雪が降り積もる、冬の金日成総合大学と筆者

 2019年7月4日北朝鮮金日成総合大学に通うオーストラリア人留学生アレック・シグリー氏が国外追放された。

 朝鮮中央通信はシグリー氏が「反朝鮮謀略宣伝行為」を働いたとして6月25日スパイ容疑で拘束、人道措置として釈放したと発表。北朝鮮の数少ない外国人留学生として、日々新たな情報発信をしていた彼を襲った急転直下の事態に、北朝鮮ウォッチャーの中では驚きが走った。

 当連載では、シグリー氏が北朝鮮との出会いの経緯から、逮捕・追放という形で幕を下ろした約1年間の留学生生活を回顧する。その数奇なエピソードは、北朝鮮理解の一助となるか――?

 今回は、以前の記事に引き続き、金日成総合大学の教授とのコミュニケーションについて述べていきたいと思う。

 金日成総合大学の修士課程で私が学んでいた文学理論とは、もちろん「主体文学理論」だ。

 そこにおける、文学の定義とは次の通り。プラトンアリストテレスなど古の哲学者たちはそれぞれの定義を唱えたが、最も古典的で正確な定義は金正日同志が考案した。

 その“権威ある”定義によると、文学とは「言語を通じて人間と生活を形象的に反映する芸術」だ。そのおかげで数千年間、熱心に議論されてきた問題についてはそれ以上論じる必要がない。

 そして、現代文学に莫大な影響を与えたフランクフルト学派や、マルクス主義文学評論を先導するテリー・イーグルトンなどについては言及されたなかった。

 朝鮮の文学理論は外部世界で流行っているもののように抽象的ではなく、むしろ実用的な側面がある。私が学んだ主体文学理論の大部分は構成論、筋書き、感情組織など作品の創作と密接に関連した概念が中心だった。

 「良い筋書きは起承転結を生かさなければならない」、「文学作品は読者の感情を刺激しなければならない」、「人物は立体性を帯びていなければならない」などのありふれた命題に満ちていた。しかし先生たちと討論しているうち、驚くこともあった。

フィリップ・K・ディックの「高い城の男」に興味を持つ教授
 とある授業で、「筋書き」について学んでいたときである。

先生:筋書きの概念は我が朝鮮文学だけでなく外国文学でも適用されるだろう? それでは最近、興味深かった作品を一つ要約してみよう。アレック同務、該当作品の筋書きを分析してみよう。

 私はしばし考えて、こう答えた。

私:私が好きなSF作家のフィリップ・K・ディックが書いた「高い城の男」は、随分昔に読みましたが印象深かったです。
先生:そうか? どの国の作家だ?
私:アメリカ出身です。しかし、世界的に有名です。
先生:ああ、そうか?(彼の関心が高まった様子だった) SFと言ったが、小説では未来に開発される最先端技術を描くのか?
私:違います。この作者の他の作品はそうですが、私の言った作品はほぼ歴史小説です。いわば、歴史の違う世界を描いた作品です。
先生:どんなふうに歴史が違っているんだ? アメリカが背景か?
私:そうです。第二次世界大戦アメリカ、ソ連などの同盟国ではなく、枢軸国である日本とドイツが勝利した世界を描いています。それで冷戦が米ソ間ではなく世界を半分ずつ占領した日本とドイツの間で起こるのです。
先生:(興味津々で)それでは、アメリカは世界でどうなるんだ?
私:アメリカは日本とドイツに侵略され、カルフォルニアを含むアメリカの西部は日本帝国の大東亜共栄圏の一部となり、東部はナチスドイツの傀儡政権となります。
先生:待て……アメリカが我が朝鮮のような分断国家となるのか? この作品は、アメリカ出身の作家が書いているのか?

 笑みを浮かべる先生の顔を見ると、大きな衝撃を受けていることは明らかだった。もちろん、彼は自身が何を考えているのか言わなかった。しかし、私は彼が何を考えているか想像することができた。

 一つは、アメリカ人がこの作品を読むことで朝鮮人の悲惨な状況、つまり分断を想像できる。もう一方は、朝鮮の作家たちは虚構の世界においても敵が勝利した世界を描くことができないことについてだ。そんな作品は反革命的だからだ。文学作品においてまで政治思想を重視するのは、我々のイマジネーションの負担になり、制限をかけるのではないだろうか?

