※2014年7月撮影

トップ画像は、新得駅構内、キハ40-1751。

幾寅駅から9.4km、幾寅の耕作地を抜け、山の中の小さな町にある落合駅(61世帯125人)に来ました。1901年(明治34年)開業の古い駅です。根室本線が、日本三大車窓「狩勝峠」を通る旧線時代には、峠越えのために落合機関車庫がありました。1966年昭和41年)新狩勝トンネル(5,790m)を通る新線に切り替えられ上落合信号場、新狩勝信号場が設けられました。

※2014年7月撮影

※オリジナル写真が縦なので加工してあります

新得駅側に第1落合トンネルがあります。さらに先には新狩勝トンネル(5,790m)の上落合信号場でトマム方面からの石勝線と合流して新得駅に向かいます。

※2014年7月撮影

列車交換で停車しています。

※2014年7月撮影

古い木造駅舎があります。廃止してしまうのはもったいないなぁ。

※2014年7月撮影

センチメントと言うと金融業界用語みたいですが、情緒的に根室本線の一部区間廃線を筆者は首肯し難いものがあります。確かに経済性・合理性で世界は整除されていますが、私たちは怜悧な理論と乾いた合理性だけで生きているワケではないのです。

2014年の夏にはそんな未来を予想もしていませんから暢気に新得駅で駅そばを食べる時間がないなぁ、なんて残念がりながら列車に揺られていました。ほどなく新得駅(544世帯1,212人)に到着。

※2014年7月撮影

構内でトップ画像の他にキハ40-1774も見かけました。こちらの行先標は帯広。延命改修で屋根上の水タンクが無くなっています。

※2014年7月撮影

帯広駅(1,359世帯2,385人)に到着。初めて駅の外に出ました。モダンな駅舎です。しかし暑い!

※2014年7月撮影

※オリジナル写真が縦なので加工してあります

流石に空腹なので構内のお店で天丼(大盛り930円)を買い込んで2429Dに戻りました。

※2014年7月撮影

これは空腹には染み渡りました。天つゆがもう少し多めにかかっていれば満点。

※2014年7月撮影

豊頃駅(99世帯191人)。1904年(明治37年)開業。1984年昭和59年)無人化。

※2014年7月撮影

吉野駅(44世帯92人)。駅周辺の住民が少なくなってきている感じがします。1910年(明治43年)下頃部(したころべ)駅として開業。この駅名が「読み難い」として当駅付近の山桜が吉野桜に似ているので1942年昭和17年)新吉野駅に改称したとか。

※2014年7月撮影

実は、日本国有鉄道北海道総局が1973年昭和48年)に出版した『北海道 駅名の起源』という本を持っているのですが、どこかの隙間に入って出てこないのです。これは面白い本ですが、見つかると駅名談義でコラムが不必要に長くなりそうですね。

東側の白糠丘陵までの平地には耕作地が広がっています。

※2014年7月撮影

「なんだか、写真に既視感があるなぁ」と感じられた諸兄、すみません、2017年に【鉄の一瞥 36】 JR北海道 根室本線 幾寅駅 落合駅で同じ写真を使っていました。数少ない鉄道旅の個人的な記録写真なのです。御容赦ください。

※価格などは2014年当時のものです。

※駅名の後の()内は、駅の周囲半径500mの円内に住む住民数です。(2010年国勢調査

(写真・文/住田至朗)