前代未聞の新型コロナウイルス感染症パンデミックにより、シベリアの奥地から東京まで3日かけて帰りました。

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 6月末日で教鞭を執っていたシベリア連邦大学の契約が終わり、日本へ帰国しなければならなくなったのです。9月にはモスクワ市立大学で再び教える予定ですが、いったん日本に戻る必要がありました。

 日本大使館からメール連絡を受け、モスクワロンドン間の臨時便が6月21日に出ることを知りました。

 この時点で、ロシア~東京間の航空便再開がいつになるか分からず、次を待たずに21日の便で帰ることに決めました。

(19日も同様の便がありましたが、仕事の都合により断念、モスクワロンドン間は日本航空臨時便で7月3日の予定と後日連絡あり)

 モスクワロンドン間の臨時便に合わせ前後2つ、合計3つの飛行機を使い、ロンドンに1泊、6月21日早朝にシベリアを出立、日本の自宅に戻ったのは23日の夜遅くです。

(『たびレジ』に登録すると大使館から臨時便の情報をメールでもらえます)

6月21日

11:10 クラスノヤルスク発 12:05 モスクワ到着(飛行時間:約5時間)

16:00 モスクワ発 19:30 ロンドン着(飛行時間:約3時間半)

ロンドン

6月22日

19:00 ロンドン発 翌14:45 東京羽田着

6月23日

14:00 東京羽田着
14:30~15:00 PCR検査
19:30 PCR検査結果
21:00 通関
22:00 家へ着く

 航空券はそれぞれの航空会社のHPから正規の値段で購入しました。

 値段は、クラスノヤルスク~ロンドン間の2つのアエロフロート片道切符+英国のホテルで約10万円。全日空ロンドン~東京往復チケットは正規の値段で22万円くらい。今回はマイレージを充てる。

6月21日

11:10クラスノヤルスク発 12:05モスクワ到着予定

 呑気なロシア人もさすがにほぼ全員マスク着用。さらに医療用手袋。アエロフロートCAもマスクに手袋。一度、機内でマスク配布。機内に乗り込む前は、空港係員から全員手に消毒液をかけられる。

 機内は満席で、このフライトが最も辛かった。

 モスクワとクラスノヤルスクには4時間の時差があり、これに飛行時間を合わせると約5時間機内にいたことになる。

 これについては事前調べをせずにせいぜい2時間ぐらいで着くのだろうと見積もっていたら、いつまで経っても着かない。

 そのうち腕にしていた時計での計算もぐちゃぐちゃになり、次のモスクワロンドン間のフライトが気がかりでひたすら不安の中で過ごした。

 機内食、ドリンクサービスは通常通り提供される。食事時はマスクを外し食べる。食べている最中にCAがドリンクサービスに来るので乗客はマスクをつけずにオーダーする形に。

 CAの身が心配に。さらにCAに話しかけた途端、ものすごく顔を近づけてきたのでますますCAの身が心配に。

13:55モスクワ発 16:00ロンドン着予定

 飛行機モスクワ着定刻より10分早く到着したことにより、これでトランジットタイムが1時間50分から2時間に増え、少し喜ぶのも束の間、急いで荷物レーンからすべての荷物を取り、国内線到着のターミナルBから国際線発のターミナルFへ向かう。

 この移動が当初一番不安だったので、事前に下調べをし切符を買っておいた空港内ターミナル移動用のミニトレインへ向かった。

 ところが、これが閉鎖されていた。コロナの影響だろうかと考える余裕もなく、仕方なくタクシーで移動。

 この時しつこい客引きに捕まり、結局、限られた時間を考えターミナルFに到着することが先決だとこの嫌な客引きにボラれていると分かりながらタクシーでわずか5分の走行に1200ルーブル(1800円)で承諾。

 悔しい気持ちが残るのも束の間、ターミナルFに着いたら、入り口は自動ドアも閉まらないほどエントランスから人があふれ出ているのを目撃。

 一層、不安が駆け巡るが仕方なしに最後尾に並ぶと意外と列はすんなり進んだ。その後、さらに難関のチェックイン。

 設計ミスなのではと思うほどエントランスからの荷物検査とチェックインカウンターまでの距離が短い。

 そこにマスクを付けた乗客が社交距離なんて取る余裕もなくわんさか並ぶ。私も仕方なしに並ぶ。

 しばらくすると「ロンドン行き」とヒステリックに叫ぶ女性係員の声が鳴り響き、私自身も「ロンドン」と言いながら前に出る。

 チェックインカウンターの男性係員は明らかいつもと勝手の違った殺気立つ空港内に苛立っている様子で声を荒げる。

 ここを無事に通過。その後は順調に進み機内に乗り込む。これで一安心だとくつろいでいるところに機内アナウンスが流れ機種変更へ。

 もう一度、来たタラップを引き返し、「もうロンドンに着いたのか」という他の乗客のジョークを心の中で面白がる。

 その後、結局、2時間の待機後、機内に乗り込み、午後7時無事にロンドン到着。この日はヒースロー空港近くのホテルに泊まるだけだったので飛行機が何時間遅れようが余裕の心持ち

