永遠の0』『海賊とよばれた男』などのベストセラーを著し、いっぽうでツイッターでは「中国や韓国への攻撃的な姿勢を露骨に示し、女性蔑視的なツイートも含む」言説を書き散らす百田尚樹。

 この二面性を持つ百田尚樹とはいったいどんな作家で、彼の読者とはどういった人たちなのか。百田氏本人に取材を繰り返すなどしてその実相を詳らかにしたのが『ルポ 百田尚樹現象』(小学館)である。その著者でノンフィクションライターの石戸諭に話を聞いた。

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「間違っているといわれている側になにがあるんだろう」

―――本書は、百田尚樹氏やその周辺人物を取材することで「向こう側」をかいたルポとあります。

石戸諭(以下、石戸) リベラルがやりがちなのは、百田尚樹に対して、あるいは安倍晋三や小池百合子でもいいですが、彼に対してどこがどう間違っているかをたくさん並べていくことです。

 それを『ルポ 百田尚樹現象』では、「間違っているのはわかる。では何故その人物が支持されるんだろうか、間違っているといわれている側になにがあるんだろう」と問いを変えてみた。それが「向こう側に渡っていく」っていうことなんです。 

―――「向こう側」にいくことで見えたのが「普通の人たち」の姿であると。

石戸 先日の東京都知事選でいえば、ベストセラーになっている石井妙子さんの『女帝 小池百合子』(文藝春秋)を読んだ人たちからすれば信じられないことだけれども、小池さんに投票した人が366万人もいるわけです。

 それと同じように百田さんの『日本国紀』の間違いを指摘する人たちもいるけれども、関連本も含めてミリオンセラーになるくらい、それを買う人たちも大勢いる。『永遠の0』にしても右派エンタメとかなんとか言われるけれども累計500万部に達しているくらい、買う人たちがいるのが現実です。

 そうした人たちはまったく無視していい人たちなのか、あるいは右派的なイデオロギーに染まりきった人たちなのか。そうではないわけです。僕からすると、どこにでもいる人たちというのを形容してみるときに「普通の人たち」としかいいようがないんです。

―――そうした「普通の人たち」を惹きつける百田尚樹とは?

石戸 平成最大のベストセラー作家ですよね。単に小説が売れているだけではなく、『永遠の0』は映画も大ヒットさせていて、しかも日本アカデミー賞最優秀作品賞も受賞しています。ここ数年は是枝裕和さんの「万引き家族」や、安倍政権を批判する映画だとリベラル界隈で話題になった「新聞記者」も受賞している賞です。 

 小説と映画業界、両方でヒットを生み出した。そう考えると平成期を代表する作家と言っていい。そうでありながら文壇からは疎外されている。その原因は明確で、強烈な右派的イデオロギーの持ち主だからでしょう。 

 百田さんはツイッターを始めて(2010年)、そこでの言説によって花田紀凱さん(当時『WiLL』編集長)に発見され、それで2012年の『WiLL』9月号で民主党政権批判と安倍待望論を書き、10月号では当時は一議員の安倍さんと対談までした。そうやって右派の人たちとつながっていき、安倍さんともつながり、右派論客になっていったわけです。 

百田尚樹の特徴は「右派論客の自覚がないこと」

―――それによって、『永遠の0』の評価のされ方も変わっていきますね。

石戸 『ルポ 百田尚樹現象』に書いているけれども、『永遠の0』に対しては当初、児玉清さんや瀧井朝世さんといった名だたる書評家が絶賛し、他の小説は小島秀夫さんのようなクリエイターが、みんな面白いと言っていた。

 百田さんの小説に否定的な評価が出始めるのは、百田さんがツイッターを始めてからです。あれで百田さんに対して世の中は「そういう人だったんだ」と気づいていった。 

 ところがあれだけ強烈な右派イデオロギーを醸し出していて、ツイッターなどでは嫌韓・嫌中の言説をまき散らし、安倍政権にもっとも近い作家でありながら、百田さんには「右派論客」の自覚がまったくない。それが「百田尚樹」という人物の興味深いところでもある。 

―――百田氏からは本書に対して、どんな反応がありましたか?

石戸 百田さんは『ルポ 百田尚樹現象』についてツイッターで、自分について書いている部分は面白いと言っている。つまり「新しい歴史教科書をつくる会」運動の西尾幹二さんや藤岡信勝さん、小林よしのりさんが出てくる部分は面白くないと言っているわけです。

 百田さんはそういう人たちと比較されるのが嫌なんでしょう。本人もツイッターで書いていたように、自分は右派論客ではないと自認しているからですね。 

 僕は百田さんを取材した際、何回も言われました。「僕はエンタメ作家なんです」と。おそらくこの本では、論客としての部分にも着目されているというのが、心外なんじゃないですか。

「着脱可能」なイデオロギー

―――本書では、百田氏はイデオロギーが「着脱可能」、つまり小説ではそれを平気で捨て去ると指摘しています。

石戸 それができるのが百田さんの強いところなのだと思います。百田さんに批判的な人が、彼の最近の小説『夏の騎士』を読んだら驚くと思います。リベラルでフェミニスト的な考え方の人物が出てくるし、差別や偏見に立ち向かう人物も出てくる。

