(山田敏弘:国際ジャーナリスト

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 7月5日東京都知事選が行われ、大方の予想通りに現職の小池百合子知事が再選を果たした。再選後、都庁の職員に「引き続き皆さんと共に、為すべきことに邁進していきたいと存じます」と語った。

 小池氏を巡っては、選挙戦が始まる前のタイミングで彼女の「嘘」にまみれた半生に迫ったノンフィクション『女帝 小池百合子』(文藝春秋)が発売され、大変な話題になった。本は瞬く間にベストセラーとなり、人々の関心の高さがうかがえた。

 この本で特に注目されたのは小池氏の学歴詐称問題である。エジプトのカイロ大学を首席で卒業したと主張してきた彼女の学歴が虚偽なら、公職選挙法違反(虚偽事項公表罪)にも抵触するために看過できるものではなかった。

 筆者は2017年に『週刊ポスト』の取材でエジプトのカイロ大学を訪問し、関係者などに話を聞いて回った。その頃、小池氏の学歴問題などについて取材をしていたのは2017年に「小池百合子研究 父の業を背負いて」という記事を『新潮45』で書いていた石井妙子氏と、本格的に小池氏について取材を始める準備をしていた作家の黒木亮氏だけだったと言える。

 今回、『女帝』の発売を受けて筆者も『女性セブン』(小学館)で見解を記事にまとめている。そこで、その後に小池氏の学歴問題についての読者やメディアのさまざまな反応を受けて、この話を今一度、振り返り、総括してみたいと思う。

「首席で卒業」どころか「4年で卒業」でも“奇跡”

 そもそも小池氏が初めてカイロに渡ったのは、1971年のこと。大阪の関西学院大学の学生だった彼女は、エジプト留学を決意して中退。留学前にアラビア語は一切勉強しなかったという小池氏は、カイロではまず欧米系のカイロ・アメリカン大学に入学し、8カ月ほどをかけてアラビア語を集中的に勉強した。その後、アラブ圏で最高峰レベルと名高いカイロ大学に入学し、非常に高度なアラビア語能力が必要になる同大学を4年で卒業した。しかも、首席で、だ。

 もっとも、これは小池氏が一方的に主張してきた学歴である。『女帝』でも、黒木氏がいくつものメディアで発表している記事でも、事実はこの小池バージョンとは全く違うと指摘されている。

 筆者の取材でも、当時の日本人留学生たちに話を聞くと、ほとんどが彼女のアラビア語力でカイロ大学を卒業できたのは「奇跡」だと口を揃えている。

 例えばカイロ大学を日本人として初めて卒業した大東文化大学元名誉教授の小笠原良二氏は、小池氏と近い時期にカイロ大学に通っていた。小池氏が当時「仙人」と呼んで慕っていた小笠原氏は、日本人が4年で同大学を卒業するのは「はっきり言って無理です」と断言する。

 小笠原氏の場合、10年をかけてやっと卒業している。しかも、早い段階で並大抵の勉強では大学ではついて行くことすらできないと悟った小笠原氏は、イスラム教徒に改宗し、エジプト社会に身も心もどっぷりと浸かって死に物狂いで学業に向かったという。小笠原氏が言う。「アラビア語日本語の辞書すらなかった時代です。アラビア語を話せなかった小池さんのような人がたった4年でカイロ大学を卒業した。事実なら間違いなく奇跡です」

カイロで味噌汁を振る舞った小池氏

 ちなみに当時の小池氏の印象を小笠原氏に聞くと、「私が日本を恋しくなって『味噌汁が飲みたい』とこぼしたら、『私の家にいらっしゃいませんか』と自宅に招待し、ごちそうしてくれた」と話す。また「私が卒論で何を書こうか迷っているとぽろっと口にしたのです。すると、『私はこんな本を持ってきています』と、すぐに芥川龍之介の『蜘蛛の糸』『奉教人の死』を私に貸してくれた。結局、私は『蜘蛛の糸』をアラビア語訳して論文にまとめたのです。また卒業後に私が帰国する際には、一輪の薔薇を持ってきてくれた。しばらくどういう意味なのか考えましたね」と述懐する。

 それでも、終始、小池氏がたったの4年でカイロ大学を卒業したことがどうにも腑に落ちない様子だった。10年かけてやっと卒業した者からすればそういうものだろう。

カイロ大学に赴き確認した“卒業”

