1993年Jリーグ開幕時から存在する10チーム=通称“オリジナル10”の一角であり、東海3県唯一のJ1チームでもある名古屋グランパスが、2010シーズンに念願のリーグ初制覇を果たしてから早10年――。

【10周年特別企画・前編】「チーム広報が振り返る、名古屋グランパスのJリーグ初制覇の舞台裏」

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、リーグ戦の長期中断を余儀なくされる非常事態であった今シーズンだが、いよいよ明治安田生命J1リーグ7月4日(土)に条件付きで再開することになった。東海ウォーカー編集部では“Jリーグ初制覇10周年特別企画”としてチーム広報部長の梅村郁仁氏にインタビュー協力をいただき、すでに前編記事を配信しているが、今回はファン・サポーターが待ち望んだ明治安田生命J1リーグをさらに楽しめるべく、後編の記事をお届けする。

梅村氏は、2009年に株式会社名古屋グランパスエイトに入社。現在はメディアの取材対応や公式サイトの管理・運営、およびホームタウン活動を統括する人物。この後編では“クラブ改革”をキーワードに、初優勝以降から現在に至るまでを振り返ってもらった。

ピクシー体制の終焉。リーグ初制覇のその後

2010シーズンに悲願のリーグ初制覇を達成すると、“ピクシーグランパス”はACL(AFCアジアチャンピオンズリーグ)に出場しながらJリーグを戦った翌2011シーズンも好成績を残す。第29節から最終節まで怒涛の6連勝を見せるなどして、柏レイソルガンバ大阪と3つ巴の死闘を演じたが、惜しくも首位の柏にわずか勝ち点1およばず2位。2連覇の夢は潰えてしまったものの、ジョシュアケネディ選手の2年連続ゴールデンブーツ(リーグ得点王)獲得からもわかるように、チームとしても堂々と胸を張って振り返ることができるシーズンだった。

その後、ドラガン・ストイコビッチ監督は2013シーズンに勇退するまで、6年もの長きに渡ってチームの指揮を執った。これは現在もグランパスの歴史でもっとも長い体制となっている。グランパスレジェンドでもあるカリスマは、プレイヤーとして2つの天皇杯を、そして監督としても1つのマイスターシャーレをクラブにもたらしたのだった。

オリジナル10の失墜。J2降格が与えた衝撃

そこからのグランパスは、お世辞にも“順風満帆”とは言い難い状況だった。なかでもクラブにとって大きな転機となったのは2016シーズン。グランパスは初めてJ2降格という憂き目にあう。鹿島アントラーズ横浜F・マリノスと共にJ2降格経験が一度もなかった“オリジナル10”のビッグクラブの失墜は、日本のサッカー界に大きな衝撃を与えた。梅村氏は当時について、クラブを見直すいいきっかけになったと振り返る。

「選手たちはもちろん努力していましたが、結果を出すことができず…グランパスを応援していただいている皆様を悲しませることになってしまいました。でも、今はネガティブなことばかりだったと思っていません。残留争いをしている時には、皆様から温かい声をたくさんいただきましたし、窮地のグランパスを後押ししようとスタジアムに戻ってきてくれた往年のサポーターも大勢いました。これまでのグランパスは、皆様に『なんとなく街に存在しているチーム』というイメージを持たれている気がしていました。『支えても支えなくてもどっちでもいい。自然と街にあるものだ』と。でも、降格という危機に直面したことで、サポーターや地域の皆様に『私たちが応援しなきゃいけない』と、改めて思っていただけた感覚がありました。それがクラブの大きな支えになりましたし、結果としてJ2降格となってしまいましたが、あの時の皆様のサポートが追い風となって、1年でJ1に復帰できたと感じています」(梅村郁仁氏、以降発言部分はすべて同氏)

■目に見える数字として表れたクラブ改革の結果

J2降格を経験したことでクラブの人気は落ち込むのかと思いきや、逆にJ1復帰後の方がより多くの観客数を記録している。その数字は、初めてのリーグ優勝を決めた2010シーズンをも大きく上回っているのだ。グランパスのホームゲーム1試合の平均観客数は、2009シーズンで1万5928人、2010シーズンはリーグ優勝の特需で増加して1万9979人、2011シーズンは1万6741人だった。その後も平均観客数は1万6000~7000人前後で推移していた。

しかし、J1に復帰した2018シーズンには22年ぶりに2万人を超え、クラブ歴代最高(当時)となる平均2万4660人を動員。2019シーズンはそれをさらに更新する同2万7612人を記録する。グランパスは確実に変わったのだ。かつては週末開催の試合で見たような観客数を、平日開催のホームゲームで叩き出すことさえある。実際にスタジアムへと足を運んでみれば明らかだが、今やグランパスのホームゲームはどのクラブにも負けないような高揚感や一体感にあふれ、初めてサッカー観戦に訪れる人でも自然と熱くなれる雰囲気に満ちている。なぜだろうか。そんな疑問を梅村氏にぶつけてみた。

