(城郭・戦国史研究家:西股 総生)

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知識よりも楽しむこと

 このところ、日本の城の歴史、戦国時代の城、陣屋などの話をしてきました。そこで、城を理解するためには、やはり背後にある歴史のことを知らなくては、と思った方も多いと思います。

 歴史の勉強というと、学校の授業で習ったように、用語や人名、年号などを覚えゆくイメージがありますよね。でも僕は、歴史を知るために本当に必要なのは、知識や用語ではなく、原理を理解して楽しみ方を身につけること、だと思っています。この講座の第2回で、そんなことを書きましたし、以来ずうっと、そのスタンスでお話ししてきました。

 なぜなら、原理を理解して楽しみ方を身につければ、知識はあとからついてくるからです。ほら、アイドルグループに興味をもつと、たくさんいるメンバーの顔と名前、キャラとか得意技とか、いくらでも覚えられるでしょう? 

 城や歴史も同じ。逆に、最初から知識、知識で詰め込んでしまうと、大切な原理みたいなものが、かえって見えにくくなってしまうことがあります。

 たとえば、江戸時代の大名には、親藩、譜代、外様の種類があった、と教科書では覚えますよね。このうち、老中や若年寄といった幕府の要職につくことがてきるのは、譜代だけ。外様大名は、どんなに家格が高くても、財力があっても、頭がよくても、幕府の政治には関与できません。なんで、そんな意地悪するの? と、思ったことのある人、いませんか?

歴史の原理を理解する

 幕府、親藩、譜代、外様と用語、用語で覚えようとするから、わからなくなるのです。幕府というのは、要するに徳川家。戦国時代の最後の戦争で徳川家康が勝って、日本最強ポジションを獲得しました。そこで、みんな徳川家のいうことを聞け、文句のあるヤツは一歩前へ、というのが、幕府と大名との基本的な関係。難しい言葉を使うなら、幕藩(ばくはん)体制というものです。

 そして、譜代大名と呼ばれているのは、早い話、徳川家の家臣。家臣の中のトップ、つまり徳川家の番頭さんが老中です。一方、親藩とは徳川家の分家です。ですから、本家の番頭さんが徳川家=幕府を切り盛りするのは、当たり前のことなのです。

 この原理がわかっていると、たとえば幕末の京都で、新撰組が会津藩の支配下にあった理由も、すとんと飲み込めます。幕末の京都は政情不安だったので、幕府はアンチ徳川方の動きを封じる必要が出てきました。そこで、浪人みたいな連中を集めて、非正規雇用の治安維持部隊をつくって、汚れ役をやらせることにしたのです。新撰組です。これは、幕府の政策=徳川本家の方針ですから、本家が決めることです。

 一方、このとき京都守護に任じられていた会津藩松平家は、親藩大名。徳川家の分家です。本家が方針を決めて、実働部隊(新撰組)を分家に預けたのです。京都から帰ってきた近藤勇土方歳三が旗本に取り立てられたのも、ご苦労だったね、パートから正社員にしてあげるよ、ということですね。

  こんなふうに、城から歴史に興味をもったら、全体の流れや時代の雰囲気、みたいなものをつかむようにするとよいでしょう。何より、好きになること、楽しむことがいちばんです。好きになれば、知識はあとからいくらでもついてきますから。

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大垣城に立つ戸田氏鉄(うじかね)像。撮影/西股 総生