◆文化水準によるカルチャーギャップと、西欧社会への的確な指摘
 また、金正日の主体文学理論の筋書きについての概念について学んでいた他のある日、先生は私が記憶している映画シナリオについて聞いた。私は再び、少し考えたあとに2013年に出たアメリカのSF恋愛ドラマ「her」(邦題『her/世界で一つの彼女』)を紹介した(読者もわかるように、私はSFにハマっている)。

私:ある男が、人工知能に惚れるという内容です。
先生:人工知能と恋愛するだって?
私:はい。そしてその人工知能は、声でだけ登場します。
先生:外国のSFの筋書きはそうなのか……。
私:この映画は少し特殊です。
先生:で、どこの国の作品だ? またアメリカか?
私:ええ……我がオーストラリア人は事大主義に溺れ、アメリカの作品を自国の作品よりも好むのです(私は半分、冗談のつもりでこう言った)。
先生:ハハハ、そうか。ハリウッド映画か?
私:はい、ハリウッド映画の中には洗練されていないものもあれば、良いものもあります。
先生:フーン、そうか……(意味深な沈黙)

 この会話は、私が休暇から戻った直後のものだ。

先生:アレック同務、休暇はどうでしたか?
私:はい、オーストラリアの両親の家で過ごしました。
先生:ご両親のお宅はどんな家?
私:我が国の人々は大抵、庭のある一軒家で暮らしています。我が家もそうです。
先生:庭ですって! すごいわね……。
私:私は帰るたびに、庭の植物に水やりをしています。
先生:ああ、そう。それは大変な仕事ね。川に行って汲んでくるのだから……。
私:(少しとまどいながら)川に行く必要はありません。幸いにも家のホース水道水を使えるので。
先生:ああ、そうなのね。

◆「そんなにカネがあるなら、なぜ難民を助けないんだ?」
 他の先生は、私の国について正確に知っていたが、ある日私にこんな質問をした。

先生:オーストラリアヨーロッパほど暮らしが良くないのか? 生活水準はどうなんだ? 賃金は普通、どのくらいだ?(この先生はストレートに聞いてくるタイプだ)
私:ふむ……インターネットで正確な統計を調べてみます。世界的には高いほうのはずです。賃金が高いだけでなく、最低賃金もアメリカよりはるかに高いです。
先生:そうか。それで軍隊の賃金はいくらなのか調べてみろ(先生の子供が軍に入隊しているため、おそらくそれで質問したのだと思う)。
私:ネットで調べた後)我が国の政府の統計局によると、平均年収は8万豪ドル、つまり6万米ドルでした。時給は20豪ドル、つまり16米ドルです。軍隊の場合は6万5000豪ドル、5万米ドルですが軍官ですと7万5000豪ドル(5万5000米ドル)以上です。
先生:相当に豊かな国だな。しかし、カネがそんなにたくさんあるなら、なぜ難民たちを助けないんだ?
私:(話が突然変わったことに慌てつつ)ああ……私も我が国の政府に同じ質問をしたいです。

 インターネットも、外部世界との接触もないのに、彼はあまりに良い質問をした。西洋社会の偽善性を看破したのだった。また、他の先生はオーストラリアと中国の混血である私のバックグラウンドについて好奇心を抱いていた。

先生:オーストラリアでは外国人と結婚するために政府から許可をもらうのは簡単か?(すべてのことに対し政府の許可がいる朝鮮社会でのみ発せられる質問ではないかと思う)
私:我々は結婚対象を自由に選択することを個人の自由と考えています。外国人の場合も同じです。我が国は過去、人種差別思想がありましたが今日は多文化主義的政策を行っています。今は国際結婚が非常に増えました。
先生:ああ……しかし、アジア人に対する人種差別はまだあるのか? たとえば、オーストラリアに行って仕事をもらえるのか?
私:金日成総合大学の博士という学位がオーストラリアで認定されるかどうかは別として)我が国の法では職業上の人種差別を厳しく禁止しています。大学などの公共機関ではその規則を厳格に実施しています。残念ながら、我が国では白人によるアジア人と黒人差別がまだ多いですが、これは日常生活と文化の上でのことです。職場で人種差別をすると訴訟が起こり、メディアに報じられその企業が社会的非難を浴びることでしょう。
先生:ああ、それなら私もいつか働きに行こうかな? ハハハ……(先生も冗談めかして言った)。

 次回は、彼らのような朝鮮の学者の学術活動について述べたいと思う。

<文・写真/アレック・シグリー>

【アレック・シグリー】
Alek Sigleyオーストラリア国立大学アジア太平洋学科卒業。2012年に初めて北朝鮮を訪問。2016年ソウルに語学留学後、2018~2019年金日成総合大学・文学大学博士院留学生として北朝鮮現代文学を研究。2019年6月25日北朝鮮当局に拘束され、同7月4日に国外追放される。『僕のヒーローアカデミア』など日本のアニメを好む。Twitter:@AlekSigley

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