 とはいえ、2017年に筆者がカイロ大学で取材をしてみると、小池氏は確かに書類上はカイロ大学を卒業していたことが判明した。

 小池氏が卒業してから40年近くが経ったカイロ大学は、近年の政変などの影響で驚くほど警備が厳重になっていた。部外者は敷地内には簡単には入れない対策が取られていた。そこで知り合いになんとかお願いして、大学関係者が内部に入れてくれることになった。

 校内では、小池氏が通った文学部の建物が当時のまま残っていた。まず留学生を把握している管理課でこちらの趣旨を伝えると、「文学部長に許可をとってくれ」と告げられた。学部長室をたずねると、今度は秘書から伝言で「日本語学科に許可を取れ」とのことで、たらい回し状態だった。当時、小池氏の学歴については、国会議員時代から時々話題になるために、この案件は全て日本語学科を通すことになっていた。

 日本語学科で対応したのはアーデル・アミン・サーレ教授。日本への留学経験があり、かつて日本の某テレビ局の現地オフィスバイトをしたこともあるというアーデル教授は、非常に気さくな人物だった。

 そこでアーデル教授には、小池氏の在籍記録をあらためて調べてもらった。当然だが、近年ではプライバシーの問題もあり、部外者である私には本人の許可なく卒業証明書などの書類を大学側が見せることは不可能だったため、そうせざるを得なかった。

 小池氏の記録を見た教授はこう答えた。「大学の記録では、小池さんは文学部社会学科を1976年に間違いなく卒業しています。履修したクラスの成績書も残っています。卒業時の記録を見ると、成績は『グッド』でした。『グッド』と言っても、6段階評価で上からエクセレント、ベリーグッド、グッド、アクセプタブル(許容範囲)、ここまでが合格です。その下、ウィークベリーウィークなら留年。つまり彼女はごく普通の成績だった」

 首席ではなかったことも、明らかになった。アーデル教授は言う。

「カイロ大学は今でも4人に1人は留年するが、彼女は4年間で卒業している。これはすごいこと。1年時にアラビア語を落としているようだが補習でクリアしている。ただしひとつ気になるのが、10月に卒業したことにとなっていること。本来は7月卒業なので、2カ月遅れたのは卒業前にも補習を受ける必要があったからだろう」

 ただ市内のカフェで話を聞かせてもらった別の関係者は、「卒業していたとしたら、おそらく誰かの協力があったのは間違いないだろう」と言っていた。この関係者は、小池氏がアラビア語で話す様子などを動画で見ていたため、そう述べたのだった。

 繰り返すが、大学の書類上、彼女がカイロ大学を卒業したことは間違いない。最近、小池氏が国会議員として大臣にまで上り詰めるなど政治家として影響力のある立場になったことから、エジプト側とすれば、ODA(政府開発援助)などを確保するために、カイロ大学卒業問題などで小池氏を守ろうとしているとの指摘も目にする。『女帝』発売後も、そうした権益のために、小池氏を後援する意味で大使館から卒業を証明するようなコメント出させるようなこともしているとの見る向きもある。

 だが小池氏が公開した卒業証明書などに記載された「発行の日時」をみると、そういう指摘も無意味になる。卒業証明書は、卒業から数年後の1977年1月31日、卒業証書は1978年11月に発行となっているからだ。これは小池氏が帰国して間もなく、つまり、まだ大物になるかどうかもわからない時代であり、大学が嘘でも卒業生にしたいという相手ではなかっただろうと想像できる。

 ただ大学側が無理やり卒業させたのならば、別の理由が考えられる。小池氏が入学・卒業を実現できた背景には、大物政治家の存在があると指摘されている点だ。その人物はアブデル・カーディ・ハーテム元情報相で、当時の小池氏を知るエジプト在住の関係者は「ホームステイや学校の推薦書など」で小池氏を世話したと著者に証言している。ハーテム氏が、小池氏の入学や卒業を裏から助けたとの声も関係者らから多く聞かれる。

小池氏とカイロ大学との関係のキーマンは日本の元外交官

 そこで沸く疑問は、小池氏はどうしてそんな大物と知り合えたのかということだ。ハーテムと小池氏をつなげたのは、当時からエジプトなど中東で仕事を行き来していた父親の小池勇二郎氏だった。勇二郎氏は、ある有力な日本人の力添えで、アラブ諸国の要人と知り合うことができていたという。その日本人は、後に日本ムスリム協会の会長になる斎藤積平氏という元外交官である。斎藤氏とハーテム氏は非常に親しかったという。

 斎藤積平氏は戦前、アフガニスタンの日本大使館に赴任していた人物。終戦後は帰国し、大阪の民間貿易企業に就職、アフガニスタンからパキスタンサウジアラビアからエジプト、そして東南アジアまでを股にかけて飛び回っていたという。そうして世界中で要人たちと人脈を広げた斎藤氏は日本ムスリム協会の会長に就任し、生涯、日本とアラブ世界の架け橋として尽力した。