 それは一見すると百田さんがふだん言っていることとつながらないように思える。だけれども彼の中ではそこに矛盾はない。そうしたほうが面白さや読み応えがあると思っているから、そうした人物を書いているわけです。

日本国紀』の読者にしても、小説から入ってきた人たちが一定数いるでしょう。ストーリーテラーとして人々を魅了する作家なので、百田尚樹が書いたから読むという人たちがいるわけです。この本を買うのは“ネトウヨ”だと思いがちだけど、百田尚樹が好きという人のなかにはイデオロギーで好きなんじゃなくて、「百田さんは感動する物語を書くよね」という感じで読む人たちがいるんです。 

「ウケたいというのが強い」SNS的な言動の背景

―――90年代後半にベストセラーとなった『国民の歴史』の西尾幹二や『戦争論』の小林よしのりと比較すると?

石戸 『国民の歴史』に西尾幹二が込めたエネルギーにはすごいものがある。彼は言論人であり、その自覚がある。リベラルな人たちは、西尾さんや小林さんと百田さんは似たようなものだと思っているかもしれないが、全然違います。 

 西尾さんや小林さんには情念がある、百田さんはウケたいというのが強い。どういうことかと言うと、西尾さんや小林さんはものすごく思いを込めたうえで発言する。自分の行動を説明し、言論と行動を一致させようとします。

 それに対して百田さんは言ってしまえばSNS的です。昨日は昨日、今日は今日、今この瞬間感動したというのにすごく正直で、それをツイートできる。コロナ対策で安倍首相を批判していたと思ったら、別の日には「やっぱり頑張っている」と言って肯定できるのです。前は前、今は今でその都度思ったことを正直にツイートしているだけなんです。 

 百田さんの場合、決定的に大きかったのが放送作家だったことだと思っています。放送作家時代は日々、テレビの視聴率と真剣に向き合っているわけです。なにをやれば数字が取れて、なにをやれば数字が落ちるのかを肌感覚で知っている。そこまでできる放送作家はなかなかいません。関西のテレビ界でも屈指の実力者だったことは取材していてよくわかりました。 

 そうしたテレビの視聴率との向き合い方と、作家としての読者との向き合い方は同じなんですね。百田さんは「チャンネルを変えられないように小説を書かないといけない」とずっと言っているわけですから。 

「わかりやすくて面白いもの」のニーズに応えているか?

―――石戸さんはストーリーテリングと読みやすさで読者をつかんでいると百田氏を評しています。それでいうと本書には、西尾氏や小林氏とともに「つくる会」運動をした藤岡信勝の『教科書が教えない歴史』も、藤岡氏は「小学六年生でも読める平易な語彙と語り口」を大事にしたとあります。

石戸 平易な言葉で書かれていて、わかりやすくて面白いものを読みたいという世の中のニーズがあります。特に日本の歴史という分野ではそのニーズはいつの時代もあった。まず、この現実に向き合っていかないといけないですよね。 

日本国紀』を出版する幻冬舎社長の見城徹さんが言うことは、かなり正論だと思いますよ。「『日本国紀』を批判したいのなら、リベラルも売れる歴史ものを書けばいいじゃないか」って。それはそのとおりなんです。 

 リベラルは右派的な歴史観の本が売れているのは問題だと言います。ここで僕が問いたいのは、右派的なものでなければ歴史本は売れないのか、ということです。僕はそんなことないと思っています。つまり、代替可能なんじゃないかということです。

 世の中では、読みやすくて面白い語り口のものが求められている。右派的なもののマーケットばかりが広がるっていうのは、右派的な人たちがそうしたニーズに応えているからです。それならリベラルもそのニーズに向き合っていかないといけないですよね。

―――本書には、書店チェーンのPOSデータをみると『日本国紀』と併売率が高いのは『FACTFULNESS』だったとあります。イデオロギーで『日本国紀』を買っているわけではない人たちが存在している。

石戸 本の中でも書きましたが、『FACTFULNESS』は世の中をイメージではなく、ファクトで見ようという一冊です。これと『日本国紀』が一緒に買われているのはどういうことかと言えば、売れているから買うという人がいるということです。 

 こうした市場の現実にちゃんと向き合わないと、「百田本を買うような大衆は馬鹿だ」とか言い出してしまいかねない。百田さんもそうだし、小林よしのりさんもそうですけど、彼らは本を売るということにものすごく真剣に向き合っています。 

 特に小林さんは自分の思いをぎゅっと一冊の本に閉じ込めて、自分の作品として読者に届けようとしてきて、実際に右派本のマーケットを切り開いてきました。その情念は、多分に間違いを含んでいるけれども、小林さんが対象読者としてきた普通の人たちを突き動かしていくわけです。これは馬鹿にはできないわけですよ。 

 右派的なコンテンツでこれだけ市場が埋まっていくことがいいのかといえば、いいわけないと思っています。だからこそ、逆説的ですが、市場と向き合って来た人たちの話を描こうと思ったわけです。 

攻守を逆転させた、「つくる会」の戦略

―――右派の強さは、そうこうして来た経験値によるものでしょうか?

