【イングランド発コラム】30年ぶりのリーグ優勝に見えた、選手に課す「ハードワーク」と「寛容性」
優勝前夜となった24日のクリスタル・パレス戦に、4-0で勝利した直後の記者会見では、「試合は観るが、セレブレーションの準備はしない」とクールに語っていたくせに、翌日にマンチェスター・シティがチェルシーに予期せぬ敗戦(1-2)を喫してテレビの生中継にリモート出演すると、「喜び、安堵、チームを誇りに思う気持ち、様々な思いが激しく入り混じっている」と、ユルゲン・クロップ監督はくしゃくしゃな表情で語った。その涙に濡れた顔を見ながら、今のリバプールでこのドイツ人ほど愛されている男はいないと確信したのは、筆者だけではなかったはずだ。
あまりにアドレナリンが出すぎて、瞳孔が開いたまま敗戦後の会見に応じたシティのジョゼップ・グアルディオラ監督が、「昨季、最終戦までウチと競り合い、1点差で優勝を逃したが、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)を優勝して途方もない自信を身につけ、1試合1試合を最終戦のように戦った」と語り、リバプールの今季の独走を端的に分析した発言は的を得ていた。
昨季のリバプールはわずか1敗で、プレミアリーグ史上3番目の勝ち点となる「97」を記録しながら、「98」のシティに1点差で優勝をさらわれた。その悔しさは筆舌に尽くしがたい。
ところがCL準決勝バルセロナ戦の奇跡を経て、その前年に涙を呑んだトッテナムとの決勝を2-0で制して欧州チャンピオンとなった。この悔しさのテコと欧州最強となった自信のバネが、今季の信じられない独走を生んだ。
ただし、そのテコとバネをここまで強靭にした人物は誰だったのか。その答えは、あまりにも明らかだ。そう、30年ぶりのリーグ優勝をリバプールにもたらした原動力は、ユルゲン・クロップその人である。
サッカーファンなら解説する必要もないと思うが、現在のサッカー界において大きな戦術的潮流は二つ。ポゼッションとプレスである。この二つの戦法を象徴する監督がグアルディオラとクロップ。前者には超人的なスキルが要求され、後者には不死身の体力が要求される。
クロップのプレス戦法の代名詞は、言わずと知れた「ゲーゲンプレス」だ。最近ではイングランドで、クロップが「カウンター・プレス」と英語に言い換える機会が増えているが、相手陣営で組織的にプレスをかけ、高い位置でボールを奪い、そこからショートカウンターを繰り出すサッカーは、まさに一撃必殺の決定機を生む。しかし並外れた体力が要求されることは周知の事実である。
走れ、戦い続けろ、ボールを奪ったらすぐに反撃だ。そんなきついサッカーを選手に強いるわけだから、相当な指導力が必要だ。効果的でエンターテインメント性も高いサッカーだから、やりたがる監督も増えた。しかし、やはり本家本元のクロップほど成果が上がっている監督は他に思い当たらない。
筆者が痺れた一言、サッカーとは「ミスを取り戻そうと必死になる時間が圧倒的に長い」
それでは選手にきついサッカーをやらせて結果を出すクロップの源には、何があるのか。そこに迫ってみよう。
まず明らかなのが、試合中のタッチライン上でも見せる、火の玉のような情熱だ。
その情熱で選手を鍛えに鍛え、編み出した怒涛のようなゲーゲンプレス戦法を自ら「ヘビーメタル・フットボール」と呼び、90分間激しく戦い抜くサッカーを顕在化した。結局、それがクロップの見たいサッカーなのだ。
それがクロップ自身が見て、血湧き肉躍るサッカーであり、人生のすべてを捧げて追求したいサッカーなのである。
またその原型には、我々がこれまでのワールドカップ(W杯)で何度も目撃し、驚愕したクロップの母国ドイツ代表のサッカーがあるのではないだろうか。いわゆる「ゲルマン魂」のサッカーである。
ドイツ人闘将の心象風景には、母国の栄光を支える不撓不屈のサッカーがあるはずだ。そしてその決して諦めない心が、クロップの情熱を燃やし続ける原料なのではないだろうか。
さらにクロップには、その永遠に燃え続ける情熱を支える確固たる哲学もある。
その哲学に触れたのは、昨年暮れに日本代表MF南野拓実のリバプール移籍が決まり、定例会見で直接尋ねた質問がきっかけだった。
筆者はシーズンの折り返し地点で、鬼神の強さを見せつけ、プレミアを完全に独走していたリバプールについて「あなたが描く完璧なサッカーを実現しているチームではないのか?」と聞いた。するとクロップは、質問の中に含まれていた“パーフェクト”という言葉に鋭く反応した。
