リアエンジンで2+2のカブリオレ
欧州のファミリーカーをベースに、華やかに仕立て直したモデルを生んでいた、カロッツェリア・ギア社。ベロアやウッドパネルに頼ることなく、モータースポーツでの活躍や歴史を上手に活用していた。
フィアットやアルファ・ロメオ、ランチアへ、控えめな成り立ちを塗り替える美しいボディを与えていた。新しいスタイリングは、ブランドにとってもプラスに働いた。
今回ご紹介するフォルクスワーゲン・カルマン・ギアとルノー・フロリードSは、その仕事でも完璧と呼べる例。ベースは、真面目な作りで手頃な価格の、フォルクスワーゲン・ビートルとルノー・ドーフィンだ。
どちらもリアエンジンで、2+2のキャビンを備えるエレガントなカブリオレ。フォルクスワーゲンやルノーのショールームでは、それまで並ぶことのなかった雰囲気を漂わせる。
最初に誕生したのは、クーペ・ボディのカルマン・ギア。その起源は、フォルクスワーゲンのアイデアではない。
カルマン社とギア社が協働して生み出したモデルで、車名はそのまま、両社の名を冠している。プレゼンテーションを受けたフォルクスワーゲンは、量産化を断れなかった。
ヴィルヘルム・カルマンが立ち上げたカルマン社は、その時すでにフォルクスワーゲン・ビートルのコンバーチブルを製造していた。メーカーとのパートナーシップの強化へも、前向きだった。
カルマンギアに触発されたルノー
一方のカーデザイナー、ルイジ・セグレが率いるギア社もまた、国際的なビジネスネットワークの構築に務めていた。両社は意気投合し、ギア社がフォルクスワーゲン・ビートルをベースにしたプロトタイプ・クーペを制作。1953年にカルマン社へと提示された。
カルマン社がフォルクスワーゲンへプロトタイプを披露したのは、1953年の11月。仕上がりに納得したフォルクスワーゲンは、生産計画を承認した。
カルマン・ギア・クーペは2年後に量産が開始。1957年にはカブリオレも登場する。それから20年余りの間に、45万台近くが生み出される。
カルマン・ギアの多くは、北米市場へと輸出された。ルノーも開拓に熱心だった市場だ。
フォルクスワーゲンの人気に感化された北米のルノー・ディーラーは、フロリダでの会議でルノーへ申し出た。ショールームを華やかにし、多くの来場者を誘う、セクシーなモデルが欲しいと。女優のブリジット・バルドーを広告へ起用する話には、展開していなかっただろうけれど。
当時ルノーを率いていたピエール・ドレフュスは、スポーティーな2+2モデルの計画へ、すぐゴーサインを出した。1958年には、量産の準備が整った。
車名は、販売される市場で変えられた。欧州向けには、ルノー・フロリード(Floride)と呼ばれた。一方で北米では、フロリダ州(Florida)以外のディーラーからの反発を避け、カラベルという名前が付けられた。当時のフランス製旅客機から拝借した呼び名だ。
シャシーにまで手の入ったカルマンギア
2台を並べると、数年の違いでデザインが変化したことがわかって面白い。カルマン・ギアのボディと一体になった美しいフェンダーラインは、フェンダーとランニングボードが別れたビートルのオーナーに、驚くほどモダンに写ったことだろう。
しかし急激に絞られるテール部分と、ずんぐりとしたノーズのフォルムは、戦後すぐのモダニズム・テイストを残す。しばらくして登場する、シャープなエッジを基調としたフロリードのフォルムとは明らかに違う。
ヘッドライトとエンブレムの3つの膨らみを持つフロントノーズは、スチュードベーカー・チャンピオンにも似ている。リアフェンダーのラインは、1953年のクライスラー・デレガンス・コンセプト風だ。
カルマン社のルイジ・セグレは、デレガンス・コンセプトのデザイナー、ヴァージル・エクスナーへ、お礼を込めてカルマン・ギアを贈ったとさえいわれている。
フォルクスワーゲン・ビートルをベースに、カルマン社が生み出したスタイリングには感銘するばかり。ボディを載せ替える以上の手間が、かけられている。
カルマン・ギアのシャシーは、ビートルのものより幅広く、長く、低い。フロントガラスは大きく寝かされ、細いピラーが浮き上がらせるように支える、カーブを描くバブルルーフが載っている。
ピラーが切り取られたカルマン・ギア・カブリオレが登場するのは、1957年。フランクフルト・モーターショーで発表され、カルマン社が製造を請け負った。ここにはギア社の関与はなかった。
忘れ去られたルノー・フロリード
カルマン社自らコンバーチブルへの変更を設計。荷室をわずかに削っているものの、ソフトトップの折り畳み機構を工夫し、リアシートは残された。ソフトトップは3層構造で、トップを閉じてもエレガントなプロポーションが保たれることも美点。
マイナスとしては、視界が僅かに狭まることと、プラスティック製のリアウインドウに傷が付きやすいことくらい。1969年にはガラス製になり、その心配もなくなっている。
今回登場願った、ダリル・コリアーがオーナーのカルマン・ギア・カブリオレも、ガラス製だ。オリオール・イエローが眩しい。コレクターでは人気の、小さなテールライトとバンパーの組み合わせが特徴。
1961年にフェイスリフトを受けており、ヘッドライトの位置は高く変更。ノーズ左右には、3本リブのエアインテークも付いた。多くの人がカルマン・ギアと聞いて、思い浮かべるスタイリングだと思う。
反面、ルノー・フロリードと聞いても、カタチを思い浮かべられる読者は少ないはず。年配の、一部のルノー・ファンくらいだろう。生産台数は12万台と少なくなかったが、現在では姿を見ること自体珍しい。
白いフロリードSのオーナー、トニー・ナピンはフロリードを忘れなかった。彼にとって3台目のフロリードで、10年以上所有している。1959年にフィアットからルノー・ドーフィンへと乗り換えて以来の、熱烈なルノー・ファン。他のメーカーのクルマを選んだことがないそうだ。
リアエンジンを匂わせないスタイリング
ナピンのフロリードは一度、1960年代にナイジェリアへ運ばれた過去がある。テールに付いた楕円のWANというプレートは、西アフリカ・ナイジェリアの略だ。それから英国に戻るが、35年間ほどはほとんど乗らずに保管されていた。
ギア社は、ルノー・フロリードのデザインを、ピエトロ・フルアに委託した。マセラティでデザイナーをしていた人物で、A6からミストラルまで多くのモデルを手掛けている。
彼が描き出したのは、ベースとするドーフィンとはまったく異なるスタイリングだった。ビートル・ベースのカルマン・ギアと同じくらい。
丸く小さなサルーンとは異なり、フロリードは洗練され垢抜けている。締まりのあるボディラインに、控えめなテールフィン。ボディサイドには2つの彫刻的なカーブが付くが、1964年のフォード・マスタングから影響を受けたのだろう。
のっぺりとしたフロントノーズとヘッドライトの処理は、どこかMGBのフロントにも似ている。ルノーはライバル視していたはずだ。
ルノー・フロリードは、クーペとソフトトップのカブリオレ、ハードトップを備えるコンバーチブルの3タイプが用意された。比較的ボンネットは長く、ショートデッキ。一見するとフロントエンジンのプロポーションを持つ。
リアエンジンを伺わせるのは、フロントグリルがないことくらい。トランスミッションもプロペラシャフトもなく、フロント側の構造はシンプルだし、フロアはフラット。それでも、ステアリングホイールは少し左側にオフセットしている。
この続きは後編にて。
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