米スタンフォード大学は7月8日、学内にある36の運動部のうち11競技を廃部にすることを公表した。スタンフォードといえば、多数のプロ選手やオリンピアンを輩出したスポーツの強豪校であり、ビジネススクールやメディカルスクールでも全米トップレベルを誇る名門校だ。同校のような全米体育協会(NCAA)ディビジョン1(D-I)の5大カンファレンスの一つ(Pac-12)に所属するトップスクールが、運動部を多数廃部にする決断を下したことは業界に波紋を広げている。

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 NCAAといえば、大学スポーツのビジネス化に成功していることで知られ、スポーツ強豪校ともなれば、学内の運動部を統括する体育局(Athletic Department)の収入は2億ドル(約200億円)を超える。NCAA全体では100億ドル(約1兆円)近い市場規模があると推測されており、学生(アマチュア)スポーツとは言え、選手に報酬を支払っていない点を除けば実態はプロスポーツとそん色ない。

 しかし、プロスポーツに比肩するNCAAのビジネスモデルが、実は今、大きな曲がり角に立たされている。大学スポーツがビジネスの論理を強く打ち出し過ぎた結果、本来の教育機関として求められる役割との間に抜き差しならない利益相反が生じ始めている。今回のコラムでは、岐路に立たされている米国大学スポーツの現状を解説したい。

コロナによるシーズン中断で台所事情が悪化

 巨額の収益を稼ぎ出す大学スポーツだが、その収益構造は控えめに言ってもかなり偏っている。以下はD-Iに所属する127大学の競技別平均収入をグラフ化したものだが、フットボール部からの収入だけが突出して多いのが分かるだろう。フットボール部の収入約3190万ドル(約32億円)は、2位以降の35競技の合計3170万ドルとほぼ同額だ。つまり、体育局の収入の半分はフットボール部が稼いでいるわけだ。

 この構図はどの大学でも概ね変わらず、体育局に収益をもたらすのは事実上アメフト部と男子バスケ部の2競技だけと言ってよい(理由は後述する)。体育局の6~7割の収入はこの2つの競技から生み出され、他の運動部の運営費やコーチの人件費、施設改修費などに回されているのがどの大学にも共通する現状だ。

 前回のコラムでも触れたが、米国でコロナウイルスの感染が拡大し、スポーツがシーズン中断を余儀なくされたのは3月中旬のこと。大学スポーツにとって不運だったのは、同月に開催を予定されていたバスケットボールの全米決勝トーナメントが中止に追い込まれたことだ。テレビ放映権だけで7億7000万ドル(約770億円)を超える収入が見込まれる大会が中止になったことで、多くの大学体育局の台所は火の車になってしまった。

 米国ではいまだに1日の感染者数が最多を更新しており、パンデミックが収束する気配は見えない。7月からの経済活動の再開に応じ、プロスポーツも無観客でシーズンが再開されることになっている。大学スポーツも歩調を合わせてキャンパスでの練習を再開しているが、一部の大学でクラスター感染が確認されるなど、予断を許さない状況だ。

 このまま感染状況が再び悪化すれば、8月末に開幕する大学フットボールも延期もしくはシーズン中止を余儀なくされるかもしれない。そうなれば、キャッシュフローという面で、体育局が被る経営的なダメージは計り知れない。

教育機関がスポーツビジネスを手がける本質的矛盾

 冒頭のスタンフォード大学のニュースに話を戻そう。廃部の対象になるのは、男女フェンシング部、フィールドホッケー部、軽量ボート部、男子ボート部、男女共同および女子セーリング部、スカッシュ部、シンクロナイズドスイミング部、男子レスリング部、男子バレーボール部の11競技だ。いずれも収益力のないマイナー競技という点で共通している。

