◆経済活動の再開に舵を切った東京都

 都庁やレインボーブリッジが赤くライトアップされた「東京アラート」が改めて発動されることもなく、新規の陽性者数を1日20人未満、週あたりの陽性者増加率を1倍未満とするという基準も何処へやら、都知事選対策なのか経済の再起動へとひた走ってきた。コロナウイルスの新規感染者数も増加傾向にあるが、休業要請は6月19日に解除されたままだ。

 しかもコロナウイルスは一種の花柳病、「夜の街」クラスターの病気なのだということにされる。感染経路がわかっていない人も多いという状況なのだが…。7月10日には都内で新たに243人が感染し、過去最多となっている。

 医療を見ても、新自由主義的「改革」によるスリム化が引き起こしたこととして、たとえば医療体制の脆弱化などが指摘されている。日本医療労働組合連合会(医労連)の森田進書記長がロイター通信に語ったところによると、1998年に9060床あった感染病床は現在では1869床まで減少しているというのである。

 日本の死者数は、アメリカイギリスイタリアといった国に比べれば少なく、(筆者は「民度」という考え方を拒絶するが、あえて言うとアジアという枠で見た場合日本のそれは低い)大村秀章愛知県知事の論を借りて言えば医療崩壊を引き起こしたのは東京と大阪のみという状況ではある。だが、もし“幸運”に見舞われていなければどうなっていたのだろう。

コロナで格差が広がり、社会主義に復権の兆し?
 コロナ禍は貧しい層に、より打撃を与えているとの話もある。
 
 コロナは社会的な階層、階級の高低を強化する。貧困層は健康面でも、差別されるのである。シカゴでは人口比約30%の黒人が、コロナによる死者の70%超となっている。一方で、アメリカでは、アマゾンジェフ・ベソス氏の資産がコロナ後の3ヶ月で362億ドル(約3870億円)増加など、富裕層はコロナ禍により5650億ドル(約62兆円)以上の利益を得たという。

 こうした中、コロナ禍はかつて人類が夢見、退けたある思想に改めて脚光を浴びせたのも事実だ。

 本稿の目的はアフターコロナ以降、社会主義的なものが以前より確実に注目を浴びている、ということを改めて確認することである。特に欧米の議論に焦点を当てて、それを見てみたい。

◆生命や生活の維持のために必要な仕事と「ブルシット・ジョブ
 まずは『負債論』が話題になった人類学者のデビッドグレーバーである。彼はオンラインメディア「Brut」のインタビューで「経済とはどうやってケアをするか、私たちが互いに生存するための方法なのです。お互いをケアし、環境にも注意する。そうしないとすぐに大きな問題が生じる」と答えている。

 日本語化されているグレーバーの議論で興味深いのは、「コロナ後の世界と『ブルシット・エコノミー』」と邦題のついた小論である。

 この論でグレーバーは、「『経済』を再始動するという表現がなされる時、わたしたちが再始動するよう求められているのはブルシット・セクターにほかならない」と指摘している。

「経営者が他の経営者を管理するこのブルシット・セクターは、広報コンサルタントやテレマーケターやブランドマネージャー、戦略主幹や創発部長(および彼らを取り巻く補佐役の一群)、学校や病院の理事たちの世界だ」

 ブルシット・ジョブ=社会的ヒエラルキーでは上層なのだろうが、実のところ「クッソくだらない仕事」が「経済」なのだと喝破する。一方でたとえば医療や物流、福祉と言った人々の生活を維持する「エッセシャルワーク」の社会的立場についての矛盾、ケア労働としての性格が強いこれら労働に従事する人間の収入、待遇、社会的地位がブルシット・セクターの人間と比して低いことが指摘される。

 エッセシャルワークには、私見ではカフェやバー、居酒屋、書店などといった場での労働も含まれていると見たい。引きこもることとエッセシャルワークの間を踏まえた議論が期待される。屋内に引きこもり人に会わないことがコロナ対策として、自分と他者にとって良いだろうという感覚がまず大事で、共通項として「世界と生命の維持」を見出すことができる。

 そして、マリア・ミースやクラウディア・フォン・ヴェールホフといったエコフェミニストの議論としてある「サブシステンス」=資本主義のための生産ではなく、人びとの生命や生活の維持のための生産、オーストリアまれの思想家イヴァン・イリイチによれば「人間生活の自立と自存」というものだが、これが両者をつなぐ考え方として注目されても良いのではないだろうか。

 グレーバーは、先に挙げた記事の訳注によれば「経済」ではなく「生活」の次元で、カフェボウリング場、大学の再開の問題を挙げている。

 また、エッセシャルワークの議論と関連するが、たとえばアメリカではアマゾンの国有化といった議論も現れている。

 労働者の保護と流通網の維持のためにはアマゾンの国有化が必要、という議論だ。それにより労働者は郵便局員と同じ労働組合に加入できる、適切な労働環境を維持できるというのである。

 エッセシャルワークの議論に立ち返っても、アマゾンコロナ禍の中どれだけの人が頼っていたのか、一方でアマゾンの倉庫で働く人々の待遇がどれほどのものだったのかは考えてみて良いだろう。アメリカアマゾンでは、労働者の解雇に抗議して副社長が辞任している。

スペインや日本でベーシックインカムの萌芽
 そして、完全な形ではないが「ベーシックインカム」が導入されてきていることも指摘しておきたい。

 スペインでは5月29日ベーシックインカム制度が閣議で承認され、230万人の国民を対象に、一人暮らしの成人には月462ユーロ(約5万5000円)、家族ならば一人当たり139ユーロ(約1万7000円)が保障されることになった。世帯当たりの所得保障は年1万70ユーロ(約120万円)だ。

 日本でも、一度きりながら国内の全居住者に10万円が給付された経験も、皆の生存を保証するベーシックインカム的、ひいては社会主義的な経験だったと少しは考えていいのではなかろうか。

 街の人々が10万円の給付金や、持続化給付金について挨拶のように語る光景がいたるところで見られる。

 大げさに言えば、右派、左派の別を超え、国家が、社会主義的な政策を取らざるを得なくなったと言う経験を地球規模で得たとも言えるだろう。

 コロナ禍の中でもたとえば堀江貴文氏のように、「ロックダウンよりも経済を回せ」といった趣旨のことを語る人物も一定存在していたが、グレーバーの議論を借りれば、実のところ重要なのは経済ではなく「生活」なのではなかろうか。

<文/福田慶太>

【福田慶太】
フリーの編集・ライター。編集した書籍に『夢みる名古屋』(現代書館)、『乙女たちが愛した抒情画家 蕗谷虹児』(新評論)、『α崩壊 現代アートはいかに原爆の記憶を表現しうるか』(現代書館)、『原子力都市』(以文社)などがある。