けど踊らず」である。

 衆議院議長が「総理大臣の意向を踏まえて」などと言おうものなら、三権分立をどう考えているのかと詰問される羽目となるのが落ちであろう。

 本来は首相や議長らの言を待つまでもなく、議員が相互に切磋琢磨して立法するなり、行政(官僚)を動かすべく行動して、国家の意思が顕示されなければならない。首相がいくら「自分の内閣で」と繰り返しても、外交交渉だけで解決しないことは目に見えている。

 付言すれば、自衛隊には拉致被害者を救出したい隊員がたくさんいるが、政治が許さないのだ。

野党議員の認識違い

 2月の国会では早咲きか狂い咲きかも判然としない「桜国会」一色に野党は染め上げた。その折、約50分の質問時間を持っていた辻元清美議員は「タイは頭から腐る」云々と、質問というよりも首相や内閣をなじることにほぼ全時間を費やした。

 応答のできるような質問でもないし、辛抱強く聞いていた首相もさすがに我慢の緒が切れたか、「意味のない質問」と呟くと、これがまた委員会を止める騒ぎに発展した。野党の仕掛ける罠にはまる首相もいけないが、国会を議論の場と弁えない野党が情けない。

 コロナ問題も一応の峠を越した6月9日、質問に立った辻元委員は「あのね、本当は国会をやめたいんでしょ? 国会で議論せずに自分たちだけでやりたいんでしょ?」「国会で質問されるのが嫌だから、早く閉じたいと思ってるんでは?」などと、コロナのコも語らずに延々と恥じらいもなく述べ続けた。

 そうした問答に時間を費やしながら、最後に「会期末までに期間がないからじっくり議論するために延長をお考えになってはいかがですか」と、自分が貴重な質問時間を浪費していることには無関心だ、いや矛盾を矛盾と感じない鈍感さである。

 ネットを見ると、「立憲民主党はいらない、立憲民主党って恥ずかしい」「会議や委員会を途中退席したり、欠席する奴らが何を言っているんだか?」「立憲民主党の辞書には建設的な議論という言葉がないのね、今更だけど」など、多数掲載され、批判が殺到している。

 先の桜国会の2月17日立憲民主党は3時間の持ち時間全部を「桜」に費やしている。このときは、日本ではダイヤモンド・プリンセス号の感染が大きな問題になっていた。維新の会はたった22分の持ち時間でしかなかったが、武漢肺炎について質問している。

 野党は倒閣したい、とにかく安倍内閣とは本質的な質疑をしたくないと思っているのかもしれないが、国民が選び、支持率も立憲民主党をはじめとする他党より5倍も10倍も高い自民党である。

 質問時間の野党への優遇は、少数野党といえども、国民の福利に資する建設的な意見を聞くためにあるのだ。それをコロナ対策に充てるどころか、無意味に過ごす横暴は許されない。

 横田氏の死は、内閣の過誤というよりも、野党がこの何十年にもわたって質問時間で優遇されながら、拉致問題で政府を動かす立法を避けてきた結果ではないだろうか。

 いまだに政府が認定した拉致被害者12人のほかに、拉致と思われる数百人の日本人北朝鮮にいる。

 コロナは自分の生死にかかわる問題ではあろうが、拉致は日本国民を包摂する国家主権の問題である。

 国民から選ばれた議員が国家と国民を忘れては本末転倒である。拉致被害者の両親は限界にきている。今すぐ、歪んだ意識を戻し(緩んだ褌を締め直しというべきか)、国会を延長し日夜を通してでも日本国家と日本人の安全を議論し立法し、政府に果敢な行動を促すべきではないだろうか。

終わりに:国防崩壊が始まっている

 戦後の日本は、婚姻の自由(憲法24条)から家庭崩壊が起き、日本を否定する教育で学級崩壊をもたらした。

 今次のコロナは世界の多くの国で医療崩壊をもたらしている。日本では自分の命が懸かっていることが目に見える状態にあることから、国民の積極的な協力もあり、医療崩壊の危機を乗り越えて崩壊には至っていない。

 しかし、少子高齢化は社会崩壊をもたらそうとしており、またイージス・アショアの中止に見るまでもなく、すでに国防崩壊が起きている。

 医療崩壊と違い、国防崩壊はサイバーなども含めた目に見えない戦争に国民が敗れた結果として初めて顕現する。何とか持ちこたえている間は、他の諸々の崩壊と異なり、国民には「崩壊」が見えない。

 家庭崩壊も学級崩壊医療崩壊も、また社会崩壊も途中経過が目に見える形で起きる。しかも、各家庭、地域などが密接にかかわっており、また身近な問題として何とかしなければならないという意思の統一も持ちやすい。

 しかし、こと国防に関しては、「日本の存続」という基本的ですべての大前提でありながらも、憲法が国際社会の善意を信じて無防備(個人に国防の必要性を教えず、自衛隊は存在するが軍隊でなく国防に任じ得ない)でやってきた。

 コロナ問題を発端に、中国の強引さも目に余るものがあり、国際社会はいよいよ険悪さを増している。その余波は日本に当然及ぶ。医療崩壊が教えた教訓は、次なる国防崩壊を未然に防ぐ手立てに今すぐ着手すべきであるということにほかならない。

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亡くなった横田滋氏(右、左は妻の早紀江氏、2014年3月19日、写真:AP/アフロ)