『学校が子どもを殺すときー「教える側」の質が劣化したこの社会で』(論創社) 著者:渋井哲也


「指導」という名の教師の暴言と体罰が、子どもたちを苦しめ死に追いやる。
学校や教育委員会は事実を伏せる。いじめ自殺の子どもや遺族を徹底取材。
そこから見えてきたものは、学校が子どもを見殺しにする実態であった!

私が「いじめ」と「自殺」を取材する理由

いじめ」という概念ではとらえることのできない継続的な拷問―。

これは、佐賀県鳥栖市の市立中学でいじめにあったK(現在、二〇歳)が、加害者の同級生と保護者、鳥栖市を相手どった裁判の訴状に書かれた内容の一部だ。Kが中学一年だった二〇一二年四月から同年一〇月二三日までの約半年間にわたり、加害者の同級生からKへの暴力が繰りかえされた。

妹がKのけがに気づき、母親が黙ってICレコーダーをカバンなどに仕掛けたことから、いじめの事実が発覚した。では、「拷問」と呼ぶべきいじめの内容は、どんなものだったのか。きっかけは、中学入学前の出来事だった。エアガンで撃たれている女の子を助けたところ、同級生のAから「いいかっこうしやがって」と言われた。

中学入学後は、複数(裁判では八人を訴えた)の加害生徒からいじめられた。校内では、教室の出入り口に見張りをつけたうえで、顔を殴られ、首を絞められ、カッターナイフを手首に押しつけられたりした。

また、体育館で暴行された際には、加害生徒から「金づるやけん、生なま殺ご ろしにせな」と言われ、当時、母親が脳梗塞で入院していたことから、「お前の親、入院してるんやろ。親を殺すこともできるんやぞ。一三歳は人殺してもつかまらんのやけん」などと脅された。

一方、Kは校外でもいじめられていた。第一が、現金のかつあげだ。Kが家から現金を持ちだし、加害生徒にわたした金銭は、少なくとも一〇〇万円にのぼる。「まるでATMのようにお金を取られた」と私に語った。

第二は、Kを狙ってエアガンで撃つという行為だ。農道や神社、そして街中でKを走らせ、加害生徒が彼を狙って撃つ。被弾すれば痛みが身体に走る。だが、家族がエアガンで狙われないためにとがまんした。

こうした凄惨ないじめに、教師や学校はどのように対応していたのであろうか。ICレコーダーでいじめの証拠を入手した家族は、担任にその事実を示した。学校では、校長まで話が伝わり、教師による加害生徒への聞きとりがおこなわれた。結果、Kに対するいじめ行為は学校側に認知された。学校内での壮絶ないじめは、家族が検証し、報告しなければ、学校側が認知することがなかった、ということでもある。

一三年三月には、Kへのいじめが「犯罪に等しいだろうと思っている」と教育長が記者会見で陳謝した。当時の市報にも「深刻ないじめ事案が発生し、ご心配をおかけしたことをおわび申し上げます」という鳥栖市教育委員会の謝罪が掲載された。

以上のようないじめが、約半年にわたり、ほぼ毎日おこなわれたのである。Kの心身は病み、現在でもPTSD心的外傷後ストレス障害)にともなう解離症状に悩まされている。

さて、Kと父母、そして妹を原告とした裁判は、一九年一二月二〇日に判決言いわたしの日を迎えた。佐賀地裁(遠野ゆき裁判長)は、同級生の加害者八人には、連帯して約四〇〇万円の賠償を命じた。他方、同じく被告であった鳥栖市の安全配慮義務違反については、その責任を認めなかった。

一三年の段階では、教育長も市教委もいじめの事実を認め、謝罪していたのにもかかわらず、裁判になると態度が一変した。「僕が目の前で暴力を受けていたのに、担任は助けてくれなかった」というKの訴えに対し、法廷に立った当時の担任は、「じゃれ合いは見たことがあるが、(筆者注…Kへの暴力やいじめは)特段、記憶に残っていない」と述べた。また、当時の教頭は、「事件の発覚前も、あとも、こちらとしては一生懸命努力したつもりだ」と述べるなど、責任逃れの証言を繰りかえした。

Kら原告は、鳥栖市の責任を追及するため、一九年一二月、福岡高裁に控訴したー。

これは、私が直近で取材したいじめ事件である。

Kのように、「継続的な拷問」とも呼べるようないじめ被害に悩む子どもは、いまもどこかに必ず存在していると私は考えている。そして、何より問題なのは、子どものいじめを見て見ぬふりをしたり、加害者とともにいじめに加担する教師が存在することだ。さらに、「指導」という名の暴力や暴言を振るう教師もあとを絶たない。

そういう教師の存在や振るまいによって、子どもが自殺や自殺未遂、自傷する状況は、ある意味で「学校が子どもを殺している」状況だとも言えるのではないか。

本書では、私の取材にもとづく数多くのいじめ自殺や指導死の事例を取りあげる。加害者は、同級生であったり教師であったりする。加害者が誰であれ、子どもを死に追いつめるような状況があり、その落とし前をつけようとしない学校や教育委員会、第三者委員会が存在することについて、私は強い怒りを禁じえない。これが、本書を執筆する動機のひとつでもある。

学校が子どもを殺す。

「そんなことが起きるはずがない」とか「おおげさだ」と思う読者もいると思う。しかし、実際に学校が子どもを殺すような事例は、全国の各地で起きている。学校や教育委員会によって隠され、おもてざたになることが少なく、一般的には気づきにくい。

本書の目的は、安易に学校や教育委員会などを責めたてることではない。まちがったことをしたら、何がまちがっていたのかを検証し、再発しないように心がける。人としてなすべき、当たり前のことがなされていない。それを問題にしたいのである。

学校がなぜ子どもを殺すのか。教師にも、学校にも、教育委員会にも、その原因があることは言うまでもない。だが、それらの個々をどれだけ責めても、学校死の問題は解決しない。なぜならば、「学校が子どもを殺す=学校死」とは教育のシステムそのものがまねいている問題なのだから。

なお、本書では「自分で自分の命を絶つこと」について、報告書や判決などで「自死」と表現している場合を除き、本文中では「自殺」と記している。また、文中の敬称は略した。

[書き手]渋井哲也(しぶい てつや・ジャーナリスト

【書誌情報】

学校が子どもを殺すときー「教える側」の質が劣化したこの社会で

著者:渋井哲也
出版社:論創社
装丁:単行本(246ページ)
発売日:2020-05-23
ISBN-10:4846019195
ISBN-13:978-4846019198
学校が子どもを殺すときー「教える側」の質が劣化したこの社会で / 渋井哲也
多発する教師による子どもいじめ。その原因は教える側の質の劣化だった?