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店のなかには人の気配はなかったが、《会員制》と書かれたドアには、店名のイニシャルをモチーフにした飾り文字がまだ残っていた。

「会員制クラブ“M”がクローズしたのは6月末のことだと聞いています。緊急事態宣言以降、私も通うことはできなかったのですが、桂子ママの底抜けに明るい笑顔を見られなくなるのは、やっぱり寂しいですね」

そう語るのは、Mをときおり訪れていた出版関係者だ。

緊急事態宣言が解除された後も客足が戻らず、全国で飲食店の閉店や倒産が相次いでいる。港区内の飲食店ビルの一室で営業していたMが歴史に幕を下ろしたのも、コロナ禍のためだったという。

Mを経営していたのは“しょこたん”ことタレント・中川翔子(35)の実母・中川桂子さんだった。

しょこたんのお父さんで歌手の中川勝彦さんが白血病で亡くなったのは26年前の’94年。まだ9歳の娘の行く末が心残りだったことでしょう。夫の死去後、桂子さんは飲食店の仕事で、母娘の生活を支えたのです。桂子さんが港区内のビルに店を構えたのは十数年前、お客には芸能人やマスコミ関係者も多かったです。亡き勝彦さんの知人もいましたが、桂子さんの人柄に引かれて通っている人がほとんどでした」(前出・出版関係者)

26年間、母娘2人で支え合って生きてきた中川と桂子さんの絆は強い。

’06年に開催されたしょこたんのファンクラブイベントには、スペシャルゲストとしてお母さんが登場し、モー娘。の曲を2人で踊りながら歌ったそうです」(芸能関係者)

本誌インタビューで、中川は桂子さんについてこう語っている。

「小学3年生のときに父が亡くなってからは、母が1人で働いて育ててくれました。決して裕福ではないなか、16歳のときには、フロリダのディズニーワールドへ連れていってくれて……」(’19年9月17日号)

毎年“貯金をはたいて”、母娘で旅行を楽しむことが、中川家のルールだったのだ。中川は少女時代に、いじめを受けて不登校を経験するなど、苦悩の日々を過ごした。繊細な中川にとって、母が働いている店は、ずっと居心地のいい場所でもあったようだ。Mの客たちはこう証言する。

「翔子ちゃんが20歳ごろだったかな、お店で何か勉強をしている姿を見たことがあります」(テレビ局関係者)

しょこたんがまだ有名でないころ、よくMに来ていました。店では無口なんだけど、お母さんに誘われてアニメソングをカラオケで歌ったりね。ブレークしてからも、ときどき遊びに来ていましたから、彼女にとってもMは思い出深い店のはず。クローズはつらいでしょうね」(前出・出版関係者)

なぜ桂子さんは、愛着も深いMを閉めることを決意したのだろうか? 電話で取材を申し込むと、ためらいながらも記者の質問に答えてくれた。

「そうですね、店を閉めたのは事実です。今年3月から休業しており、そのまま6月末に(部屋の賃貸)契約を終了しました。理由ですか? お客さんが来なくなってしまって、経済的にいきづまってしまったから、ということではありません。

5月ごろからでしょうか、今後、お店をどうしようか迷い始めたんです。新型コロナウイルスの問題は長期化するかもしれないし、お店を再開したとしても、万が一お客さんを感染させてしまったら申し訳ないって……。

うちのお客さんは昔から通ってくださっている方たちが多いのです。閉めるのはつらいけれど、家族のような人たちの健康や命には代えられません。もしそういったことが起こったら、翔子にも迷惑をかけますしね」

――翔子さんもときどきお店に遊びに来てくれたそうですね。

「私の誕生日には駆けつけてくれました。夢を売るお仕事なので、“永遠の29歳”です。いまでは娘より年下ですよ(笑)。閉店のことを翔子に伝えたときは、ねぎらってくれました。『残念だけど仕方がないね。ママ、長い間、本当におつかれさまでした。コロナが落ち着いたら、おつかれさま会をしなくちゃね』って」

――今後のご予定は?

「長年働いてきましたから、いまはちょっと休もうかと思っています。ただ安全に旅行ができるようになったら、娘と2人で出かけたいですね。ハワイとか、国内の温泉とか……」

長年守ってきた店の幕引きに、少し気落ちしている様子の桂子さんだったが、娘との旅行の話題になると、声にも明るさが戻ってきた。中川家のルールだった毎年の旅行は、いまも母娘の“元気の源”なのだろう。

「女性自身」2020年7月21日号 掲載