【高校、ユース、Jを率いた吉永一明の指導論|第5回】コーチ時代に沸き上がった疑問、新潟シンガポールで監督に挑戦

 吉永一明(現・アルビレックス新潟アカデミーダイレクター兼U-18監督)は、2017年からアルビレックス新潟シンガポールを率いて、2シーズンを戦い抜いた。この間、敗れたのはわずかに2試合。リーグ、カップ、チャリティーシールドをすべて連覇する空前の戦績が残った。

「ここでダメなら先はない。また普通の結果では、誰も気に留めてくれない。まず私自身が生き残っていかなければならない状況にあり、何度もそういう話をしてきたこともあり、チーム全体に同じ覚悟が共有されました。もちろん、シンガポールリーグに日本のチームが参戦しているわけで、最初から快く思っている人はいない。それでもこのサッカーは面白いな、と地元の人たちも巻き込んで、シンガポールサッカーシーンを変えるつもりで取り組んできました」

 シンガポールリーグに挑戦する前年は、当時J1のヴァンフォーレ甲府コーチを務めた。最終戦でサガン鳥栖に敗れたものの辛うじて残留を決めるのだが、戦力が整わずフラストレーションの溜まるシーズンだった。

「一貫して受け身のサッカーで、『攻撃はどうするの?』という状況が続きました。そこで疑問が沸き上がってきたんです。もちろん各クラブには、カラーや哲学がある。でもプロサッカーはエンターテインメントだよな……、もっと勝ち負け以上に、また観に来たいと思ってもらえるサッカーがしたい。それなら自分で監督をやり、ゲームモデルを持って考えていることを表現したい。そんな欲が生まれてきたんです」

 シンガポールにもサッカー熱はある。だがファンはパブでイングランドプレミアリーグ中継に熱狂し、国内リーグには興味が向けられていなかった。

「クラブは入場料収入より、国からの補助金を頼りに運営している状況でした。しかしその中でアルビレックスだけは、Jリーグと同じように地域交流などを積極的に行なった。その成果が出て、地域のサポーターが生まれて応援に来てくれた時は、凄く嬉しかった」

 ミーティングではマンチェスター・シティの映像を多用。「全員がプレー原則を理解してくれて、全チームと比較しても最も規律を持って迷いなくプレーできた」そうだが、このスタイルには賛否が分かれた。

「パスを細かく繋ぐサッカーは、イライラすると言われたこともあります。プレミアリーグの影響が強くて、大味ながら個の力で打開しようとするチームが多く、そちらを好むファンも少なくない。それでも同国の英雄アレクサンダー・ドゥリッチさん(Sリーグで300得点、元シンガポール代表主将、ボスニア・ヘルツェゴビナのカヌー代表で五輪入賞の変わり種)などは、我々のスタイルを気に入ってくれて、よく声をかけてくれました」

海外からJリーグを見てこみ上げた想い

 ただし質で凌駕しても、それが結果に直結するとは限らないのがサッカーだ。

「環境、ジャッジなども含めて、すべて受け入れてやり過ごせる順応性と覚悟が必要です。例えばJリーグなら選手が怪我や病気の時は、すぐにチームドクターが診てくれます。でもシンガポールでは、こちらから選手を病院へ連れて行って順番待ちをしなければならない。だから怪我や病気には細心の注意が要る。ピッチもスタジアムごとに異なるし、雷には過敏。過去に落雷で亡くなった人がいるそうで、警報ランプが回り始めたら、降雨も稲光もないのに即座に止められ、終電時間が迫れば中止になる。そういうことも笑って流せるようにならなければやっていけません」

 2年目にはシンガポール人の選手も2人加入。「やるべきことを整理してプレーして伝えたし、本人のキャラクターもあって違和感なく対応できた」という。

 一方で、改めて海の外からJリーグ中継を観ていると「あそこに戻って監督をやってみたい」との想いが込み上げた。

 こうして昨年、吉永は新潟と契約する。肩書きはアカデミーダイレクターだったが、クラブ内を見渡すと指揮官以外のS級ライセンス保持者は自分だけだった。(文中敬称略)

(最終回へ続く)(加部 究 / Kiwamu Kabe)

アルビレックス新潟シンガポール時代の吉永一明氏【写真:©Albirex Niigata FC Singapore】