「愛本店」顧問歌舞伎町ホスト協力会会長・北条雄一氏

 現存する最古のホストクラブで「歌舞伎町の顔」として君臨していた「愛本店」が、ビルの取り壊しにより49年の歴史に幕を下ろした。帝王・愛田武からタスキを渡された男がこの店の軌跡を振り返る。

◆愛田武の熱き思いを引き継いで歌舞伎町シンボルを守った30年
 歌舞伎町において最盛期には400人の従業員を抱え、年商27億円を叩き出した老舗ホストクラブ「愛本店」が、建物の老朽化に伴う移転のため今年6月末で49年の歴史に一旦幕を下ろした。創設者である「ホストの帝王」こと故・愛田武元社長(’18年死去)がつくり上げた豪華絢爛な内装は“夜の城”として評判になり、映画やドラマのロケ地、はとバスの観光名所になるなど歌舞伎町の象徴だった。

数々の著名人も来店した愛本店。日本一豪華な内装にかけられた費用は10億円を超え、数々の映画やドラマのロケ地となった

 新型コロナによる小池百合子都知事の「夜の街」発言で批判にさらされながらも、最終営業日は盛大な宴に。翌日、取り壊されていく店内を誰よりも感慨深く見つめていた同店顧問にして歌舞伎町ホスト協力会会長・北条雄一氏に、その軌跡を聞いた。

「僕が歌舞伎町でホストになったのは30年以上前ですが、僕はこの店の出身ではなく、愛本店は雲の上の存在でした。なにしろ、接客のノウハウはもちろん、先輩後輩の礼儀行儀も徹底させ、今では当たり前の『明朗会計システム』『日給制』を初めて実施したのもこの店。業界全体の礎を築き、江戸時代に端を発する『男芸者』をホストへと昇華させた愛田武は神様そのものでした」

 とはいえ、当時の愛本店のナンバー(※売り上げ上位のホスト)にはアウトロー出身者が多く、同じルーツを持つ北条氏はなかば無理やり「ヘルプ」として店に呼ばれるようになる。

 自分の店とは違って勝手が悪い中、大御所の芸能人と2人きりにされたりと修羅場の連続。だが、持ち前の気骨でどんな場面も乗り切る北条氏を、愛田武は物言わずとも見守っていた。やがて名前を覚えてもらい、かわいがってもらえるまでに、それほど長い時間は必要なかったという。

歌舞伎町で「暴力団入店禁止」をいち早く掲げ、恨みを買って店を破壊されたことも

「愛田観光株式会社」を設立して業界の礎を築いた愛田武(写真右から2番目)。晩年は病に倒れ、’18年にこの世を去った

「’92年に暴力団対策法が施行されても歌舞伎町ヤクザがズブズブの関係を続けるなか、親父(愛田武)はどの店よりも早く『暴力団入店禁止』を掲げていましたからね。当然トラブル日常茶飯事で、ある親分と揉めて包丁で切腹して死にかけた話は有名ですし、指も落としかけ、’04年には大ママ(※愛田朱美夫人)といるところを襲撃されています。胸に入れていた札束で銃弾を防いだ話は都市伝説だと思いますが(笑)、とても真似できませんよ」

◆「みかじめ料不払い運動」に歌舞伎町中のヤクザが激怒
 そんな中、’04年に石原慎太郎東京都知事の大号令によって始まったのが「歌舞伎町浄化作戦」だ。警視庁は街の治安を守るために愛田武を担ぎ上げ、両者は連携して’07年に「歌舞伎町ホスト協力会」を設立。「みかじめ料不払い運動」の旗振り役としてさまざまな改革に取りかかるが、当然会長たる愛田武への風当たりは、より過酷なものとなった。

「電話なんか24時間鳴りっぱなしでしたね。ちょうどこの頃から親父の体調が優れなくなっていたこともあり、発足からわずか2か月で『会長はお前がやってくれ』と指名されたんです。さすがに僕には荷が重かったのですが、警視庁はもちろん、取引のあった『ルイ・ヴィトン』や『ドン・ペリニヨン』のお偉いさんたちからも背中を押してもらい、覚悟を決めて3日後に返事をしました。その直後、僕が経営していた店がいわれのない理由でガサ入れされた時はずっこけましたけどね(笑)

