●ゲスト:山田邦子やまだ・くにこ) 1960年東京都生まれ。「笑ってる場合ですよ!」(フジテレビ)の素人勝ち抜きコーナーで勝ち抜き、太田プロダクションに所属。81年、「邦子のかわい子ぶりっ子バスガイド篇)」でレコードデビュー。同時期の漫才ブームから派生したお笑いブームに乗り、「オレたちひょうきん族」(フジ)に初期から参加。その後、「クイズ!年の差なんて」(フジ)、「MOGITATE!バナナ大使」(TBS)、「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」(フジ)など、多くのレギュラー番組を持ち、88年から95年までNHK「好きなタレント調査」で8年連続1位となる。2019年6月、太田プロダクション退社。フリーを経て、今年1月「アスリート・マーケティング」に所属。2月、YouTubeに「山田邦子 クニチャンネル」を開設した。

オレたちひょうきん族」「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」など数多くのバラエティー番組で時代を席巻した山田邦子。長年所属した太田プロを飛び出して新たな挑戦を楽しむ彼女に天才テリーがググッと接近。いい話を聞くつもりが、なぜか下半身の話題に!?

テリー 邦ちゃん、俺と初めて会ったの、どこか覚えてる?

山田 確かIVS(テリーが所属していたテレビ制作会社)ですよね。

テリー そう。マンションヘルスみたいな狭い事務所に太田プロの人が連れてきたの。邦ちゃんはその頃もう知名度もあったのに、目の前でバスガイドのネタをやってくれたんだよね。

山田 へぇ~、全然覚えてない。IVSさん、お世話になりましたよ。私はその頃、(ビートたけしさんがやってた「北野屋」で、テリーさんに朝までダラダラと人生相談したのが印象に残っていますね。

テリー 邦ちゃん、今年で芸能生活40周年なんでしょう。ということは、それって俺が30歳、邦ちゃんが20歳の時の話だ。

山田 ハッハッハ、若い!言ってみれば清野菜名生田斗真みたいな感じ。

テリー 本当だ、なぜセックスしなかったのかねぇ。

山田 私が好みじゃなかったからでしょう。

テリー 邦ちゃんは戦友だからね。

山田 いやいや、とんでもない! テリーさんは大先輩の神様みたいな方です。本当にかなわないし、「この人、どうかしてるな」って何回思ったことか(笑)。たけしさんがあそこまでハジけたのも、テリー伊藤がいればこそだと思いますよ。

テリー いやいや、そんなことないよ。

山田 積もった雪の中にプールを作って、(たけし)軍団メンバーを飛び込ませたりとか、すごかった。寒中水泳なのに「ハワイでーす!」って言わせて、たけしさんも「ひでえなぁ」って言いながら大喜びしていて。よく誰も死ななかったですよね。

テリー いい時代だったんですよ。ところで去年、太田プロから独立したよね。あらためて、どういう経緯だったの?

山田 デビューからずっといて何ら問題はなかったんですが、大御所扱いされて、ただ事務所にいるだけみたいになっちゃったのに飽きちゃった。もうちょっと時代に合った新しいこと、自分が楽しめることをやりたいと思ったんですね。

テリー それは太田プロではできなかったの。

山田 もちろん、最初に言いましたよ。でも、腰が重くてなかなか動いてくれないので、「だったら、お願いだから辞めさせて」「いや、だめだ」っていうやり取りを1年くらいやって‥‥。これで太田プロがガタガタしているなら「しかたないな」と思いますけど、有吉(弘行)、劇団ひとり土田晃之ダチョウ倶楽部とか、みんなすごく人気者になっているから、別に私がいなくなっても何も変わらないんじゃないかな、と思って。

テリー なるほどね。

山田 あと乳ガンを治療してからチャリティーコンサートやボランティア活動をするようになって。自分でタレントさんに連絡したり、団体チケットを取ったりみたいなことをして、全国を回っていたので、これなら事務所がなくても大丈夫かな、とも思えたんですよ。

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