ヒースロー

 こんなコロナ渦の中、英国へは検査なしに出国可。ただし、48時間以内に作成し英国政府が公認した国内滞在許可証を携える必要あり。

 もし登録していなかったら100ポンド(1万3500円)の罰金。今回の空旅で面倒くさかったことの一つが、平常時と勝手が違うのでくまなく各国大使館のお触れを読まなくてはいけなかったこと。

 これらをよく読み、手抜かりがないよう万全の準備で各地に臨んだ。ただし、飛行機の本数が極端に少ないため、トランジットが平時のようには運ばない。

 万が一、予定の航空機を逃すと何日も足止めを食らう羽目になる危険性がある。

 そんな中、ロンドン~東京間は日本航空全日空が週2、3便運航しており、私もロンドンで1泊し、次の日に乗り込むという作戦。

 さて、無事にヒースローへ到着。まずは両脇に立つ係員に大勢で滞在許可証を宙に振りかざしながら一気に通過。意外と適当な管理。

 その後、パスポートコントロールへ。今までと制度が変わったようで、約8つの旗マークと共に日の丸フラグが描かれている列に並ぶとすんなりと列は進む。

 この時、先進国出身の強みを実感。けれど徐々に世界に取り残されている日本の現状をまずは日本人一人ひとりが直視すること必要だと思うようになった。

 この10カ国のフラグの中には韓国の旗もあった。電化製品やIT関連部品、あるいは化粧品などで日本の先を行くようになった国の実力を改めて感じた。

 今回はコロナの影響か、指紋認証もなく大した質問もされずに英国滞在許可証と翌日の日本行きのチケットを見せるだけで通過できた。

 出口を出ると、懐かしい気持ちが蘇ってきた。わずか1年半前、英国を出てロシアに向かった際には、まさか世界がコロナ一色になってこんな形で英国に戻ってくるとは思わなかった。

 その後、タクシーで5分ほどの空港近くのホテルへ移動。運転手と後部座先は透明の衝立で仕切られていた。

ホテル到着

 今回お世話になったのは、「ibis Styles London Heathrow Airport」。

 レセプションも白い透明の衝立で仕切られていた。今回、英国滞在証を持った客は英国政府により自主隔離の身となっており、一切の外出は禁止。

 隣のレーンはホテルの厨房に夕飯を頼む泊り客の長蛇の列。それを横目で見ながら部屋に入りそのまま寝入る。夜中3時に起きて、教えていた大学で最後の仕事となる3年生の試験にオンラインで立ち会う。

 朝食は、バイキング形式でお皿に取り各自、自室へ持ち帰る。

 昼食はウーバー・イーツでケバブをオーダー。ホテルのレセプションから電話がかかりロビーで手渡し。わずか30分以内でケバブにありつく。

 ホテルは良心的で午後2時まで延長料金なし。ロンドン在住の友人と今回は会えないけどとライン電話。最後、彼女がからもらった一言は、「達者でな!」。今回の旅の合言葉となった。達者でな!

ヒースロー

 再び、タクシーで空港へ。午後2時半に到着。夜、7時の便まで空港で過ごす。

 空港内カフェもバーもほぼ全部閉鎖。午後4時過ぎにチェックイン後、手荷物検査へ。全員マスクこそしているものの係員は慣れたもので和気あいあいと時々冗談を飛ばしながら作業。

