7月1日に開幕する将棋の木村一基王位(47)に藤井聡太七段(17)が挑戦する第61期王位戦七番勝負。今回の七番勝負は、昨年史上最年長となる46歳で初のタイトル「王位」を獲得した木村に史上最年少のタイトルを狙う藤井という構図が注目されている。

 木村は23歳という遅い年齢でプロデビューし、6度のタイトル挑戦をことごとく失敗し、7度目でようやくその座を掴んだ。そうしたことから「中年の星」と呼ばれたり、自らを「将棋の強いおじさん」と称したりする。

 だが、そんな木村のことを一般の人はどれだけ知っているのだろうか。民放の情報番組で野球とサッカー以外の勝負事を扱う時に私がいつも気になるのが、必ず一人の「スター」のみに注目することが多い点だ。今回も「藤井が最年少タイトルを取れるか」といった点にもっとも注目が集まっている。将棋ファン以外の一般視聴者は藤井に勝ってほしいと思っているだろう。だが、こうした見方よりも、両棋士に関する知識を持った方がより王位戦は楽しめる。

 今のテレビの状況だと、あくまでも将棋は「藤井の一挙手一投足に注目する芸能ニュース」のようになっているのだ。そこで、木村の半生を描く本『受け師の道 百折不撓の棋士・木村一基』(樋口薫著・東京新聞)を読み、今回の王位戦をより深く楽しむことにした。

 なにしろ藤井については、「勝負メシは天丼が多い」「彼が食べた勝負メシを食べようとその食堂に人が押し寄せる」ことや「将棋会館ではクリアファイルがよく売れた」「愛知県からの移動が大変」など、様々なワイドショーネタを知ることができる。

 ところが、テレビでは木村に関して情報が少ない。そこで本書を読んでみたのだが、木村と同じく1973年まれの私にとっては親近感が湧く人物だった。いくつか箇条書きで共感ポイントを挙げる。

2009年王位戦で元から交流のあった2歳上の深浦康市九段に挑戦した木村は3連勝の後4連敗を喫する。それにより二人の会話が途絶える。深浦は「こちらから声は掛けづらかった。仕事も対局も重ならず、きっかけがなかった」と語った。

・だが、王位の就位式には深浦も駆け付けた。おそらくこのわだかまりは解けたのだろう。

・本書を執筆するにあたり、深浦を含めた関係者がことごとく取材に快く応じてくれた、と著者は記す。

・木村はとにかくよく泣く。本書にはトークショーの様子も収録されているが、こんな記述がある。<まあ、今年の目標はなかないことです(会場笑い)。実は、弟子(高野智史五段)も違うところ(新人王戦)で優勝しまして、その表彰式の時にもちょっと泣いてしまったんですね。ですので、今年は涙腺が緩まないように、強くするというのが目標の一つです>

・木村はとにかく酒が大好きだし、酒席で人々と交流するのも好き、時にベロベロになる。

 こうしたことを知ると、より木村という棋士への興味が湧くのではないだろうか。ここで話はメディアによる「スター優遇傾向」や「安易にヒーロー・悪役を分類する」ことに戻る。本書にもこんな記述がある。2009年の「棋聖戦」で羽生に挑んだ時の話だ。

前夜祭あいさつで、中立のはずの関係者から「羽生棋聖の防衛を祈念しています」との言葉が飛び出し、思わず口をポカンと開けた>

 関係者の場合は「羽生が勝った方がメディアも大々的に取り上げてくれる」と考えるだろうし、将棋の熱心なファン以外であれば羽生の勝利を期待するだろう。今回の王位戦でも、藤井に勝ってもらいたいと考える人が多いはずだ。「その方が将棋界が盛り上がる」と言いたくなるだろうが、なぜ、一人のスターまつりあげる形式がまかり通ってしまったのか。

男子ゴルフではかつては石川遼、今は松山英樹。女子ゴルフでは今は圧倒的に渋野日向子だ。本当は鈴木愛の方が強いにもかかわらず、渋野が全英オープンで優勝したことと笑顔がかわいい、ということで鈴木の取り上げられ方が少ない。かつて不動裕理が圧倒的な強さを見せていた時も華やかな古閑美保に注目が集まっていた。囲碁の世界でも「天才少女」と呼ばれ、10歳という史上最年少でプロになった仲邑菫ばかりが取り上げられている。

 時代を超えてもこの傾向はある。バドミントンでもかつては“美形ペア”として知られる「オグシオペア(小椋久美子・潮田玲子)」がかなり長い時間をかけて報じられていた。北京五輪8位のこのペアに比べ、リオ五倫金メダルの「タカマツペア(高橋礼華・松友美佐紀)」は明らかに注目度は低かったし、テレビから引っ張りだこになることはなかった。

 そして将棋である。ここ3年ほど一般的なテレビ視聴者は藤井の名前しか知らない場合も多いのでは。或いは現在も開催中の第91期ヒューリック杯棋聖戦で藤井が渡辺明棋聖に2連勝したことから、渡辺の名前は把握しているかもしれない。

 だが、それ以外の棋士の名前は一般的にどれだけ知られているか。頻繁に報じられていたのは谷川浩司羽生善治の2人に加え、バラエティー番組で人気を博した「ひふみん」こと加藤一二三九段ぐらいなのでは。そして、師匠の杉本昌隆八段も注目されているが、あくまでも「藤井がいかに強いか」「藤井が強くなったことが嬉しい」といったことを言わされる役として登場している。

 もちろん将棋専門メディアはこのような勧善懲悪的な安易な報道をせず、全棋士へのリスペクトをもって報じている。だが、一般の世界に将棋という特殊な世界を持ち込むとなると途端に一人のスターに注目するようになる。

 今回の王位戦はぜひとも木村の人となりやこれまでの苦労なども知ったうえで観戦に臨めばより楽しめるだろうし、表情の一つ一つに込められた思いや終局後の感想戦で2人が何を語るかもよりその言葉の真意を理解できるはずだ。

文/中川淳一郎(編集者
スター藤井聡太七段に立ちはだかる“中年の星”木村一基王位のストーリー 王位戦を楽しむために知るべきこと