「完璧なサッカーというものは存在しない。確かにサッカーの試合中に完璧な瞬間はある。例えばマンチェスター・シティ戦の2点目。トレント(・アレクサンダー=アーノルド)が右サイドから50ヤード(約46メートル)のサイドチェンジパスを出すと、逆サイドで受けたロボ(アンドリュー・ロバートソン)がトップスピードに乗ったまま、ポンポンと2タッチしただけで強烈なクロスを叩き込む。そのボールの先には、どこからか現れたのかさっぱり見当もつかないモー(モハメド・サラー)がいて、ワンバウンドの難しいボールにいとも簡単に頭を合わせた。あれは完璧な瞬間だった。
しかし、そんな完璧な瞬間が90分間続くわけがない。だから私は、完璧なサッカーなどというものを思い描いたことがない。それにサッカーの試合というものは、完璧な瞬間を作ることよりも、自分の犯したミスを取り戻そうと必死になる時間のほうが圧倒的に長い。それは人間の人生にも共通するものではないだろうか」
この言葉を聞いて、筆者は痺れた。文字通り、全身に電流が流れたような感覚だった。この言葉を聞いて今シーズン、リバプールが相手に先制されても必ず逆転する理由が、まさに頭の中で閃くように理解できた。
クロップ監督が「ミスを肯定する」からこそ生まれた逆転劇の数々
開幕当初、英ブックメーカーは今季もシティを優勝の本命にした。それはやはり、ポゼッションを支配するテクニカルなサッカーのほうが、結果が安定するからだろう。
確かにボールを支配すれば相手にチャンスを与えないし、決定機のクオリティーもグアルディオラのシティに軍配が上がるのかもしれない。しかし今季のリバプールは、そんな“安定”に反逆するかのように、何度ミスを重ねようと、執拗に、怒涛のように、試合が終わる最後の最後の瞬間まで、ゴールを目指すサッカーをした。だからこそ、先制された6試合中4試合を逆転し、1試合を引き分けに持ち込んだ。
その最たる試合が、昨年11月2日の第11節アストン・ビラ戦。1点をリードされて後半42分に追いつき、サディオ・マネがアディショナルタイム4分に決勝弾を決めた。
話は前後するが、ベテランのジェームズ・ミルナーがアディショナルタイム5分にPKを決めた10月5日のレスター戦(2-1)も忘れられない。まさに見ているだけで体がガチガチに凝り固まるような重圧がかかった場面で、ミルナーは事もなげに決勝点をもぎ取った。
この精神力の源に何があるのか。それはドイツ人闘将の猛練習に耐え、強靭な体力を身につけ、ゲーゲンプレスを体得した選手だけに許される「監督の寛容」とでも言えばいいのか。
クロップは、「サッカーにミスはつきもの」と考える監督なのである。だからどんな決定機でゴールを外しても、どんなにみっともないクリアミスで失点しても、クロップは許す。そのミスを取り返す体力はあるはずだ、さあ、何度でも挑んで、自分のミスを取り返せばいい――。
現代の欧州トップレベルのサッカーで、選手にかかるプレッシャーは一体どれほどのものだろうか。大袈裟ではなく、一つのミスが選手のサッカー人生を狂わすこともある。
しかしリバプールのボスは、“人間のやることに失敗はつきもの”とミスを肯定する。だからサラーやマネが、そしてロベルト・フィルミーノが、いとも簡単なチャンスを逃しても、あっと驚かせるようなスーパーゴールでミスを取り返してしまう。リバプールの選手にとって、失敗は恐れるものではなく、取り返すものなのだ。
しかもクロップは、自分が鍛えた選手をとことん信頼する。
主将ヘンダーソン「彼の言葉で“もっと強くなれる”って信じられたんだ」
「勝った時に飛び跳ねて、確かにお祭り騒ぎさ。でも彼の本当に凄いところは、負けた試合で発揮されるんだ。これは彼がやって来てからずっと感じることだけど、“信頼されている”って本当に強く思う。ヨーロッパの決勝で2度も負けた。でも彼の言葉で“もっと強くなれる”って信じられたんだ」
この主将ジョーダン・ヘンダーソンの優勝談話を聞くと、監督と選手の信頼関係の厚さにもまた痺れるような思いがした。こんなふうに監督の信頼を実感していたら、選手はどんなことをしても自分が犯したミスは取り返したいと思うに違いない。
30年ぶり、しかもプレミアリーグと名称変更してからは初のリーグ優勝であるが、これがリバプールの新たな黄金期の幕開けであることは間違いない。無論、冒頭で記したように、初優勝で無邪気に涙を流して、さらにファンの心を鷲づかみにしたユルゲン・クロップが指揮を執り続けることが、その絶対条件ではある。(森 昌利/Masatoshi Mori)
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