■改革を進めた理由と、そこで取り組んだ3つの策

「毎年、Jリーグでは“観戦者調査”というアンケートを全クラブ対象に実施しています。スタジアムに足を運んでいただけた理由について、普通であれば『クラブを応援している』がもっとも多いはずですが、グランパスの場合は『チケットをもらったから』などの回答が多かったんです。クラブに対する愛着を持っている方が、他クラブと比較してかなり少なかったんですよね。J2降格がきっかけというわけではないのですが、『これは絶対に変えていかなければいけない』ということで、ちょうど2016シーズンくらいから本格的な改革に取り組むことにしました」

取り組んだ方策は主に3つ。“チケットの販売方法の変更”、“選手たちの露出増加”、そして“スタジアム経験の充実化”だ。

「ここからは広報というよりもマーケティング的な分野になりますが、チケット購入の軸をコンビニからWebへと移管して、お客様の顔が見えるような取り組みを始めました。どのような世代の方が何回スタジアムに足を運んでいるかなど、お客様を可視化することに注力したんです。どのような方が来ているかがわかれば、それに基づいたアクションが起こせますからね。並行してホームタウン活動にもいっそう力を入れ、選手が出演するイベントを増加させました。スタジアムではさらなる観戦快適性の提供を心掛け、これまで以上にイベントやグルメを充実させました。Web、ホームタウン活動、スタジアム経験の充実と、主に3つの視点からクラブ改革を実施して、その努力がここ数年でようやく実って数字に表れてきた形です」

さらに、梅村氏はこう続けた。

「そう考えると、やはりJ2降格は大きなきっかけだったと思います。この街にグランパスがあることを改めて実感できましたし、降格はもちろん辛い経験でしたが、あの悔しさがあったからクラブの変化は加速し、現在の観客数にもつながっているとポジティブに捉えています」

■チーム広報として描く今後のビジョン

グランパスのホームスタジアムは現在、パロマ瑞穂スタジアムと豊田スタジアムの2つ。ともにホームゲームの開催日には、熱狂的なファン・サポーターだけでなく、ファミリーやカップルから、子供たちだけのグループまで、本当にさまざまな人たちが訪れている。そんな状況を生み出した仕掛け人の一人である梅村氏はチーム広報部長として、今後どんなビジョンを持っているのだろうか。

「この仕事をやっていて感じるのは、皆様の応援に勝るパワーはないということです。広報としてクラブに対して貢献できることは、選手やクラブの魅力を発信して、皆様にスタジアムへと足を運んでいただくきっかけ作りにほかなりません。そして、応援したいという気持ちを皆様に抱いていただくことこそが、チームの勝利につながると信じています。私たちはミッションとして、『名古屋グランパスはホームタウンの全ての人々に“グランパスでひとつになる幸せ”を提供します』と掲げています。グランパスを介して地域の方がつながっていった結果、大勢の方々が喜びを得ることができればいいなと考えています」

2010年のJ1初優勝から初のJ2降格、そして1年でのJ1復帰…。この10年間、グランパスのファン・サポーターの中には、愛するチームの状況が目まぐるしく変わる毎日に疲労感を覚えたという人もいるだろう。しかしそんな毎日を経たからこそ、グランパスに関わるすべての人の絆はさらに強固なものへと確実に変化している。

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、ある意味“ほぼすべて”が白紙に戻ってしまった今シーズンのJリーグではあるが、選手、スタッフ、ファン・サポーター、地域住民…グランパスを取り巻く人々には、そんな逆境にすら負けない一体感があると信じている。そしてチームは、“Withコロナ/Afterコロナ”の中でも“新たなスタジアム観戦様式”や“新たなチケット販売様式”のほか、“「MY HOME STADIUM -All for NAGOYA-」プロジェクト”といったまったく新しいアイデアを形にしていこうと奮闘している。

グランパスはこれからの10年、どんな道を歩んでいくのだろうか。在名メディアの人間としては、そんなチームの積極的な姿勢を後押ししていきたいと感じるし、グランパスイレブンが再びマイスターシャーレを掲げ、地域の人々と喜びを分かち合える日が1日でも早く訪れることを願ってやまない。

新型コロナウイルス感染の影響を考慮し、2020シーズンの明治安田生命J1リーグは中断しています。2020年7月4日(土)より、条件付きでの再開となります

J2降格が決まり、ベンチで茫然とする田中マルクス闘莉王選手/(C)N.G.E.