 こういうリラックスした感じっていいなって思いながら、前にヒースローのこのセキュリティーチェックでお金を盗まれた知り合いのことを思い出し、気を引き締める。

 自分の荷物がレーンのボックスにのみ込まれ入っていく瞬間と出てくるその時までずっと目を凝らして離さない。

最終目的地

 全日空 午後7時ロンドン発東京行き

 すべてを終わらせ、後はANAに乗り込むだけになって、本当に気が楽になった。平時よりだいぶ人のまばらな空港で観光客気分で買い物

 飲食店はほぼ全部閉まっていて、かろうじて開いているのは一階のLEON。ドラッグストアのBootsは開いていてそこで日焼け止めや電動歯ブラシアスピリンなどを購入。

 英国は薬代が安い。その後、ブランドショップも物色。香水を試したいと言ったら、店員のお姉さんに、今は禁止されているのと断られる。

 香りを嗅がずに香水をどうやて買うの。代わりにかねて欲しかった「Olivia Burton」の腕時計を購入。30%引きになっていて日本の半額だった。

ANA機内

 ANA日本行き、定刻通りに出発。機内はガラ空き。3人シートは全部繋げてもちろん寝られるし、前後3列以上誰もいない。客室乗務員と客の数が同じぐらいの感覚。

 夕飯と朝食、その他ドリンクサービスなどあり。夕飯はサバの煮物と、ビーフの洋風煮込みにマッシュドポテト和えのチョイスで一瞬迷った後、洋風を選択。

 まだ英国気分が抜けない。朝食は鮭と白米。徐々に日本モードへ。

 機内では、羽田空港でのPCR検査用の書類が配られる。

 全部で5~6枚。羽田からの交通機関を使用せずに帰宅する方法、その住所、誰が迎えに来るのか、または滞在先のホテルの名前を記入する。

 ちなみにホテルは政府指定ホテルなどはなく自力で探す。結果受信の電話番号、メールアドレスも記入。自宅に直行の人は検査結果を待たずに帰れる。

 陽性の場合、翌日に電話がかかってきて、陰性の場合は2~3日後にメールまたはライン通達。

 ANAに乗ってしまえばそこはすでに日本。飛行機の中はめいっぱい楽しもうと画策。

 良質の映画を2本堪能した後は、あれよあれよと言う間に眠りに落ちてしまった。次に目覚めたのは、CAの方の朝食への呼び起こしで飛行機はあと30分ほどで着陸とのこと。もっと楽しむハズだった機内生活が残念過ぎた。

 映画は、1本目はロシア語で冬を意味する『зима』。ロシアを離れたばかりなのにロシア映画をチョイスするなんて、私は心底ロシア好きなんだと実感。

 ギャングものの抗争で映画自体は佳作とは言えないけれど、追われる男が絶体絶命の危機に追う男が突如、凍てつく氷に落ちて足を掬われたりロシアならではの構想が面白かった。

 どうやって氷水から這い上がるのだろうと食い入るように画面に釘付けになっていたら、CAにサービスの一環で声をかけられる。

 2本目は、宮沢りえ主演の『湯を沸かすほどの熱い愛』。こちらは佳作。

 強いお母さん役の宮沢りえと彼女を取り巻く家族の物語だが、一切媚のないつくりがいい。すっかり映画にはまり込んでボロボロ泣いていたら、そこにまたCAのサービス。

 サービスなしのアエロフロートが少し恋しくなった。

羽田到着

 午後2時に到着。空の道が空いていたのか定刻よりずいぶん早く到着。前に到着した機の客が先にPCR検査を受けているということで1時間待機と機内アナウンスあり。

 さらにアナウンスが流れ、30分に縮小とのこと。2時半に飛行機を出てそのまま係員が要所要所で立つ順序に従いPCR検査へ。

 鼻にグリグリ長い棒を突っ込まれる。思ったより執拗だ。一瞬で終わらなかった。その後も右鼻だけグズグズ。それが終わると順序に沿って任意の唾液摂取検査へ。

 小さな容器を渡されこの2ミリの目盛まで唾液を出してくださいとのこと。これがけっこう辛くて唾液ってご馳走を目の前に自然に湧くもの。苦痛に顔を歪めながら目の前の梅干しレモンの写真とにらめっこ

 これもコロナウイルスに感染していないことを証明するためだと我慢。以上、全工程はほんの30分で終わる。

 その後、公共交通機関を使用しないよう、家族の迎え、知り合いの迎えがある人は検査結果の結果を待たずに帰宅許可。

 それ以外の人は空港の待合室、すなわち普段飛行機を待つ場所でそれぞれ間隔を空け待機。この時間が一番辛かった。

 仕事終わりの午後9時に来る家族の車を6時間ここで待つハメに。どうせならまだ空を飛んでいたかった。

 映画もないし、連日の疲れで頭もぼーっとするしでほぼ横になって過ごす。その間、アナウンスが流れ、次の便との混雑緩和のため、政府指定のホテルへの2泊3日の案が提示される。

 ここではすべて無料でお弁当も出されるそう。その後は自力でホテルを探してくださいとのこと。

 地方在住者は長距離移動ができないのでほとんどが都内ホテル2週間在住ということになるのだと思う。

 私はひたすら空港のベンチに横になり家族の迎えを待つ。

 午後7時を過ぎPCR検査の結果が告げられ陰性だった。ひとまずほっとする。けれでもそれでも100パーセントは確実とは言い切れないらしく、自宅へ帰った後も自主隔離は2週間続く。

 夜8時に出国。すぐ近くのベンチで家族の迎えを待つ。

 大きなスーツケースを持った海外帰国者がそのまま独りで帰らないか、出口付近では警察が見張っていた。夜10時に帰宅。何だか大層な長い旅だった。

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奥シベリアにあるクラスノヤルスク(ウィキペディアより)