 斎藤氏をよく知る人物によれば、斎藤氏は「世界各地のイスラム世界の元首たちとも交流があって、人脈はすごかった。エジプト政界にも顔が利き、エジプト政府と民間などの橋渡しを牛耳っていた組織の総裁とも大変親しかった」という。「例えばカイロの大学が日本人留学生の受け入れを何枠か決めると、誰を入学させるのかなど、すべて斎藤氏が手配することになっていた。そしてハーテム氏がその仲介のような立場でもあった。当時、日本大使館もそこには食い込めず、斎藤氏がエジプト政府と大使館の間に入っていた」。

 関係者らの話を総合すると、ハーテム氏または斎藤氏が小池氏のカイロ大学入学や卒業に動いた可能性が高い。

 しかし、もう一度言うが、小池氏は書類上はきちんとカイロ大学を卒業したことになっている。『女帝』では小池氏の元同居人女性が「卒業はしていない」とはっきりと主張しているが、卒業証書や卒業証明書が存在する裏に何があったのかまでは判然としていない。ハーテム氏または斎藤氏など何らかの力に頼ったのかもしれないし、ハーテム氏側にも、協力をすることで何かの見返りがあったのかもしれない。ただそれはわからない。はっきりしていることは、現在、それについて客観的に証明することはほぼ不可能ということだ。

カイロ大が文藝春秋編集部に送った抗議文

 もう一点特筆すべきことは、カイロ大学が『女帝』の出版を受けて、小池氏の学歴を初めて認めたと思われていることだ。実は『女帝』の著者である石井氏が「文藝春秋2018年7月号に「小池百合子『虚飾の履歴書』」を寄稿した後、カイロ大学は文藝春秋編集部に抗議文を送付している。2018年6月29日付になっているその内容はこうだ。

1952年7月15日まれの小池百合子氏は、カイロ大学のエジプト人または外国人に対する規則に従い、1976年にカイロ大学文学部社会学科の学士を取得したことを、ここに表明します>

文藝春秋社のカイロ大学、または卒業生について掲載された根拠のない疑念を拒否すると同時に、この本文の反論内容を同雑誌に掲載、虚偽を訂正されることを強く求めます。虚偽報道を行った文藝春秋社の、カイロ大学への名誉棄損に対し正式な謝罪を求めます。謝罪がない場合、由緒ある同大学の歴史、国際的ステータスを脅かされたとみなされ、または卒業生に対しての権利を守るため、あらゆる法的措置も辞さないつもりです>

 これに対して、文藝春秋編集部は「世界でもっとも難解な言語といわれるアラビア語を、日本人が習得し、首席で卒業したというのは本当なのか、小池氏は真実を語っているのか、とたくさんの日本人が疑問に思っています。小池氏は政治家ですから、公明正大であることが求められます。有権者の期待に応え、小池氏の経歴を検証するのは、ジャーナリズムの当然の責務です」と反論している。

 このやりとりを仲介したのは、日本語学科のアーデル教授だった。

 筆者は最近、『女帝』が発売された後に寄稿した『女性セブン』での記事に向けた取材で再びカイロ大学や関係者らに接触した。すると、小池氏の問題は、これまでの日本語学科でもなければ、広報でもなく、「学長室」が担当することになったことがわかった。そのタイミングで、在日本エジプト大使館がフェイスブックで、小池氏の卒業証書は「カイロ大学の正式な手続きにより発行された」と声明を発表した。今回の発表で、「もう幕引きだ」というメッセージだと考えていい。

 ただ小池氏については、「暴露本」がベストセラーになり、特に学歴詐称問題などで都民や都の職員などを困惑させていることは間違いない。大臣まで経験した人が学歴詐称となれば国民全体の関心事でもある。

 最近になって小池氏は報道陣に卒業証書を公開したが、その点は評価できる。ただそこで終わらずに、きちんと疑惑を追求している人たちと対峙して、対談などの取材に応じる説明責任があるのではないだろうか。

 石井氏の著書は今も売れ続けている。すでに20万部も売れているこの本の中で小池氏は「大嘘つき」呼ばわりされている。おそらくこの本を読んだ読者は、小池氏の経歴に疑念を抱くようになっているはずだ。都民が納得するような説明または反論をすることも、再選後に自ら口にした「為すべきこと」の一つではないか。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  東京版CDCは無意味、小池「思いつき」都政の暗愚

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