「いろいろと思うところはありますが、結構できることを考えたうえでの判決を出したのではないかと思います。周りの人のことを信じてきて、良かったと思っています」

大阪府在住の在日コリアン女性、Aさん(50代)は、Zoomの画面越しにほっとした表情を浮かべながら語った。

Aさんは2015年8月、社内で「(在日は)嘘つき」「死ねよ」などと書かれた文書を配布した勤め先「フジ住宅」(大阪府岸和田市)と会長を相手取り、計3300万円の損害賠償を求める裁判を起こした。

約5年に渡る裁判の判決がことし7月2日、大阪地裁堺支部であり、中垣内健治裁判長は、会社と会長側に110万円の支払いを命じたのだ。(ライター・碓氷連太郎)

●当初は問題なく働けたが・・・

Aさんは2002年、新聞の折り込みチラシで、フジ住宅子会社(2008年に吸収合併)の求人を知った。住宅や建築に興味があったことから応募したところ、採用されて、非正規の従業員として働くことになった。本名を使っていても、そのことで話題になることもなく、ほかの従業員との関係も良好だった。

そんなAさんは、2008年ごろ、戦前の『大東亜共栄圏』を肯定する書物をすすめる紙が、社内で配布されたことに疑問を感じたという。このときは「業務に関係ないのに、どうしてだろう」程度の認識だった。

しかし、2013年5月、従業員の1人が会長に渡した『マンガ日狂組の教室−学校が危ない!!』(晋遊舎)という本のコピーが配布され、社内で回覧されたことで、吐き気が止まらなくなったという。

この本はいわゆる「自虐史観」の原因を日教組としていて、「創氏改名は強制ではなかった」など、日本の植民地支配を肯定する記述もあった。これ以外にも在日を含む中韓北朝鮮出身者を「卑劣」「野生動物」といった言葉で侮辱したり、特定の評論家を「反日」「売国奴」と貶める内容のものもあった。

さらに、同年から2015年にかけて、会長は従業員に対して、大阪府内で開催 されていた「教科書展示会」に出向いて、自分が支持する「新しい歴史教科書をつくる会」元幹部らによる育鵬社の中学校教科書の採択を求めるアンケートを提出してくるように求めた。

こうした資料を読むことやアンケート提出は強制とはされていなかったが、配布された資料には、会長によるアンダーラインがされていたことなどから、会長に同調する感想文を提出する従業員も現れるようになったという。

●約5年前に提訴した

Aさんは2015年1月、会社に対して、特定の民族を貶める文書の配布をやめるように申し入れた。しかし、改善されることはなかった。

そこで同年3月、大阪弁護士会に人権救済を求めたが、会社側は300万円の支払いと引き換えに、退職することを提案してきた。納得ができなかったことから、同年8月、会社と会長を訴えることを決めた。

裁判を提起したことによって、Aさんに対して「金目当て」「恩知らず」などと書いた文書や「在日は雇わないルールも必要かも」といった上司の言葉が記されたものも、社内で配布されたが、彼女は今日まで勤務を続けている。裁判は匿名ではじめたので、社内でもAさん個人は明確には特定されてはいない。しかし、薄々気づいている人もいて、微妙な空気を感じることもあるという。

それでも働き続けるのは「生活をしていかなくてはならないし、もう12年以上給料は据え置かれたままだが、仕事にはやりがいを感じている。それに全員が会長に同調しているわけではないし、一緒に働ける仲間もいる。私は会社を批判することを目的としてはいない。ただ良くなってほしい、変わってほしいとの思いから裁判を始めた」(Aさん)からだ。

裁判でAさんは、会長が配布した資料が、人種差別撤廃条約およびヘイトスピーチ解消法などが定める差別的言動にあたることを主張。自分を名指ししたものではなく「韓国人は」と書かれたものであっても、職場において直接、労働者に浴びせるものであるから、違法であると訴えた。

また育鵬社の教科書に好意的な回答を書くように求められ、参加してしまったことで、精神的苦痛を受けたとも主張していた。

一方、会社と会長側は「特定の国を批判する文書はごく一部。健康や育児に関する資料も配布している」「正しいと思っている」「読むも読まないも自由だった」と正当性を訴えていた。

●大阪地裁の判決

大阪地裁は「資料の内容と原告個人との結びつきが明確ではなく、原告個人に対する被告会社の従業員が抱く客観的な社会的評価を具体的に低下させる効果があると認めるには足りない。原告の主張は採用することはできない」とした。

一方で、「業務遂行と明らかに関連性のない教育の受講を強制することは労働契約上許されない」「労働者の国籍によって差別的取り扱いを受けない人格的利益を侵害するおそれが現実に発生していて、社会的に許容できる限度を超えている」として、会社と会長が環境型ハラスメントをおこなっていたことを認めた。

また、教科書展示会への参加をめぐっては、Aさんの所属する課のメンバーが勤務時間中、社用車で教科書展示会に赴き、上司が「今回は日教組vsフジ住宅の愉快な仲間たちやから、ということでよろしくお願いしますね」などと述べたことにより、同調圧力が生まれていたことも認めた。

そのうえで、「組織的、計画的、継続的におこなわれた党派的な運動。いわゆる政治活動だった」として、強制を伴わなくても、労働者思想・信条の自由を侵害する違法行為だと判断した。

●「モヤモヤした思いも残る」

勝訴したものの、Aさんは「うれしい気持ちはあるけれど、モヤモヤした思いも残る」と話す。「在日は嘘つき」などの文言が、自分個人への誹謗中傷とまでは認められなかったことに残念な気持ちがあるからだ。

Aさんを支援してきたNPO多民族共生人権教育センターの文公輝さんも次のように語っている。

ヘイトスピーチ解消法は明確な禁止規定や罰則がないため、配布資料にあるような文言によって傷つけられた原告個人の人格的利益を救済するための直接的な根拠とはならなかった。

しかし、人種差別的な資料が飛び交う職場で働くことが、人種的マイノリティ労働者の権利を侵害すると認めたことは、画期的だと思っている。今の法律の中でできる限りをした、80点の判決と思っている」(文さん)

職場内の問題を正し、従業員を守ろうという点では評価できる。職場にヌードポスターを貼ることが環境型セクハラであるのと同様に、歴史修正主義的な資料の回覧は環境型ハラスメントと認めたことは大きい。しかし、それがマイノリティ個人への差別と繋がるということまでは認められなかったのだ。

●会社は控訴する意向を示している

Aさんはさらに、証人尋問で会社側が「5名の取締役中2名が帰化した元韓国人で、差別をするような会社ではない」と言い出したことについても疑問を呈す。

「それは問題をなかった事にしたい、自分は差別とは無関係でありたい、という願望から語られる『在日の友達がいるので、自分は差別していない』と同じ『すり替え』にすぎないと思います。社内に在日韓国人がいることは、差別をしていないことの証明はなりません」(Aさん)

会社側は7月4日、ホームページ上で「我が国の言論の自由を守るためにも、また弊社の従業員の精神の自由を守るためにも、最後まで弊社は当裁判を勝ち抜く所存です」と掲載して、控訴する意向を明らかにしている。

これに対して、Aさんは「私は、会社に良くなってほしい、変わってほしいとずっと思ってきました。まだまだ、変わるには時間がかかりそうです。悪いのは会長の意に添うだけで差別を容認している会社であり、そこで働く人たちではありません。それに必ずいつか良い会社になると信じています。だから私も辞めずに働き続けていきたいと思っています」と決意を新たにした。

職場で「民族差別」の文書配布、フジ住宅に賠償命令…判決までに5年、原告女性が「辞めずに働き続けた」理由