私が社会人になったのは、1991年。まだ終身雇用が前提で、入社した会社に一生いることが当たり前の時代でした。
私も当然、定年まで勤め上げる前提でいましたが、横河ヒューレットパッカード(YHP、現日本HP)を4年半で退職し、ボストンコンサルティンググループ(BCG)へ転職することにしました。
当時、転職はまだ珍しく、入社同期の中でも相当早めだったと思います。
しかも、いざ転職したBCGですが、1995年当時、MBA(経営学修士)も持たず、海外留学もせず、営業・マーケティング経験ゼロの丸腰だったのは、同期では私だけでした。
今考えれば凄まじく無謀なことをしたと思います。
その後、死ぬほど濃い4年半を戦略コンサルで過ごし、さらに濃い20年間をドリームインキュベータ(DI)で過ごすことになったわけです。
しかし、おかげでYHPでご一緒したSE(システムエンジニア)仲間、BCGで苦労した戦略コンサルの仲間、DIでさらに苦労を重ねた友人・同僚・先輩・多数の後輩と、ネットワークを拡げることができました。
さて、2020年の現在、転職はごく普通になりました。
さらに新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響でテレワークが加速することはほぼ確定かと思います。
物理的に会社に来ることが少なくなり、さらに会社と社員の関係は希薄になっていくかもしれません。
コロナ前ですら、大手企業の人事担当役員の方から「うちは、若い人材がどんどん退職してしまう。それを引き留めながら、一方では50歳を過ぎた仲間の肩を叩かなくてはならない・・・」という嘆きを聞かされていました。
1980年代くらいまでは、人口ピラミッド構造が綺麗な三角形を描いていましたし、成長を前提とした集団経営が成立していました。
会社が成長していますから、社員が増える。幹部ポジションも増える。銀行口座も増えるし、保険加入者も増える。
頑張れば幹部にもなれる。社員も経営者も銀行も保険会社も取引先もすべてがハッピー。日本は成長を前提とした集団経営が成立していました。
ところが、現在の人口ピラミッドは歪です。
年金構造と同じように,企業でも若者は少なく、上には昭和30年後半から40年代生まれの私のような世代が詰まっています。
力のある若者が、会社に見切りをつけて退職していくのも無理はありません。また、働き方も大きく変わっていきています。
結婚したら男性も家事を手伝い協力するのは当然で、自分だけ猛烈に働いて、奥さんには家事と子育てを押しつけるといったことは、このご時世、やっていけているのは私の世代でも少なくなりつつあります。
DI創業者である堀紘一さんの本に、「一番いいのはサラリーマン」と「サラリーマンなんて今すぐ辞めなさい」というのがあるのはご存じの通りです。
この2つを並べて「矛盾している」と批判している文章や画像がネット上にたくさん上がっているのを私も承知しているのですが、実はこれは決して矛盾していません。
昭和の間は、「一番いいのはサラリーマン」。
平成になれば「サラリーマンなんて今すぐ辞めなさい」に変わっただけなのです。
昭和の成長を前提とした集団経営では、一番いいのはサラリーマンです。
成長を前提とした集団経営が崩れた平成(実際のところ、社会がこれを認識したのは2000年以後です)では、「サラリーマンなんて今すぐ辞めてしまえ!」となるわけです。
平成はコンサルタント、会計士、弁護士をはじめとするスペシャリスト全盛の時代です。
さて、長々と書きましたが、何が言いたいか?
今後は退職した社員、OB、OGたちが企業にとってはとても大事なバーチャルリソースになります。
退職した社員は、不満もあったし、言いたいこともあったでしょう。
しかし、辞めて外から会社を見てみれば、良いことも一杯あるし、感謝もある。
外に出て、違う水も飲んできた。そのような人材は,間違いなく企業にとって貴重な戦力候補です。
コンピューターでもバーチャルメモリーという概念があります。
それと同様に、これからの企業は、バーチャルリソースを持たなくてはなりません。
社員だけではなく、アルムナイ(Alumni=卒業生)やその周辺のネットワークをいかに融合し、プロデュースしてビジネスを展開していくかという勝負になります。
昭和はサラリーマンの時代。平成はスペシャリストの時代。世の中が繋がった今、令和はプロデューサーの時代になるでしょう。
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