 スタンフォード大学体育局は、現在の感染状況を精査した上で、今後3年間で少なくとも7000万ドル(約70億円)の減収が予想されるとして、“儲からない”運動部の廃部に踏み切ったわけだ。企業に例えれば、業績をけん引していた成長部門の売上が不況の影響で一気に落ち込んだため、足を引っ張る不採算部門から撤退して人員削減する構図と変わらない。

 ビジネス化を極めるNCAAでは、スポーツは万人に開かれた部活動ではなく、一部のトップエリート選手のみがアクセスできる“高嶺の花”になってしまった。なぜなら、プロスポーツに一軍選手枠があるように、競争の平等性を担保するため競技ごとに奨学金を得ている選手数が厳しく制限されているためだ。また、強豪校に育て上げるには年俸が百万ドル(億円)単位の一流ヘッドコーチを招聘しなければならず、トップ選手をリクルートするためには奨学金の提供や練習環境の整備も欠かせない。

 コーチや選手の争奪戦はさながら軍拡競争だ。他校に負けない環境を維持するためには経営のトップラインを上げざるを得ず、それを前述した不安定な収益構造が支えていた。お世辞にもサステナブルとは言えないモデルだ。しかも、ビジネスとして活動している以上、経営難になっても全運動部で痛みを分け合う選択肢は取れない。“金になる木”の運動部の収益力を削いでしまっては、結局ジリ貧になり体育局の運営を維持することができなくなるためだ。

 スポーツ活動に教育的価値を認めていたとしても、最終的には「カネになるかならないか」で判断せざるを得ない。これが、教育機関である大学がスポーツ“ビジネス”に手を出したがゆえに抱えることになった本質的な矛盾だ。コロナウイルスの感染拡大による大学体育局の経営危機は、図らずも大学スポーツ界が抱える脆弱性や利害相反に光を当てることになってしまった。

 7月9日時点で19の大学が57の運動部を廃部にし、2000名を超える学生選手やコーチが活動の場を失っている。この数は今後さらに増えるだろう。

教育機関による搾取構造に高まる批判

 大学スポーツ界が抱える問題はこれだけではない。最大の批判は、アマチュアリズムを盾にした教育機関による学生選手の搾取・人権侵害に向けられている。

 NCAAでは、「学生の本分は勉強」という建前から、学生選手にはプレーの対価としての報酬の支払いを認めない「アマチュア規定」が存在する。しかし、学生選手の無給労働により体育局は大いに潤い、ヘッドコーチの年収は百万ドル単位で、体育局職員も高給を得ている。ピューリッツァー賞を受賞した歴史家で、人権活動家としても知られるテイラー・ブランチ氏は、大学スポーツの問題点を次のように指摘する。

「多くのファンや教育者はアマチュアリズムが絶対で、学生選手に報酬を払えば大学スポーツはその品位を失うと信じている。しかし、NCAAは巨額の富を稼いでおり、大学や企業の金儲けを手伝っている。その源泉は、若い選手の無給労働だ。“学生選手”という定義が、憲法で保障されている公正な法手続きを受ける権利を学生から奪っている。これはまぎれもなく植民地の発想だ」

 また、ノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学のゲーリー・ベッカー教授は、市場主義を重視するシカゴ学派の重鎮らしく次のようにNCAAを批判する。

「社員への報酬を制限し、違反者へ罰則を科す企業の集合は通常、雇用カルテルとみなされる。NCAAが学生選手に課している制限も、これと何ら変わりない。特に、この制限はフットボールやバスケットボールのトップ選手に影響を与えるが、彼らの多くは黒人やマイノリティーといった低収入学生である」

 近年、こうしたNCAAの搾取構造に是正を迫る社会的な包囲網が狭まってきている。その転機となったのが、2016年の最高裁判断であった。次回のコラムでは、裁判の経緯やその後活発化することになるNCAAに変革を迫る動き、プロスポーツとの競合環境の変化などについて解説する。

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新型コロナの感染拡大で、米大学スポーツもシーズン中断を余儀なくされている。大学スポーツビジネスの収益を直撃した格好だ(写真:AP/アフロ)