石戸 右派本市場の関係者のほうが、世の中にどうやったら刺さるか、どういうポジションをつかむといいかをわかっています。『ルポ 百田尚樹現象』で、なぜ小林さん、西尾さんらの「つくる会」を取材して本書に取り込んだのかというと、あのとき、彼らが、右派運動のスイッチを「守」から「攻」に切り替えたからです。 

 それまでの左派の市民運動や学生運動がどうやって力を得ていたか。それは、自民党や保守陣営といった大きな権威に立ち向かうことで得ていたんです。

 この大いなる権威に対抗することでエネルギーを調達するやり方を、「つくる会」は右派として初めて大規模にやった。それは元左派だった藤岡信勝さんがいたことも大きいですが、時代が切り替わった瞬間だったと思います。つまり、右派の反権威主義運動なんですね。 

 百田さん自身も反権威主義だと言っている。ここは連続しているんです。 

 朝日新聞など巨大なリベラルメディアがあって、彼らが日本を牛耳っていて、こいつらに立ち向かっていかないといけないんだと彼らは言うわけです。

 百田さんは、「僕の小説はようやく500万部に達したけど、朝日新聞は1日に500万部出ている」と言う。「1日に500万部」という言い方は初めて聞いたんだけれども、「そうか、この人はそういうふうに世の中を認識しているのか」と妙に合点しました。 

―――メディア側は「普通の人たち」をどう見ているのか。

石戸 僕も含めてですけど、メディアで働いている人たちは社会全体からみれば少数派です。「百田さんの本を買った人に会ったことはありますか?」と聞けば、ほとんどの人は会ったことがないと言うと思います。「あなたのまわりに小池さんに投票した人はいますか?」「安倍さんを支持する人はいますか?」というのと同じで、これも少ないと思いますよ。

 だからそれらを支持する人たちが見えていない。つまり「普通の人」が見えていないし、自分と違う価値観の人々が世の中にいるということに気づきにくくなるんです。 

「そういう人、本当にいるの?」って思う。なにも知らずに騙されている大衆がこんなにいると思ってしまうわけです。知ろうとするには「力」がいります。取材もせずにネットにあがった記事を読んで、コメントするのはとても楽です。 

 橋を渡って、向こう側から見れば、百田尚樹を買う、原作映画を見る理由もあるわけです。小池百合子に投票する理由もちゃんとあるのでしょう。「読みやすいから」という理由で百田を買う人たちは世の中には大勢いるし、「小池さんは頑張っているから」といって投票する人も大勢いる。

 そういう大多数の「普通の人たち」が事実としているということを知らないといけないけど、知る努力は足りないと思いますね。 

桜井誠の公約に見る、極右が「カネ」の話を始めた衝撃

―――それが見えていないメディアの状況をどう捉えていますか?

石戸 このままではまずいという思いはあります。ジャーナリズムは大切だ、活字メディアは大切だと言っているだけでは、大切だから大切なんだと言っているだけです。今、マスメディアにとって最も重要な問題は、マスメディアがマスの機能を果たしていないことにあります。本当のマスである「普通の人たち」にむけて、伝え方を工夫していかないといけないのにそうなっていないでしょう。 

 インターネットは特にそうですが、同じ考え方をする人たちが集まり、「あいつはおかしい」と言って、どんどん極端になっていく。やはり多様な「論」が交わっている状況をつくっておかないと、最終的に極化による強烈なしっぺ返しをくらうことになります。アメリカでトランプが大統領になってしまったように。 

―――極端な主張がポピュリズムと結びついていくわけですね。

石戸 僕が先日の東京都知事選で注目したのは、極右の桜井誠が都民税の減税を第一に主張したことです。4年前の都知事選で、彼は外国人生活保護の撤廃、つまり「在特会」の従来の主張を選挙でもしていた。それが今回、最大の看板を下ろして、カネの話を第一にした。彼は山本太郎のようにカネの話をするのが一番いいと思ったのでしょう。 

 以前、山本さん本人に取材しましたが、彼は原発よりもカネの話を第一にするようにしたと言っている。それは普通の人にはカネの話が一番刺さるからです。山本さんは山本さんで計算している。 

 桜井さんがそうであるように、今後、さらにカネの話と極右的な考え方が結びついていき、その主張の仕方もより洗練させていく可能性があると思います。小池さんでいえば、今回「夜の街」を強調することで、「夜の街」対「普通の都民」という構図を作って、自分は「普通の都民」の味方であると見せていた。 

 この本でも書いたように、ポピュリズムそのものは否定しませんが、調達されたエネルギーがどこに向かうのかは常に注視しないといけません。危機の時代ほどポピュリストたちは生き生きしますから。 

写真=松本輝一/文藝春秋

(urbansea)

©松本輝一/文藝春秋