今では福利厚生が充実したホストクラブも珍しくないが、先駆けとなったのは愛田観光だ

 その件は後日警視庁から謝罪があり丸く収まったが、眠れない日々は始まったばかり。殺害予告の電話は鳴りやまず、店や従業員への嫌がらせも日常茶飯事、またある時は小指に包帯を巻いたヤクザから「この責任を取れ」と謎の脅迫をされたり、歌舞伎町の“賞金首”となった苦難は想像以上のものだった。激動の日々のなかで、本当の意味で大変だったのは同業者たちの理解を得ることだったと北条氏は語る。

「やっぱり、『ヤクザと縁を切れ』と言われて、二つ返事で首を縦に振る店なんかないですからね。それに、ちょうどこの頃は地方から歌舞伎町に進出する店が増えた時期だったので、路上キャッチが街に溢れてしまって。そんな中で、オーナー一人ひとりに『絶対に街をよくするから』と頭を下げ、少しずつ賛同を得たんです。それと同時に、会の活動として客引き撲滅運動や防犯パトロール、週2でゴミ拾いもしていましたし、都知事等の歌舞伎町視察や東京マラソンの際には300人体制で警備も頼まれる。もう、自分の店なんかほったらかしですよ(笑)

◆窮地に陥った愛本店を再興。終幕はコロナ対策を徹底
 そして、そんな活動がようやく実を結び始めたころ、ホスト業界を揺るがす事件が起きた。’11年、愛田武が脳梗塞で倒れたことで、権利を主張する者が続々と登場。いわゆる「お家騒動」が勃発し、愛本店の経営が一気に揺らいでしまったのだ。

「最大で400人いたホストは30人ほどになり、お客さんは一日平均4組。歌舞伎町シンボルは失われる寸前でした。それで、新宿署から呼ばれて『お前は愛田武の2代目なのに黙って見過ごすのか』と言われたこともあり、僕が顧問として愛本店に関わることになったんです。ただ、僕一人の力だけではとても無理ですから、業界大手『グループダンディ』のCOOまりも校長にも協力してもらい、店の再建に尽力しました。2人とも10年以上テーブルについていなかったのですが、一日5~10組呼んで接客。毎日ヘベレケになるまで飲みましたよ(笑)

最後のシャンパンタワー。移転先でも同様に輝く!

新店舗のオープンは8月が目標。移転先等の詳細は「歌舞伎町しゅわしゅわ倶楽部」にて

 そんな2人の努力がようやく実り、愛本店がかつての盛況を取り戻したのはほんの数年前のこと。今回の移転を前に有終の美を飾れたことが、天国の愛田武にも誇らしい。

コロナで大変な時期でしたが終幕に泥を塗らないよう、店の検査、消毒、お客様の検温と感染対策は徹底しました。歌舞伎町から感染者が出ているのは事実ですが、我々、歌舞伎町ホスト協力会も新宿区の吉住健一区長と会合を重ね、ホストにPCR検査に促すなど実効性のあるガイドライン作りを行っています。7月頭からは、ホストが街頭でマスクを配る感染拡大防止活動もしています。新しい愛本店も愛田武の魂を引き継ぎ、ホスト業界の模範となり、歌舞伎町イメージも変えるような店にしたいですね」

 “夜の街”の逆境の中で、再び愛本店が輝くことを期待したい。

【「愛本店」顧問歌舞伎町ホスト協力会会長・北条雄一氏】
暴走族を引退後、歌舞伎町No.1ホストに。青年実業家として多方面で活躍する中、愛本店を再興。YouTube歌舞伎町しゅわしゅわ倶楽部」を主宰。眼帯は目の手術直後のため着用

<取材・文/上野友行 撮影/長谷英史>

「愛本店」顧問歌舞伎町ホスト協力会会長・北条雄一氏